第4話

 ちおは一日休んだあと途中から登校してきた。ただ教室に行くと翔太を思いだしてしまうため、暫く保健室登校が続いた。

「誕生日?」

 ある程度心の傷が癒えた時、千尋に自身の誕生日を教えられた。

「うん。まあ何かをねだる訳じゃないんだけどね、ちおちゃんにお祝いされたいなあって」

 両手で顔を包み込みわざとらしく身体をくねらせる。その様子にちおは笑顔を見せて肯いた。

「お祝いする。何か欲しい物とかある?」

 首を傾げる様子に千尋は眼を丸くしてからかぶりを振った。

「いいよそんなの。言葉だけで十分」

 本当は自宅に招いて一緒にケーキを食べて欲しかった。だが彼女の家には酒瓶や煙草の箱が転がっている。掃除したところでバレるのがオチだ。

「私がやりたいんだよ。ないならないでいいよ」

 翔太が自殺してから暗く滅多に顔をあげなかったちおが、きらきらと眼を輝かせて顔を見せている。千尋は一つ諦めた様子で口角をあげ、「そうだなあ」と考える素振りを見せた。

 誕生日当日、かおるとちおが口裏を合わせ、サプライズを仕掛けた。それは変装して彼女の家に直接訪問するものだった。

 千尋は勿論何も知らず、眼鏡もかけず髪もおろしたまま扉を開けた。

「ハッピーバースデイ!」

 帽子を取りながら笑顔で両腕を広げた。然し静寂が一つ。千尋の唇は小さく動いて瞳が揺れた。

「どう? 驚いた?」

 ちおはうきうきと満面の笑みで首を傾げた。手元には段ボールに包んだ誕生日プレゼントが入っている。

「……ごめん」

 然し千尋は俯いたまま小さく呟いた。上手く聞き取れず、だが同時にごめんと聞こえたような気がした彼女は驚いて固まった。聞き間違えかと思って一歩、足を前に出した。

「ごめん、サプライズ嫌いだった?」

 結んでいない黒髪が顔を隠す。キャミソールの為一部刺青が見えているが、髪と角度で二人には見えていなかった。

「そうじゃない。けど、家には来ないで欲しかった」

 僅かに震えた声。千尋は片手で顔を何度か擦ると少し顔をあげた。段ボールに手を伸ばす。

「ありがとう。プレゼント、貰っとくね」

 いつもの大人しい生徒を演じきれず、地声である低くハスキーな声で受け取った。静かに閉められた扉に立ち尽くす。

「……いつもの千尋ちゃんじゃなかったね」

 かおるが肩を落とす。隣から小さく声が聞こえた。コンクリートの廊下を見つめるちおが、何かを言っているようだった。

「どうしたの」

 腰を折って顔を覗こうとした。然しふっと左に向く。それに背筋を伸ばした。閉められた扉を見つめる。

「私が、サプライズなんて思いついたから」

 よくよく考えれば一回も家に呼んでくれた事のない人に押しかけるなんて、非常識な話だ。家に帰ったちおはコスプレ衣装を脱ぎ捨てるとその場に投げつけた。鋭い音が空気に触れる。

 自然とあがる息にぎゅっと眼を瞑った。またぽろぽろと涙が溢れてきて仕方がない。両手で拭う。拭っても止まらない。

 ふいに彼の笑顔を思いだした。頭に手をやる。髪を掴んだ。

「やだ、思いだすなよ」

 震えた声でかぶりを振った。然し忘れようとすればする程翔太の顔を思いだす。

 ぐしゃぐしゃと頭を撫でまわす。乱れた髪がそれに従って濡れた皮膚に張り付く。太陽に照らされた翔太の笑顔が酷く鮮明にフラッシュバックした。

 刹那、肌着を突き破って白く大きな翼が生えた。その衝撃で両手は離れ、自然と顔が上に向いた。とんっと片足を出して踏みとどまる。俯いて乱暴に頬を拭った。

 綺麗な純白の羽は静かに動く。空気が流れて風が流れた。

 彼女、洞鶏ちおは厳密には人間ではなかった。だがそれは彼女自身も知らない。知っているのは同じ立場の者だけだ。

 ただ翼が姿を現す時、彼女は冷静でいられた。狭い部屋に合うように折りたたんで洗面所に行く。冷水をひねり出すと涙で汚れた顔を洗った。

 顔をあげると小さな鏡に自分が見えた。頬に一筋傷が出来ているのが分かる。さっき爪で引っ搔いたらしい。軽くなぞってからタオルで拭いた。

 まるで懺悔の気持ちを吐き出すように、翼からは羽根が抜け落ちていく。空気をさまよって、それから消える。ちおは翌日の昼頃まで外に出なかった。最後の一枚が抜けるまで、外に出る事は叶わなかった。

 千尋は二人からのプレゼントを眺めていた。かおるからはイヤリングを、ちおからはキーホルダーを。それぞれ欲しいと伝えていた物だった。

 開け放った窓の外にキーホルダーを翳す。とある雑貨店でしか買えないゾンビ猫のラバーストラップであり、太陽光を受けて影を灯した。

「……悪い事、しちゃったな」

 掌で受け止めながら腕をさげた。溜息を吐く。いつも強気な背中は曲がっており、顔のない観音様が慰めているように見えた。

 ちおと千尋はお互いに関わる機会を逃し始めた。どちらも同じ気持ちなのだが、ちおはあんな事をしたのに話しかけづらいと思い、千尋はあんな姿を見せたせいでどう話しかけたらいいか分からない、と思っていた。それが残念な事にすれ違い、結局時間が経てば経つ程距離が出来た。

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