第3話

「自殺だってさ」

 学校生活にも慣れ始めた梅雨の頃、一人の男子生徒が飛び降り自殺をした。死亡推定時刻は深夜の三時五十分。学校に侵入して屋上からダイブしたらしい。丁度石のオブジェクトに頭が激突しており、計算して確実に死ねるように飛び降りたという噂が立った。

「ちおちゃん、大丈夫?」

 前の席にいる女子生徒が眉を顰めた。黒髪の三つ編みに眼鏡をしたいかにもな文学少女である千尋は、かおるの紹介で最近彼女と仲良くなった。千尋もまた別の地域から入学してきた身であり、同じ境遇の彼女に酷く懐いていた。

「保健室、いく?」

 席から立ち上がって彼女の机に手を置いた。

「頭割れてたらしいよ」

「いや顔が潰れてたって」

 俯くちおを見つめながらも耳は他生徒の会話を聞いていた。ぎゅっと拳を握って振り向く。

「ちょっと、そういう話は家でしてくれないかな」

 見た目に似合わず千尋は強気な性格だ。教室に響き渡る一喝に、ひそひそと話していた女子生徒達は身を縮めた。感情の持っていき場がなく、眼を泳がせながらスマホを取った。

 その様子に溜息を吐き、ちおに向き直った。机に腕をおいてしゃがみこむ。僅かに彼女の顔が見えた。

「早退してもいいんだよ? なんなら私も一緒に早退してあげるからさ」

 優しく心配した声にちおはスカートを握り締めた。ぽつぽつと木製の机に水玉模様が浮かぶ。泣いていると判断した千尋は腰をあげて背中をさすった。

「一旦保健室に行こう」

 とんとんっと二の腕を叩いて促してやると、手で顔を覆いながら立ち上がった。軽く腕を掴んで背中を擦りながら廊下に出る。すると丁度担任の教師と出会った。

「あ、先生。洞鶏さんの体調が悪いみたいなので、一緒に保健室に行ってきます」

 教師は顔を覆って猫背になるちおを一瞥した。翔太とちおが親友だったのを知っており、かける言葉は見つからなかった。

 保健室にいる教師兼カウンセラーの女性に事情を説明し、ちおに対して暫くここにいるように言いつけた。その子供の扱いと変わらぬ姿勢に教師はちおを一瞥した。

 千尋は駆け足で廊下を走る。既にHRが始まっている時間帯だ。誰もおらず、なんとも言えない疎外感のようなものが彼女を後押しした。

 教室の扉を開くとクラス中の視線を浴びた。然し一切気に留めず教壇に立つ教師へ視線をやった。

「暫く保健室にいたいみたいです」

 教師はそうかとだけ言って席につくよう促した。千尋は足早に自分の席に戻った。

「えー、身近な人の自殺ですから、もし精神的にしんどい場合は学校を休んでください。早退したい人はいつでも先生に言ってください」

 男性教師の言葉に翔太と仲の良かった生徒の数名が鼻を啜っていた。千尋も何度か話し好印象を持っていた生徒だった。少し涙がこぼれてそれを細い指で掬った。

「翔太くんの事は、残念だったね……」

 放課後、千尋はかおると一緒に下校していた。結局ちおは誰にも言わずに保健室からそのまま早退しており、二人共声をかけるタイミングがなかった。メッセージや電話をかけるという手もあるが、無言で姿を消した彼女にこれ以上無駄な事はしてやりたくなかった。

「うん。でもなんでだろ。凄い元気で活発な人だったのに」

 二つに分けた三つ編みが風に乗って揺れる。同時にかおるが右耳につけているピアスも揺れた。

「人間は二面性のある生き物だからね。どんなに元気でも裏はどんな顔をしているか分からない。だから傍目から見たら突然の出来事に感じるんだよ」

 落ち着いた声音に千尋は納得した。

「翔太君も大変だったのかな……」

 空を見上げる。茜色に染まりだすその彼方に彼は飛び立ったのだろうか。重なるようにして彼の犬のような笑顔を思い浮かべた。

「僕はこのままちおちゃんの所に寄ろうと思うんだけど、君はどうする?」

 横断歩道まで来ると足を止めた。千尋は軽くかぶりを振った。

「私は行かないし、かおる君も行かない方がいいと思うよ。今日一日そっとしておいてあげよう」

 それに少し納得がいかない表情を見せながらも妥協した。

「心配だけど、彼女にはそれが一番か」

 肩を落とす様子に信号機を見上げた。歩行者用のものではなく、走行車用のものを見ていた。然しふと思いだしてかおるに向き直った。

「そういえば昨日の夜中に変なメッセージ来てたけど、あれ誤爆?」

 信号機が黄色になる。かおるの赤い瞳が一瞬光って見えた。

「うん。誤爆だよ。慌てて送り直したから忘れちゃってた。ごめんね」

 ふっと眼が細くなる。向けられた微笑に「そっか。大丈夫」と笑みを返した。

 信号が赤になり青になった。千尋がモノクロの上を歩きだしすぐに振り向いた。

「あれ? 帰らないの?」

 この先を少し行ったところで彼とは別れる。然しかおるは軽く手を振った。

「ちょっと寄り道してから帰る」

 言いながら後ろにさがりまた明日と身体の向きを変えた。千尋もまた明日ねと返して横断歩道を早足で渡った。

 家につくとすぐに制服を脱ぎ捨てた。まだ子供らしいブラジャーの下に大きな刺青が彫ってあった。顔の潰れた観音様の絵で、正確には顔のパーツだけ描かれておらず、ぽっかりと穴が開いているようだった。それが大人しそうな少女の背中に居座っていた。

 眼鏡を外してシャワールームに踏み入れる。タイルの質感が足裏を撫でた。そうして全身を洗い流し髪の手入れをすると洗面所に戻った。

 千尋は自身の眼つきの悪さを隠す為に伊達眼鏡をかけており、風呂上がりの彼女は高校生には見えず、同時に優等生には見えなかった。それもこれも襟央高校の生徒があまりにも普通過ぎるせいだ。少しでも個性のある人間ばかりなら、彼女がここまで地味な生徒を演じずに済んだ。

「はあ、だる」

 正直なところ窮屈で退屈だ。これなら意地でも地元に残ればよかった。だが地元に残れば反吐が出るような親と毎日対面するはめになる。それに比べれば幾らかマシで、かおるやちおの存在は唯一の癒しでもあった。

「あちゃ、ライター切れてる」

 一本の紙煙草を咥えながら溜息を吐いた。重たい腰をあげてキッチンに行くと、コンロのうち一つを点火させた。煙草だけを青い炎に近づける。煙を吐いたのを確認すると火をとめた。

 咥えながら元いた場所に戻り胡坐をかいた。スマホを取る。後ろにつけたバンカーリングに指を通した。

「誤爆、ね」

 画面にはかおるとのトークが映されていた。他愛のない会話。高校生らしく課題がどうとか、教師がどうとかありきたりなものばかりだ。然し最後のメッセージ、かおるが間違えて送信したというそのメッセージは少し異様だった。

『片付けたよ。これではじまる。』

 ぱっと見はなんの変哲もない文章だ。然し彼女にはなんとも言えない違和感が渦巻いていた。

「……アイツ、誰と関わりもってんだろ」

 かおるも普通の人間ではない。きっと自分と同じ、何かを抱えて普通のふりをしている人間だ。千尋は軽く眉根を寄せながら煙を吐いた。

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