モノクロのエリカ

白銀隼斗

第1話

 この世には一つの理がある。

 太陽と月。

 光と闇。

 正と悪。

 いや、正と悪に関しては間違っている。どちらも正義であり、対にはなりえない。なるとしたらそれは正義を信じてやまない者の主観だ。

 敵と味方、この世とあの世。とかくこの世界には対がある。光が灯る場所には必ず闇ができ、闇が射す反対には光がいる。それが均衡を保ったものなのか、はたまたいがみ合い憎しみ合っているものなのかは分からない。



 春の夕暮れに高校生初めての登校を終えた少女が歩いていた。くせ毛のウルフカットは綺麗な金色で、大きめの瞳は数時間前と同じ空色。首と腕と右脚に包帯を巻いており、耳には幾つものピアスが軒を連ねていた。

 一人静かに歩いていく。一つ溜息を吐いた。

 彼女、洞鶏ドウケイちおは家の都合で地元から離れていた。入学したのは市立襟央エリナカ高校。偏差値は少し低いが極々普通の学校で、特筆すべきものは何もない。ただ一つ言えるとしたら、何もないが故に影が薄く地元の話題にもならない。平凡、その言葉が一番似合う学校だった。

 勿論生徒たちも普通で秀でた者は特にいない。いじめが起きる事もなく、常に真っ白で平坦な道筋。少しでも個性のある人間はその空気に耐えられずすぐに転校するなんて噂もあるが、それすらも大きなものにはならず、言ったところで「そんな話あった?」とママ友達が首を傾げるだろう。

 そんな平々凡々な学校のなかでもちおは少し嫌な気分でいた。全員が同じような調子で、全員が絵に描いたような優等生。まるで量産されたロボットのようだった。

「私、馴染めるかな」

 彼女はどちらかと言うと個性がある方だった。悪い意味でだ。

「まあ、いいか」

 半ば諦めたような気持ちでアパートに帰った。別に声の大きい人間がいるとか、意地悪な人間がいるとか、自分の身が縮むような環境ではないしゆっくりと馴染んでいけばいいと鞄を置いた。

 女子高生らしい部屋の中心で制服を脱ぎ、いつもの青いパーカーを被った。ズボンは履かず重たい鞄を引き寄せながら座った。

 さっさと課題を終わらせてしまおう、特別頭が悪い訳でもない彼女はペンケースを開き机に向かった。暫く時間が経って一息吐く。手元にあるスマホを見ると既に夕方の六時を過ぎていた。

「お腹すいた」

 立ち上がって小さな一人用の冷蔵庫に手をかけた。しゃがみこんで中身を見る。少し悩んで扉を閉めた。

「カップラーメンでいっか」

 電気ポットに水道水を注いで沸かし始める。そのあいだにカップラーメンの袋を脱がして蓋を半分まで引っ張り上げた。

 ラーメンを啜る音とスマホから流れる動画の音が暫く続いた。汁まで飲み干して一息吐いたが少し足りない気がした。

「おにぎり買いに行こうかなあ」

 お腹をさする。比較的大食らいな彼女にとって、カップラーメン一杯は不満足な食べ物だった。

 ついでにアイスとかちょっとしたお菓子とかも買おう、ショートパンツを履きブーツに足を通した。

 近所の某有名コンビニエンスストアに行き、かごにおにぎりやお菓子を入れた。

「このぐらいでいいかな」

 あまり沢山買うとまた太ってしまう。軽く頬を撫でてレジに並んだ。

「ちおちゃん、学校はどう?」

 バーコードを読み取りながら二十代前半ぐらいの女性が話しかけた。親と繋がりのある人で、ちおが引っ越しする際に色々と手伝ってくれた。どうやらすぐそこの大学に通っているらしく、ミスコンにも優勝したという話がある。とても綺麗で優しい顔立ちだ。

「うーん、まあまあかな。まだ分かんないです」

 微苦笑を浮かべて答えた。女性、張間は「そうよね。ごめんね訊いちゃって」と笑みを見せた。物腰柔らかで包容力のある性格にちおは酷く懐いていた。

「いやいや、ワクワク出来ない自分がただおかしいだけで……」

 目線を落とす。張間は少し見つめてから身を乗り出した。ぽんっと細い手が少女の頭を撫でる。

「おかしくなんかない。ちおちゃんはいい子だよ。素直ないい子」

 ふっと向けられた微笑みにちおの双眸は潤んだ。慌てて顔をさげてごしごしと眼元を拭う。泣き虫な自分があまり好きではないからだ。

「あ、ちおちゃん。お客さん来たからまたオフの時にお話しよう」

 張間は彼女の後ろに並んだ客を一瞥し優しく促した。ちおもまた後ろを少し見る。そこには同い年か一つ二つ上か、とにかく同年代の少年が立っていた。

 長めの黒髪に垂れ目。瞳は綺麗な赤色をしていた。すらりとした立ち姿とその美麗な顔立ちに軽く眼を奪われた。すると視線を感じ取った少年が気付く。眼が合った。

 慌てて逸らそうとしたがその前に微笑まれた。魅力的な笑みに身体が熱くなる。張間の声に札と小銭を取り出すと袋を持って逃げるように立ち去った。

 張間は驚きながら眼で追った。手元に残されたレシートを見下げ、不要の箱に入れた。いつもの営業スマイルを見せて少年を促した。

 家に帰ったちおは大きく息を吐き出した。

「凄いイケメンだったな」

 滅多に見ないぐらいの美人だった。ただ顔が整っているという訳ではなく、彼には何か引き寄せるものがあった。言い換えるのならオーラ。芸能人などが纏っているオーラと同じだった。

