第2章 第11部 第11話

 なるほど、黒羽は彼を思い、焦りを見せていたのだろうと、鋭児も理解する。鋭児はそれを察し黒羽に視線を向けると、彼は鋭児から視線を外した。


 彼は炎弥があまりにも居たたまれないのだ。


 そして、恐らく炎弥の怪我は、その時のものなのだろう。


 左半面に大きな怪我をし、両手には手袋をはめている。綺麗で真っ白な手袋の下には、彼の焼けただれた両手があるのだろう。

 

 十二年前……そう、それは鋭児が事故に巻き込まれた年でもある。炎弥が呪いに巻き込まれてしまった結果であるなら、余りにも不遇だ。

 

 「大丈夫です。俺が死んでも行かせませんよ」

 

 黒羽は漸く立ち上がる。

 

 「ダメだ!征嵐……それは……ダメだ」

 

 炎弥は卑弥呼ではなく鋭児から目を離さない。彼の動向が全てを決める。そして今の黒羽なら、まさに命を賭して鋭児を止めにかかるだろう。炎弥は彼を失いたいとは思っていない。


 黒羽その覚悟は、当に卑弥呼を攫うための覚悟だった。


 いや、だからこそのタイミングなのだと黒羽は思うが、黒羽が気に入るように、炎弥もまた鋭児を気に入っている。


 二つを失うには、炎弥の心は優しすぎた。

 

 卑弥呼は考える。


 どのみち武家の強襲を止められないのだとすると、彼の言い分は何一つ通らない。


 そして本来それは、自分が考えることではなく、天聖家が対処すべきことであり、権限は自分にはない。


 そしてそれは此まで当然のように行われてきた慣習である。

 

 しかしどうだろう。


 今自分がここに立っているのは、その慣習を破ってのことだ。とどのつまり自分の為には、その慣習から抜け出している。


 そしてただ一つの思いから、持てる限りの思いを伝え、帰路に就こうとしている。

 

 その為に、聖や吹雪に危ない橋を渡らせている事実がある。

 

 蜂起した武家に対しての事は、言い換えればそれまで自分達が「その後」に対しての配慮が足らなかったからでもある。


 自らのために精一杯あがいたと言うのに、目の前の彼に対しては、手すら差し伸べない。何という浅ましいことだろう。なんと言うことはない、権利を放棄したといい、都合良く守られ続けているだけのことではないか。

 

 

 世間知らずにもほどがある。

 

 確かに武家は、卑弥呼の家系を脅かそうとした過去がある。それを全て水に流す事も、難しいのだろうが、今はそれを他人、つまり天聖家に任せきりになっている事実がある。


 同時に、軽々しい発言の一つ一つが、自然に周囲を惑わせる要因になり兼ねないことで、彼女達は多くの事に口を噤んできた。

 

 言葉を返さない鋭児に対して、炎弥は眼力だけで訴え続けている。

 鋭児の結論は一つ、背中に預かっている卑弥呼を守る事だ。彼女に何かがあれば、かいせいもみどりも悲しむことになる。

 失えば、吹雪がまずその責めを受ける。

 

 彼女のことだ。その事自体は覚悟の出来ていることだろうが、だから良いという訳には行かない。

 鋭児は唇を噛みしめる。

 

 炎弥は背後の黒羽に少し視線を送る。


 黒羽は決して弱い能力者ではない。武家の中で考えれば彼は腕の立つ方であり、戦略家だ。


 ただ今回は鋭児の指摘通り、戦闘における地固めを何もしていないし、彼の体力が続かない理由は、他にもあった。

 

 「んなの、雌雄を決するしかないっしょ」

 

 突然そんな声が聞こえる。

 

 それと同時に、秋に相応しく、実に涼やかで爽やかな風が、鋭児達の所に吹き込んでくるのだ。それは煮詰まった思考を解きほぐしてくれるような、心地よさだ。

 

 炎弥と鋭児は、鋭児の右側を見る。


 すると、そこには宙を軽い足取りで歩く風雅がいた。

 

 「風雅さん……」

 

 鋭児は僅かに、身体の緊張を解く。しかし、炎弥は真逆だ。素早く風雅に向き直り、腰を低め、鋭く構える。

 

 「なーんか風の噂でね……」

 

 などと、自分の属性に引っかけた冗談を口にしながら、ストンと鋭児の側に降り立つが、炎弥には、全く関心が無いといった様子である。


 「んで、それが卑弥呼様ってことか……」

 

 「はい」

 

 炎弥はたらりと、大粒の冷や汗を一粒流す。


 鋭児だけでも厄介だというのに、それ以上に手強いとされる、天海風雅が現れたのだ。歴代及び現役でも最強とされる彼である。


 仮にこの二人を同時に相手にしなければならないとなると、まるで太刀打ちできない事は、彼にも十分解ることだった。


 寧ろ風雅だけでも厄介である。

 

 「雌雄を決するって……」

 

 鋭児にはイメージがわかない。今は卑弥呼を守る事が最優先である。だが同時に、炎弥の悲しげな表情に、鋭児は躊躇っていたのだ。


 そして卑弥呼も、ただこの場から救われるだけが、重要なのではないと感じている。

 

 「俺も霞様や、蛇草さんに迷惑を掛けたくはないんだけどさぁ。なんてかほら、天聖ってちょっとイラってくるなぁって思っててさ……」

 

 鋭児はそれを咎めることはなかったが、仮にも敵将の前でその発言をするのか?と、彼の緩さに若干困り果てる鋭児だった。


 鋭児は天聖家の事を詳しく知っているわけではないし、と書く吹雪を呼びつけて彼女を困らせている、お家だという認識くらいである。


 勿論呪いの件はあるが、それだけで思考が煮詰まっているわけではなく、古き家々にあるくだらない仕来りや誇りがそうさせているのだとは思っている。

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