第2話

 かおると過ごす日々は幸せだった。そして自然と彼以外の友達も出来た。

「ちょっと! それ私の!」

 男友達がいたずらっ子らしい笑顔で逃げる。それをちおが追いかけた。自然と笑みが漏れる。追い付くと「案外はえーなお前」と言われながら返された。

「はあ、虫嫌いだからね」

 息を整えて笑う。かおるの次に気の合う男友達、翔太は片眉をあげた。

「それと足の速さが、なんの関係があるんだよ」

 ちおはペンケースを片手に笑った。

「虫に遭遇する度に逃げ回ってるから。鍛えられてんの!」

 ぱんぱんっと自分の太股を叩いてみせた。翔太はそういう事かよと笑い飛ばした。短く切り揃えた赤髪が余計に彼を活発に見せた。

「そうだおぢ」

 あっと思いついたように名前を呼ぶ。それは彼女のあだ名であり、他の友達もそう呼んでいる。

「なに?」

 首を傾げた。

「今度の休みにゲーセンいかねえか?」

 殆ど身長の変わらない彼から視線を外した。ちおは騒音が苦手でゲームセンターもその範囲に掠っていた。とは言え折角の誘い、断れる勇気もなく微苦笑を浮かべて肯いた。

「いいよ。どこのゲーセン?」

 翔太はぱっと笑顔を見せてスマホを取り出した。少し操作してから画面を突き付けてくる。

「新しく出来たとこだ。新作のゲームとかいっぱいあんぞー」

 にやにやとスマホの後ろから顔を覗かせてくる。それに笑いながら「分かったここね」と言った。

 約束の日。私服姿で待っていると翔太が手を振ってやってきた。大きく振り返す。

「早速ゲーセン行っていいか?」

 いつもより楽しそうに訊いてくる。体裁として訊いているだけで本当は返事も待たずに行きたいのだろう、ちおは肯き歩きだした。

 翔太とは気さくに話す事が出来た。異性として意識する必要もなく考える必要もない。ただ同い年の気の合う親友だ。

 休日という事もあり、ゲームセンターには人が多くいた。雑音が小さな声をかき消す。あまり居心地のいい所ではなかったが、翔太に引かれるがまま色んなゲームをしているとどうでもよくなった。

 彼が某太鼓のリズムゲームをやり始め、ちおは斜め後ろでそれを見つめていた。バチを両手に持って意気込む姿につま先を地面につけ、軽く足首を回した。

「ふざけんなよ!」

 大きな男の声が響き肩が飛び上がった。眼を丸くして周囲を見る。すぐに女性の泣き声が聞こえてくる。

「おぢー、見とけよー」

 翔太の声に腕を擦りながら視線をやった。有名なアニメのオープニングテーマを選んだらしい、イントロが聞こえてくる。ただのちょっとした小競り合いならいいが、いやそれでも大声や喧嘩が苦手な彼女にとっては不安の種だった。

「もう嫌よ!」

 今度は甲高い女の声が聞こえてくる。流石に辺りもざわめきだした。翔太はゲームに集中しているようで気にする素振りも見せない。ぎゅっと手首を掴みながら周囲を見渡した。

 クレーンゲームの隙間から見えたのは喧嘩だった。床に転んだ女に男が拳を振り上げているのが、丁度見えた。どくんっと心臓が跳ねる。体温があがって汗が吹き出す。

 どうする事も出来ず両手で耳を塞いだ。ごわごわと血液の流れが聞こえてくる。何度か深呼吸を繰り返しているうちに気持ちも落ち着いた。

「おい、大丈夫か」

 心配した声にえっと振り向く。翔太が怪訝な顔つきで見つめていた。

「お前、喧嘩とか嫌いなタイプ?」

 その言葉に眼を伏せて素直に肯いた。大声も苦手だ。

「じゃあ別のとこ行こうぜ。そうだ、なんか買いてえ物とかない? 俺あるんだよねー」

 とんとんっと肩を叩かれ自然と脚が動き出す。翔太は至って元気に喋っているが、ちおには見えていた。リズムゲームの大きな画面に、「中断しますか」という筆で書いたような文字が表示されていた。

 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。自分が少し我慢をすれば翔太はゲームを中断しなくて済んだ。彼は新しいゲームセンターでとことん遊びたかったはずだ。

 手のなかで揺らぐペットボトルの水に、大きく息を吐き出した。本当に自分は面倒な人間だなと何度も心の中で唱えた。

「おまえー、暗いぞお」

 少し大きな声に顔をあげた。まるでスーパーマンのように両手を腰に当てて、眉間にこれでもかと皺を寄せていた。翔太は軽くふざけた調子で言ったのだろうが、ちおはまた顔を俯かせてごめんと呟いた。

 その深刻な様子に今度は眉をあげて覗き込むように姿勢を低くした。

「楽しくないか?」

 親の機嫌を窺う小さな子供のような声音。ちおは両足をぎゅっとベンチの下に隠して、下唇を噛んだ。

「楽しくない訳じゃない、ただ」

 言葉に詰まった。どういえばいいのか分からない。それに言ったところで彼に責任を感じさせてしまう。自分のなかで全て咀嚼して消化出来ればいいのに、だがそれが出来ていれば今頃こんな事で身を小さくしていない。

 ぐるぐると強張った心のなかであれこれ考えていると、鼻がつんっと刺激した。眼の前が歪む。また泣いてしまうのか、ぐっと堪えようとした。

「ちお、泣いてんのか?」

 然し翔太の心配した声にぶわっと溢れだした。両手で必死に拭って拭って止めようとする。だが一向に止まらないどころか勢いは増すばかりだ。

 翔太はうろたえたあと、鞄からポケットティッシュを取り出した。二枚程取り出して無理矢理持たせる。

「鼻かもうぜ、な?」

 遠慮がちに背中を擦られる。せき止めていたダムが決壊したように溢れだしてくる。

 結局ティッシュを全て使ってしまった。鼻と眼を赤くして「ごめんね」と呟く。隣に座った彼は何度もかぶりを振った。

「こういう時の為のティッシュだからな。落ち着いてよかった」

 少し乱暴に背中を叩かれる。鼻声のままお礼を言った。

「そんなに自分の事責めなくたっていいのに……」

 落ち着いた彼女は思い切って自分の気持ちを吐露した。纏まっておらず意味の分からない言い回しになったところはあるが、翔太は全く気にせずにただ全てを聞いてくれた。

「まあ俺、こんな感じだからさ、お前がどうしてそんなに自分を責めるのか正直言ってわかんねえんだ」

 一つおいて続けた。

「でもよお、ちょっとぐらい図々しくなってもいいんじゃねえか?」

 両膝に腕をおいて振り向いた。その黒い瞳に返す言葉はない。

「ま、なれたら今頃苦労してねえか」

 溜息混じりに言いながら首筋を擦った。それから立ち上がる。

「とりあえずさ、俺と遊ぶ時は遠慮するなよ! 迷惑だなんて思わねえから。まずは俺からはじめてみようぜ!」

 にっと笑うと拳を突きだした。視界に入るそれに困惑して顔をあげる。分かっていない様子のちおに翔太は無言で更に突き出した。

 彼女は彼の言葉を半信半疑で捉えていた。それは彼に対するものではなく自分に対するもの。だが然し嘘をつけない人間である翔太の言葉は、ちおに一つの勇気を与えてくれた。

「ありがとう」

 拳をつくり、軽く突き合わせた。

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