 今日一日の不安や憂鬱感はどこかへ消えた。もし彼が近所に住んでいるのなら、またどこかで出会えるかも知れない。そう思ってしまう程に印象深い人物だった。

 おにぎりを平らげ満足したちおは風呂と歯磨きを済ませた。然し剃刀で軽く皮膚を傷つけてしまい、小さく舌打ちをかました。昔から怪我をよくする子で痛みや血には慣れていた。だが面倒な気持ちは残っているどころか歳を重ねるごとに増えていく。絆創膏を貼って眠りについた。

 ちおは教室の片隅で驚きに染まっていた。

「佐竹山かおるです」

 転校生として入ってきたのは以前コンビニで出会った少年だった。宝石のように綺麗な赤い瞳がふっとこちらに向いた。びくりと肩を震わせて反射的に視線を外す。

「それじゃあ佐竹山、洞鶏の隣にある席を使え」

 男性教師の声に足音が近づいてくる。かおるは周囲の眼を奪った。男も女も関係なく。

「前にコンビニにいた子だよね?」

 席について教師がHRの続きをしはじめた時、彼はちおに向かって声を潜めた。話しかけられた彼女はすぐに反応できず、身体を斜めにしてあだのうだのと唸った。視線が泳ぐ。

「凄い特徴的な子だったから覚えてるんだ。よければ僕と友達になってくれない?」

 程よく低い、落ち着いた声音だった。まるで怯えた子猫のようにかおるを見て、小さく口を開けた。

「私で、よければ」

 彼はふっと微笑んだ。

「じゃあよろしくね。ちおちゃん」

 どきどきと心臓が波打って一時限目どころか、二時限目でさえ頭に入ってこなかった。

「へえ、一人暮らしなんだ」

 昼休みが始まり、ちおはいつもの通り一人で屋上に向かおうとした。然しかおるに呼び止められ、結局一緒に食べる事になった。ただ屋上という場所だけは変わらず。

「うん。あのコンビニでバイトしてる、張間さんって人に色々世話してもらって、家賃も払ってもらってるの」

 少し声が震える。緊張して上手く物が飲み込めない。こんな感覚ははじめてだった。

「優しそうだもんね、あの人」

「うん。凄く優しい。ここじゃあ張間さんぐらいしか知ってる人がいない……」

 自分で作った弁当箱を見つめる。極々普通で少し炭水化物が多いぐらいだ。

「……ならこれで二人目になるね」

 えっと顔をあげる。赤い瞳と眼が合って背けそうになったが不思議と動かなかった。

「他にも教えてよ。ちおちゃんの事。勿論僕の事も教える」

 柔和な微笑。もはや幾ら表現しても無駄なぐらいに綺麗なものだった。不思議と緊張がほぐれて肩から力が抜ける。

「なら、かおる、くんは誰かと住んでるの?」

「いや、僕も一人暮らしだよ。去年両親を事故で亡くしてね、兄弟もいないから一人で暮らし始めたんだ」

 あっと声が漏れる。視線を落とした。

「なんかごめん」

 かおるは「なんで謝るのさ」と少し笑った。

「だって、」

 それにまた笑った。

「君は心が綺麗なんだね」

 顔をあげる。横顔は彫刻のように綺麗だった。

「僕は汚れているから羨ましいよ。たまに無神経な事を言って、怒られてしまうんだ。だから親とは仲が悪くて殆ど一人暮らしと変わらなかったんだ」

 ほんの少し寂しそうな色が差し込んだ。腹が減っているはずなのに魅入られて弁当の事など忘れた。

「でも私、自己肯定感低いし、綺麗じゃないよ」

 視線を外した。かおるは一つおいて静かに言った。

「綺麗さ。人の気持ちを理解出来るのは心が綺麗じゃないと出来ない事だよ。君は君が思ってるより素敵な人だ」

 眼を丸くした。もう一度彼を見る。赤い瞳は本当に宝石のよう。太陽光を反射して綺麗に輝く。

 気付いた時には左手を伸ばしていた。あっと驚いて引っ込める。かおるは柔和に微笑んだ。

「対だね」

 不思議な言葉に「え?」と訊き返した。

「眼の色さ。僕は赤で君は青。まあちおちゃんは空色だけれど、でも対になってる」

 ぽかんと彼を見上げた。これが普通の男子だったら何を言っているのかと軽蔑するところだ。然し彼は何を言っても違和感がなかった。何をしても違和感がなかった。なぜこんなにも惹かれてなぜこんなにも受け入れられるのか、分からない感情に軽く眉根を寄せた。

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