第2章 第15部 第19話

 女将は修行不足に思わずため息をついてしまうが、これもまた後学のためであると、特に彼女をその場で叱りつけることはない。


 「え……く……黒野君が?え?仕事だって言ってたけど……え?」


 炎弥がソワソワとしだして、途端に乙女モードに入り始める。


 「御舘様。落ち着いて下さい。まずはお部屋の案内を済ませてもらいましょう」


 岳獅が炎弥を宥める。

 

 「う……うん。そうだね」


 そう言いつつ、炎弥は手を震わせながらスマートフォンを取り出し、鋭児にメールを送り始めようとするが、落ち着いていない手さばきでは、なかなか思うように手が動かせず、打ち間違えては無駄に文字を多く消してしまったりと、行動と言動が全く釣り合っていない。


 「若……電話の方が早いんじゃないですか?」


 「う……うん」

 

 「ダメダメ!せっかく菱家で、楽しくお出かけなんだから!お父さん許しませんからね!」


 黒羽がそういった瞬間、依沢と火縄に、殴られ首を絞められてしまう黒羽だった。


 「いや、親じゃねーしな!」


 完全に親馬鹿な黒羽に対して、火縄はツッコミを入れずにはいられなかった。

 

 何とも騒がしい一同である。その横で、みどりが女将に、頭を一つノックをするのであった。

 

 スマートフォンを片手に鋭児に電話をしつつ、ソワソワとした炎弥を筆頭に、一同は部屋に通される。


 そしてみどりとかいせいの違和感は続く、其れは部屋割りである。


 一見して女性は依沢だけであり、彼女のための別室だと思われていたのだが、炎弥と彼女がそちらへ案内される。二人はどう見ても姉弟ではない。であるなら、将である炎弥とそのお着きである依沢、他三名という構図なのだろうか?と思うのである。


 そうなるとみどりは、夜の世話をする年上の依沢と若き炎弥という構図を妄想してしまうのだが、炎弥が鋭児に夢中ということは、彼は両刀遣いなのか?と、そして鋭児と連絡先を交換しているということは、鋭児も?と、みどりのワクワクは止まらない。

 

 男性陣の案内は、快晴が行っている。


 「あ!出た出た!黒野君!?ボク!うん。えっと……実は……ね!?」


 炎弥の弾む声から彼が、どれほど鋭児に夢中であるのか、緑にはよく解るし、其れを見て依沢はクスリと笑っている。楽しそうな炎弥は多々見ることはあるが、これほど浮かれきっている彼女を見ると、微笑まずにはいられないのだ。


 「うん!ロビーで!うん!」


 鋭児との約束を取り付けた炎弥は慌てて携帯電話を切る。


 「依沢!ごめんね!ちょっといってくる!」


 「はいはい。説明は此方で受けますので、さっさといってらっしゃいませ!」


 見送る依沢を余所に、炎弥は慌ただしく小走りに駆けて行く。義足である炎弥は普段それほど、その部分に気を込めている訳ではない。集中力も整っていないため、幾度か脚を縺れさせ、転びそうにリながらも、ロビーに姿を現しキョロキョロと鋭児を探し始める。


 すると逆方向から鋭児が、ゆったりと歩いてやってくる。ただ、ロビーに到着すると、彼も炎弥を探し始め、炎弥は其れを見つけることが出来た。

 

 「黒野君!」


 「ああ……いたいた」


 大喜びの炎弥に対して、鋭児は可成り冷静である。ただ、自分に対して向けられる余りに無邪気な笑みを見ると、矢張り鋭児もクスリと微笑みたくなるのだった。

 

 「とと……」

 

 脚を縺れさせつつ、鋭児の前に駆け寄った炎弥は、俄に流れる客足にも構わず、ハグ全快で鋭児に抱きつくのだった。

 

 「廊下走っちゃダメっていわれなかった?」

 

 少し意地悪かったが鋭児は炎弥の無邪気さに、笑いが止まらず、抱きついた彼女を蹌踉ける事も無く、僅かに背を逸らして勢いを収めつつ、彼女を確りと抱きしめる。


 「ああ……そうだった。ボクとしたことが……。でも、居ても立ってもいられじゃいじゃないか!」

 

 「いくら何でも、偶然が過ぎるけどね」


 「ああ、それ?ほらウチの火縄がね?」


 「ああ。そうか……快晴と……で?」


 「お正月前に、少し慰安旅行っていうのかな。収入もあったし、一つ仕事も終えたし、それで火縄がここがいいって」


 至近距離で眩しいまでの笑顔でニコニコと微笑みながら話す炎弥は、本当に可愛らしい。ただ格好が軍服姿であるため、完全に男子同士の道ならぬ関係に見えるし、どちらが受ける側になるのか?となると、其れは想像に難くない。


 若干異質なこの空気に、誰も触れることはなかったが、当人同士は男女であるため、当然その認識はない。


 鋭児はただただ、炎弥が可愛い。彼女の腰を引き寄せたまま、その頭を思わず撫でてしまう。


 「帽子落ちてるよ」


 「おっといけない」


 それでも、炎弥は鋭児から離れることはなく、チラリと足下に落ちた帽子を視界に入れる。


 どちらが大事か?などというまでもない。

 

 「お客様。落ち着いてお話しをされるなら、お席へ行かれては如何ですか?」

 

 女将は、ロビーに設置されているサロンに案内しようとするが、炎弥は首を横に振る。


 「黒野君の部屋……いこ?」


 そういった瞬間、炎弥は忽ち乙女ぶりを発揮して、頬を赤らめ、唇を艶やかに光らせる。

 

 「あ……うん」

 

 炎弥のその反応に、女将もクスリと笑う。

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