第2章 第16部 第2話
「でも……、依沢があの時、絶対治る!って……言ってくれたから、この目は失わずに済んだんだよね……」
そう、機能しなくなったその目は、摘出されてもおかしくはなかった。
「私はただ……若にこれ以上なにも失ってほしくないと思っただけです」
そう、その目がこうしてあるのは、何も鋭児だけのおかげではないことを、炎弥は知っている。改めて示された感謝の意に、少し心を締め付けられる。
みどりはただ惚気話を聞きたかっただけなのだが、思わぬ家族愛を訊く事になってしまった。
「でも、若はずっと、旦那様の事ばかり、口にされるばかりで、私は少々捨てられた気分でした!」
「そ!そんな!依沢!せっかく良い感じで締めたのに!」
依沢は、つんとして炎弥から顔を逸らして大人げなく拗ねてみせる。それに対して炎弥は大いに慌てるのだ。
二人の忌憚ない関係に、思わず誰もがクスクスと笑いを堪えきなくなる。
「良いわね……こういうのも……。腹の探り合いのない、本音の言える集まりも」
芹花は言葉余り発していないし、卑弥呼の胸にある痣の事も、探り事とは言えなくないものだが、それでもそれは卑弥呼を疑ってのものではない。
鳳家との関係性を知りたかっただけである。
焔の胸の谷間にもそれはあるし、アリスの肩にもそれはある。いわゆるそれは治療痕ともいえるし、力の恩恵を受けた者の証と言える。そしてそれが系譜によって受け継がれるというのなら、卑弥呼の子にもまたそれは受け継がれるのだろう。
「ところで、卑弥呼様はそのカイ君とやらと、なさったわけですか?」
そして、まるで桂馬飛びのようにぶち込まれた発言がそれである。
「え!?な?え?芹花さん?え?」
卑弥呼は途端に慌てふためく。否定とも肯定とも取れないそれは、一同の注目を浴びる。ただし、みどりだけは澄ました顔をしている。
彼女の肝は可成り据わっている。火縄の一件以来、それはますます顕著となったともいえる。
「かかかかか……カイ君とは、その……その……ですね?えと……ねぇ?みどりちゃん?」
「私は、一人前の女将と板前になるまで、子共はできないようにしようね!って快晴とは、ちゃんと約束してるし……」
「では、みどりさんは、何れカイ君とやらの子を?」
「当然です」
「どこぞの、泥棒猫はどうするんです?」
卑弥呼を泥棒猫呼ばわりする芹花の毒づきは、流石の炎弥も肝が冷える。
「ふふー。快晴には、黒野の兄さんを目指してもらいます」
「へぇ……」
妙に胸を張って威張り散らすみどりに関して、芹花はなかなか関心深い視線を向ける。さし差し詰めみどりは、焔ポジションに収まるのだろう。
「みどりちゃんと、私はその……ずっとお友達……ですよね?」
「もちろん!私もね。あの時から、ずっとずっと、ミコちゃんの事が気になってしかたがなかったんだ。だから、再開出来たときは嬉しかったし。もう会えないのかなって思ったら、凄く寂しかった。なんだか心の何かが、すっぽり抜け落ちちゃったみたいで……」
みどりは本当にほっと胸を撫で下ろすのである。それは何も、快晴と卑弥呼の感情的な関係だけの話ではないのだろうと、芹花は見て取る。
「いいなぁ。離れても尚繋がる絆……みたいなの。芹花さんと聖さんも、なんだかそんな感じだよね?」
「そうね。確かにどこぞの良家の馬鹿息子に、赤い糸を結びつけられても、ピンとは来ないわね。一目惚れという訳ではないでしょうけど、公私ともに彼がないと、天聖芹花はこうして、温泉なんかで、話の花を咲かせる人間には、なってなかったわ」
それこそ、香耶乃の操り人形になっていたのだろうと思うと、芹花はゾッとする。
「でもまぁ。話は戻すのだけど、矢張り今のままの彼では駄目ね。炎皇にもう少し時間があれば、彼の目を覚まさせる事も……いや、いえ。そういえばいい材料があったわね。私も聖も彼のそういう部分を高く評価しているのだし、貴女たちは、炎皇戦と炎弥戦を見てないわよね?」
みどりはそれを言われると、首を横に振る。
能力者同士の試合など、一般庶民である彼女達に見せることなど、あってはならないのだが、二人が学園に在籍すると決めた以上、そして、その目的をより強いものにさせる以上、それは必要だと思った。
「ボクと黒野君のは……、どうだろう?」
「私は、貴女の戦う姿勢は好きよ。その身体を押してなお武家最強と自負する心の強さ。決して歩みを止めない、その直向きさ……」
「や!やだなぁ!芹花さん、褒めすぎだよ!恥ずかしい!やめてよ!」
炎弥は本当に恥ずかしげである。菱家では炎弥を見守り、彼女の強さを称えつつも、それはまり口にされないことだった。
歯の浮くような敬意を示されたことのない炎弥は、本当に、体中がむずがゆそうだ。しかも身内の評価ではなく、卑弥呼にすら辛辣な言葉を浴びせる彼女の評価となれば、尚のことである。
そして、あやくバランスを崩しかけて、湯の中に沈みそうになるのだった。
「もう!若!お気をつけ下さい!」
「はは!ゴメンゴメン!」
みどりは改めて炎弥を見る。左手と両足を失い、仮初めの手足を用いて尚、鋭児と向かいあったのだと知ると、胸の奥が熱くなる。
「あれはとても素晴らしい試合でした」
卑弥呼もまた、二人の名誉をかけたその一戦に、再びその感動を胸に呼び起こしている。
「ともあれこの泥……いえ、卑弥呼様のおそばに相応しい殿方となる上で、目指すべき座というものもあるのではないでしょうか?」
「芹花さん!?なんか、最近特に酷くないですか!?」
卑弥呼は自分の扱いがどんどんぞんざいになりつつある芹花に対して、思わず物申したくなるのだった。
「これは失礼」
片目を開けてチラリと、卑弥呼を見やるのだが、そこには謝罪の姿勢が全く見られず、それ以上に彼女をあしらっているようにも見える。
しかし、それは炎弥から見れば、解る気がするのだ。
卑弥呼は今まで蝶よ花よと育てられ、彼女もまた自らの言葉を発する事も無かった。だが、彼女がその地位を引き継ぐと決まったとき、彼女が神棚に祀られる人形ではなく、人として言葉を発し、皆と共に歩むのだと、また自らそれを心に決めたのだ。
芹花の態度はその表れである。
人として生きるということは、他人にやり込められるという事ではない。
言葉には言葉で返し、態度では態度で返す。そして冗談には冗談で返す。実に当たり前の所業がある。
一見辛辣に思える芹花のそれには、十分な愛情があり、その実殆ど棘などはない。ただし、卑弥呼をからかうことを少々楽しみすぎである嫌いはある。
「私も、その一戦?二戦?見せてもらえませんか?」
「解りました。お風呂上がりにでも、私の部屋でお見せしましょう」
そう言いつつ、芹花は颯爽と立ち上がるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます