第2章 第15部 第15話

 そして、ここにきて安定的に勝っているのは、静音である。吹雪のような底の知れ無さという意味ではないが、彼女の攻守一体の布陣には、誰も手が出せなくなっていた。


 勿論彼女の場合には、生命線となる呪符が必要となるのだが、だからといって吹雪が行ったように、全てを一瞬にして無効かされるようなことなどは全く無く、もっと言えば破壊されて精々数枚、しかも攻撃に使った呪符のみであり、その防壁を全く破壊されることがなかった。


 彼女自身の気の出力は、それほど高い訳ではない。


 だが、抱えている気の総量は、間違い無く周囲と一線を画している。そして失われずに、上から気の重ね掛けをされた護符は、回を重ねるごとにその強度を増している。


 それはまるで、重ね塗られた漆のようだ。

 

 そんな静音は、本当に珍しく、鼬鼠の前に姿を現していた。


 しかもそれは、すっかり灱炉環との愛の巣になってしまっていた風皇の間の前での事だ。


 「どうした……」


 灱炉環に通された静音に対して、少し気まずい雰囲気を醸し出す鼬鼠。


 その頃の彼女の頭髪は、すっかりと白銀に染まっていた。もう以前の静音ではない。


 「これ……」


 静音は鼬鼠の前に護符を出す。


 立派な護符だ。気が練り込まれた立派で熟成された完成度だ。静音が化けた証でもある。だが鼬鼠はその護符を見て静音が何を言い出したいのかよく解った。


 そして、此ばかりは師として仰いでいる吹雪に相談するわけにはいかなかったのだ。


 その横で、灱炉環はドキドキとし、少し不安に胸が苦しくなる。灱炉環はあまり知る事はないが、そこには以前の尻込みしていた静音はもういない。


 静かで大人しい彼女ではあるが、自分の成すべき事を確りと胸に秘めているオーラがある。


 「紙が悪い……」


 「そうなの……」


 「氷皇戦に向けて……か?」


 鼬鼠がそれを察すると静音はコクリと頷く。


 「吹雪さんには、ずっと見てもらってる。だから私の癖も弱点も見透かされてる。でも!」


 「一矢報いるにしても、この札じゃ弱すぎる……だな?」


 そしてもう一度静音はコクリと頷く。


 二人は決してよい縁の切り方をしたわけではない。鼬鼠が傷つけ、静音がそれに反意を示した。婚約前ではあったが、その約束も反故になった。


 鼬鼠の事を「嫌いだ」と嫌悪した。そして其れが自分自身で初めて出した本気の声だったのだ。


 鼬鼠は苛ついた。まるで人形のように、鼬鼠家のため、東雲家のため、そう躾けられ育てられ、其れを当然のように、育てられた静音に。


 今であるなら、その関係も受け入れられようが、其れは既に過去の事だ。互いにはパートナーがいる。そしてそれが互いを変えた事も確かだ。

 だからこそ、今こうして幼なじみとし、友人として向かい合えている。

 

 突然のようではあったが、それだけ静音が、その事に真剣なのだ。

 それは鼬鼠家のためでも東雲家のためでもない。彼女自身が吹雪に見初められ、そこにやりがいを感じたからだ。彼女自身自分が変われる最大の切っ掛けになれると思ったのだ。

 

 「いい霊木がいる。そこから梳き出した良質の紙がいる。職人に梳かせるのもいいが、最初からテメェの気が練り込まれている方がいい。全部は無理だが、基点となる防護府六枚、攻撃符六枚。どれだけ不格好でもいいが、其れが最低ラインだな。そして、テメェにはそれだけしか、時間がねぇ」

 

 鼬鼠の優れているところは当にこういう所だ。


 「迂闊だった……」


 「ああ、大間抜けだな。俺もお前も……」


 「そんな……」


 「まぁ、ちょっとぬるま湯になれすぎちまったかな……」


 そう言って、鼬鼠は自分の膝上を二度ほど叩き、灱炉環を見る。そして、すぐに動かない灱炉環をじろりと睨む。


 それは決して自分の言うことを聞かない彼女に苛立ちを覚えているわけではない。静音という存在に、自信の無さを示している彼女にだ。


 「翔……くん……」


 日常からそう呼んでいる。後にも先にも彼をそう呼べるのは灱炉環だけだ。静音は思わずクスリと笑いたくなってしまう。


 そして鼬鼠は、静音に視線を合わせることが出来ず、完全にそっぽを向き、灱炉環のそれに怒りを示すことすら出来ない。


 そして、申し訳なさそうに、チョコチョコと歩み寄り、鼬鼠の膝上にストンと灱炉環が腰を下ろすと、鼬鼠は彼女の肩を抱き、彼女の頭に頬寄せ、その香りを堪能する。


 実に心が穏やかになれる彼女の香りだ。何よりその体温が愛おしい。

 

 「最高の霊木……か、解った姉貴には伝えとく」


 「宜しくお願い致します」

 

 静音はペコリと頭を下げるのだった。そして静音は、鼬鼠の部屋を後にするのであった。


 「翔君…」


 「バカ……余計な心配してんじゃねぇよ」


 「はい……」


 鼬鼠はもう一度膝上の灱炉環の頭を引き寄せて、抱えた彼女の頭頂部にキスをするのだった。

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