第2章 第16部 第6話
炎弥に関しては体験入学と言うこともあり、ある程度期間も長いものでもない。それにあえて順位戦に加わる事も、日常の勝負に拘ることもない。
六家と武家の友好の証とでも考えれば、それほど頑なに拒絶する問題でも無いのだろうが、当然重鎮の中には、その距離に拘る者達もいるだろう。
例に漏れなく香耶乃はそうだ。
何もかも、休息に芹花の思い通りとなっては、彼女の沽券に関わる話でもある。その部分において、芹花は若干苦虫を咬む。
ただ、そう思っていた矢先の事だった。
芹花の電話が鳴る。
旅行中の彼女の携帯電話が鳴ると言うことは、それ相応の事態ということでもある。
芹花は迷わず電話に出る。
「大奥様が……手勢を連れて、失踪致しました……」
女中の一人が、声を震わせながら、この由々しき自他を芹花に伝える。
「お母様は?そう」
どうやら香耶乃だけが、天聖家を出て行ったようだ。それに関しては一抹の不安を覚える。彼女がそうすると言うことは、そのつてがあると言うことだ。
勿論長年にわたり、天聖家に君臨していた彼女である。力の有る伝など、いくらでもあるのだろう。
そして、その際に書庫の幾つかを、燃していったとのことだ。
「やられたわ……」
そこには何が気されていたのか、もう解りはしないが、彼女にとって香耶乃の失踪より、そちらの方が痛手であった。
「大奥様が動くとなると、余り良い結果にはならないだろうね」
「解っているわ。自分の権力が完全に削ぎ落とされないうちに、事を運ぶのでしょうけど……」
「大奥様の中では、あくまで卑弥呼を奉るのは、天聖家でなければならない。そして誇り高くなければならない。軍門に降るならまだしも、武家との和解となれば、その優位性は薄れる。炎皇が倒れれば、君を叱責する理由には十分だったんだろうけど、抑も彼がああいう場面で負けるのは、あり得ないしね」
勿論、香耶乃が自分の意に従った上での、鋭児勝利ならば、彼女もそこまで芹花を疎ましく思うことはなかっただろう。
それが、これまで自分に従順な姿を見せ続けた子に引導渡され、孫に背かれ、それまでの天聖家を真っ向から否定されたため、自尊心の強い香耶乃には、耐えられなかったのだ。
恐らく彼女は、天聖家奪還を近いうちに画策してくるだろう。
「うん……」
芹花は考える。この国には表と裏が有る。表は表の政治を行い、裏は裏の秩序を纏める。燻り続けてきた、武家達の関係に一区切りを付けたことは、抑も大きな成果で有る。
言い換えれば、芹花は豊穣祭の一件を利用したと言っても過言ではない。そこでの武家の出方が当に分水嶺だったのだ。
結果として自分達の望む方向に動いたに過ぎない。
このことについては、筆頭が炎弥であったことが、本当に幸いである。
「御婆様……」
芹花はキュッと、下唇を咬むのであった。
それでも、彼女は踏みとどまらない事を決めた。それでは、母と同じ道を歩む事になり兼ねない。自分の迷いを振り切るように、首を左右に振り、意識を切り替える。
一方、炎弥や芹花達と別れた鋭児は、地元の家に戻ってきた。夏ぶりである。玄関先も手入れされており、千霧を含め、東雲家の使用人が、よく手入れしてくれているのだろうと、その都度感じる。
どうやら大掃除などを大々的にする必要もないのだろうと鋭児は思ってしまう。と言いつつも、年の瀬の一大行事だ。気持ちの引き締めに、結局はそのイベントをやってしまうのだろうと、ふと思ってしまい、思わずクスリと栄美を溢してしまう。
「ただいま!」
玄関先で、声を張り扉は軽やかに引き開けられ、乾いた冊子の音がカラカラと鳴る。
すると、パタパタと小走りに走ってきたのは吹雪である。
「お帰りなさい!」
待ち遠しく、笑みで溢れたエプロン姿の彼女は、まさしく初々しい新妻のようだ。漸く迎えた年の瀬に、二人きりの時間を待ち遠しそうにしているその様子が、何とも愛らしい。
思わずそういう世界観に二人出入り込んでしまいそうになる。
「ただいま……」
改めて鋭児は吹雪と抱擁を交わし、耳元で静かにそう言う。
吹雪は感無量であり、言葉にする事は無く、ギュッと鋭児に抱きつくのである。
「お帰りなさい」
意外にもさらりとした声で、次に出迎えてくれたのはアリスである。なんというか、自分が以前から其処にいたかのような、図々しさというのが彼女らしいが、しかしそこには全く嫌みはなく、何となくしっくりくるのだ。
抑も鋭児と彼女は姉弟であり、本来なら彼女もこの家に居てもおかしくはなかったのだ。去年の冬には思う事が出来なかった感情で、ある意味漸く姉弟が落ち着いて一つ屋根の下に揃ったという感情が鋭児の中に湧いた瞬間でもあった。
「姉さん……」
鋭児は吹雪を抱きながらも、もう片方空いている手で、アリスを招き入れる準備をする。
「あら……」
思わぬサプライズに、アリスも思わず心が浮かれてしまう。
勿論二人は、姉弟以上の関係を築いているのだが、それでもこうして、鋭児が熱望するように、自分との距離を縮めたがっているのは、珍しい。
絶えず、男女か姉弟かの、間を行き交いしているのとは異なり、大事な家族であるという英二の気持ちがより出ている。
鋭児は二人を確りと抱き留めると、それぞれの頬にキスをする。
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