第5話

「ちおちゃんは仲直りしたいんだろう?」

 昼休み、いつもの屋上で弁当を平らげたあとかおるはそう訊いてきた。また頬に傷をつくってしまい、不自然な位置に絆創膏が貼られてあった。

「したいよ。でも、」

 言葉に詰まる。いちいち声に乗せるのが嫌になった。あの日からずっと思い続けているせいだ。

「……僕がきっかけを作ってあげようか」

 少し微笑んで彼女を見た。ピアスが揺れる。然しちおはかぶりを振った。

「大丈夫」

 俯いたまま、風呂敷に包んだ弁当箱を抱えている。そんな様子で弱気に呟かれた大丈夫は、とてもその意味を持つ言葉には思えなかった。

 かおるは千尋を呼び出した。あまり人が立ち寄らない階段の踊り場で、かおるは険しい顔つきをしていた。彼がちおに深く入れ込んでいるのを千尋は知っている、きっとあの事で怒っているのだろうと二の腕を掴んだ。

「単刀直入に言うけど、君が悪い」

 どんっと正面から撃たれたような感覚だった。心拍数があがる。首から上を見るのが出来ず、身体が固まった。

「顔つきや恰好で何となく察したけど、でも僕とちおちゃんは知らなかったんだ。だからこそ君はあの一瞬の時だけでもいつものように振る舞って欲しかった。折角、友人の誕生日にサプライズをしたというのに、彼女はあの日からずっと何かを思い詰めているようだ」

 僅かに反響する声は全方位から千尋の身体を突き刺す。二の腕をぎゅっと掴みながら言葉を絞り出した。

「かおる君の言う通りだよ。ちおちゃんは何も悪くないのに、まるで……」

 その時、ぽんっと肩に手が置かれた。顔をあげる。眼前の彼はいつもの優しい微笑みを浮かべて、自分を見つめていた。

「でも君自身もショックだったと思う。だから二人で話そう。僕がそのきっかけを作ってあげるよ」

 窓から差し込む太陽光が綺麗な赤色を更に輝かせる。千尋は心が温かい気持ちで包まれ、口角をあげて肯いた。

 それからかおるはちおに軽く嘘を吐いた。素直に言ったところで暗い顔をするだけだ。例え後から文句を言われても、それは千尋との仲直りが終わってからだ。彼はその日一日を一人で過ごした。

 ちおは最初驚いて、姿を見つけた時点で立ち止まっていた。相手はまだこちらに気付いていない、ならこのまま静かに立ち去って別のルートから帰ろう。そう一瞬思って足を後ろにさげたが、踏みとどまった。

 きっとかおるがどうにかしてくれたんだ。私の為に……。一つ呼吸を整えて歩きだす。後ろから挨拶をしながら横に並んだ。自然にしたつもりだが、十分にぎこちないものだった。

