第2章 第11部 第13話

 現状炎弥に戦意がないのは、誰が見ても明らかで、年下の彼がここまで涙に暮れる姿を見せられてしまうと、流石の風雅もやりにくくなってしまう。

 

 況してや卑弥呼の前である。

 

 本来顔すらあがめることの出来ないその少女が目の前にいるという事実を忘れてはならない。なにより、その卑弥呼が一番お人好しに、炎弥に共感してしまっている。

 

 卑弥呼は、鋭児から一歩二歩離れ、炎弥の手にある文をそっと受け取る。


 「この文は私が預かります。風皇殿も炎皇殿も、それでよろしいでしょうか?」


 卑弥呼にそう言われてしまっては、風雅としては、返す言葉も無いし、鋭児は炎弥が心配でならない。何より親を亡くした彼に、すっかり同情してしまっている。

 

 「はぁ……どうすんの?鋭児君これ……」


 「どうもこもう……そういや、さっき風雅さんなんか言ってませんでした?」


 「いやまぁ、この場でちゃちゃっと雌雄を決して、追い返しちゃえばいいじゃん……て……」


 余り深い考えはなかったようだ。


 取りあえずはまず炎弥を追い返して、武家の士気を半減させた後に、あとは豊穣祭で、天聖家に少々お灸を据えることが出来れば良いと、風雅は思っていたのだ。


 「例のその……呪い?は、豊穣祭の後に、聖が文献漁るっていってたし……まぁ……正直、どっちにしても、豊穣祭の後かなって流れだったじゃん?」


 「まぁ……」

 

 それに関しては、可成り聖任せなのである。

 

 本来武家の人間の前で、この話をするつもりなどなかったのだ。

 だが余りにやるせない。

 

 鋭児は地面に捨てられた、炎弥の手袋を拾い、砂を払う。


 だがその前に鋭児は炎弥の余りに細い手を取り、指先を両手で包む。そして真言を呟くのだ。

 

 「心の傷まで、癒えるとは言えねぇけど……」


 「黒野君……」

 

 鋭児とてこの状況をどうすれば良いのか、全く整理が付かない。焔の時のように我武者羅になれない自分がいることに気がつく。以前なら困っている炎弥のために、何が何でも動くという選択肢があったはずだ。


 逆に言えば、それだけ自分に守るべきものが出来たということでもある。せめてこうして、彼の傷を、少しでも癒してやりたいと思っている。

 

 「炎弥、本当に武家は引けないのか?」


 「ゴメン……まさか、彼女が表に出るなんて思ってなかったんだ……」

 

 卑弥呼が見つかった。直接話が出来た。だから、襲撃は中止にする。今更それでは収まりがつかない。嘆願書が届き、陳情が聞き届けられればそれでよいという次元ではなくなってしまっている。


 積年の恨みのはけ口となり、一矢報いる場となった今では、自分への制裁だけでは済まず、指揮を執らなくとも、各自の判断で行動を起こしてしまうのは、目に見えている。

 

 「だから、そっちは天聖家に薬を付けるつもりで、まぁいいじゃん?元風皇のオレ様がそう言ってんだし」


 風雅はノリが軽い。ただそれは彼も普段から、天聖家に対して思うところがあるからだろう。


 一同は沈黙する。

 

 「少々無理があるかもしれませんが……」

 

 卑弥呼が口を開く。

 

 「たとえば、なにか報償に価する、催しなど開くことが出来れば……」

 

 彼女が何を言い出すのか?と、一同卑弥呼を見守る。


 「確かに、何事も無く無事に済むことが一番なのですが、既にそうも成らないようですし、そうですね……」

 

 卑弥呼は口元に手をあてがいながら、懸命に考える。そして再び口を開く。

 

 「継承式完了の直後……まぁ正しくは成人式なのですが……その時、私が新しい卑弥呼となります。せめてその直後。私の所まで辿りついて下されば……。ですが、重々多くの血を流さぬよう、尽力して頂ければ……」

 

 「いやいや……茶番とか、無理ゲーっしょ」

 

 「風皇殿が、雌雄を決すると仰ったのですよ!?そう、なにかこう……それに価するものは……」

 

 「いや、卑弥呼様……それは揚げ足取りと……」


 「勅命……そう此は勅命です!私は決めました!神輿の飾りのように、ただ祭り上げられるだけの空虚な殿上人などではなく、皆と並び、ともに歩む新しい卑弥呼となるのです!卑弥呼の命にて、なんとしても困っている人達を一人でも多く助けるのです!」

 

 「もう、暴君っしょそれ……」


 風雅の狼狽に鋭児も苦笑いをする。こんな状況だというのに、殺伐とした空気が弛緩し始める。急に握り拳を作りながら、それを胸元で必死で振って力説する彼女がなんとも滑稽でならない。

 

 「で……具体的にどうされるんですか?」

 

 黒羽が近寄ってくる。すると、鋭児は炎弥の手を引きながら、彼と黒羽の間に入り込み、僅かに睨み下ろす。炎弥に対しては警戒心を見せない鋭児だが、黒羽に対してだけは殺意を隠さない。

 

 そこまでのことをしてきたのだから、当然だとは思っていたが、主人が好かれその部下の自分が、この扱いとはなんとも複雑な気分な黒羽だった。

 後頭部を掻きながら、自分自身のやり場をなくしてしまう。

 

 「黒野君……手……強く握り過ぎ……」

 「ああ……悪い」

 

 炎弥の手は本当に華奢である。確りとしてはいるが、線の細さは否めない。鋭児は炎弥の手を強く握るのをやめ、その手を離す。


 しかし痛いと言っている割には、炎弥の手はなんとも名残惜しそうなのだ。そして再度治療をするために、自分の手を差し出し、再び優しく鋭児に手を取ってもらうのである。

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