「一緒に、帰ろっか」

 千尋はふっと笑って先に歩きだした。後に続く。

 暫くは沈黙が場を支配した。然し千尋から話し出した。少し上を見てわざとらしく声を張る。

「なんか久しぶりだね、こうして一緒に帰るの」

 ちおはぎこちなく肯いた。

「そう、だね。その、」

 一気に吐き出してしまおう、そう息を吸いこんだが被せるように声が聞こえた。

「ごめんね」

 無理に笑いながら続けた。

「ちおちゃんは何も悪くないのに、嫌な態度取ってごめんね?」

 向けられた表情には僅かに悲しい、いや反省しているような色があった。ちおは慌ててかぶりを振った。

「私こそごめん。よく考えずに行動しちゃって……」

 視線を逸らす。セメントの歩道がよく見えた。

「……プレゼント、嬉しかった。一番好きな鞄につけたんだ」

 ふっと顔をあげる。優しく嬉しい笑みに自然と頬が緩んだ。

 仲直り出来た、千尋ちおと、仲直り出来た。どれもこれもかおるのお蔭だ。

 二人は暖かな夕焼けをバックに会話を盛り上げた。傷が塞がって更に距離が縮まったのか、以前よりも楽し気で、色んな言葉が口を飛び出していった。

 和気あいあいとした女子高生の風景。とても背中に観音様を背負った者と純白の翼を携えた者には見えなかった。

「あ、ねえちおちゃんってさあ――――」

 ぐしゃり

 何かを思いだしたように顔を向けた。ちおもそれに習って顔を向けた。然し一瞬にして千尋が視界から消えた。直後に風圧が身体を揺らす。

 眼を見開いて下を見た。そこには数本の鉄骨があった。

 じわじわと地面の凸凹を伝ってくる。ローファーの爪先にぶつかって枝分かれした。

「ちひろ?」

 声が震えて唇が乾いた。

「大丈夫ですか!?」

 作業員の男が駆けてくる。ちおはしゃがみこんだ。鉄骨の隙間から白い手がはみ出している。

「ちひろ?」

 手を取った。生暖かいが生きている感じがしない。

「マジかよ……おい! 誰か救急車呼べ!」

 鉄骨から伸びる血液に作業員の男が怒鳴る。一つ舌打ちをするとちおに駆け寄った。

「嬢ちゃん、一回離れよう」

 最初は言葉だけだった。だが手を握り締めたまま動かない様子に痺れを切らし、ぐっと二の腕を引っ張った。

「ほら!」

 強い力に負けて立ち上がり、そのままさがる。引っ張られて足を踏み出しても白い手を見続けた。

 千尋は高所から落下してきた鉄骨の下敷きになり、即死した。

「洞鶏は暫く休学という事で、よろしいでしょうか」

 ちおの部屋のなかで張間は受話器を置いた。ベッドに背中を向けて横たわる彼女に視線をやる。眼前で友が死に、ちおは精神的ダメージを酷く負った。その為保護者役である張間が学校に連絡を入れていた。

 ベッドの傍まで行って静かに声をかけた。

「学校に連絡したから、十分休んでね。私も出来る限り傍にいるようにするけど、もし何かあったら例の……佐竹山君にも連絡して。彼も傍にいてくれるって」

 反応はなく、ただ背中が僅かに上下するだけだった。張間はちおに触らずキッチンに立った。幾つか料理を作って置いておくつもりで、冷めても美味しい物だけを簡単に作った。

「じゃあ、私は大学に行ってくるからね。無理はしないで」

 玄関先から声をかける。僅かだが「うん」と聞こえてきた気がする。張間は底知れない不安と心配を抱えながら大学に向かった。

 ちおはかおるに電話をかけていた。ベッドの上で胡坐をかく。その背中には翼が生えており、例のごとく羽根が一枚二枚と落ちていく。然し以前と違うのは純白でない事、僅かだが全体的に汚れていた。

『僕を、疑うのかい?』

「疑うっていうか、なんていうか」

 顔は無表情で瞳に光はない。まるでドブのなかに落とされたように、いつものちおから何かが抜け落ちていた。

「そういえばと思ったんだよ。翔太が自殺する前々から、やけにかおると翔太が話してるなあと思ってた。んで今度は千尋にかおるが何か言った後でしょ? なんか、引っかかるんだ」

 淡々とした声に電話越しの彼は黙った。嫌な沈黙がお互いのスマホを通して伝わる。ややあってかおるが溜息を吐いた。

『そんな人だとは思わなかった』

 酷く落胆し失望する声。その時ちおの双眸に光りが戻った。はっと眼を見張って慌てて声を発する。

「違う、そんなつもりじゃ」

『そんなつもりじゃないから、なに? 一度でも親友に疑われたという事実が僕の心を傷つけた。君はナイフを振るった後に言い訳を』

 ちおは通話終了のボタンを一方的にタップした。スマホを落とし両手で顔を覆う。

「私は、なにをしてるんだ」

 自問に答える者はいない。頭を抱えて蹲った。するとみるみるうちに翼から白が抜けていく。まるで落ち行く天使のように黒へと変わっていく。

「わたしは、なにを」

 震えた声に涙は出てこなかった。涙は翼に奪われており、ベッドの上には黒い羽根が積み重なった。

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