第2章 第11部 第6話

 そう、彼女にはその未来が見えないのだ。


 大人達が慌ただしく動き、また人が多く、自分に対する注意が緩んだ機会を狙って、外へ飛び出したのである。


 勿論、彼女の脱走を手助けした者達の甲斐あっての事でもある。


 そして、騒ぎになるまでに、戻らなければならない。その猶予が明日の昼間でだった。

 

 「えっと……歩いて楽に四時間かかるけど……」


 「最後の……お散歩ですね。炎皇殿と……」

 

 「オレで良かったんですかね……」


 「あ……いえ。そんな意味では……」


 「いや……」

 

 会話が若干かみ合わない。互いに遠慮と深読みで、若干気まずくなってしまう。

 

 「先生が炎皇殿の事ばかり話しておられましたので」


 「あぁ……」

 

 つまり、卑弥呼は鋭児という人間を知りたかったのだ。吹雪が卑弥呼に自分の事をどのように話していたかは解らないが、彼女の態度から、アイク印象があるわけではないようで、ただ、吹雪という共通の人物を介したところで、若干卑弥呼が、恥ずかしそうに鋭児をチラリチラリと見始めるのである。

 

 「そ……その、炎皇殿は、随分多くの奥方候補がいらっしゃると……」


 「はは……」


 否定は出来ない。吹雪がどこまで話しているのかは、若干不安になる鋭児だった。


 「なんていうか。家族……ですね。オレにとって、切り離せない人達です。焔サンに優柔不断だっては怒られますけど、俺にそうさせた張本人ですしね。俺もなんでこうなってるのか解らないですけど、幸せ……ですね。みんながいると……。ホッとします」


 「家族……ですか……」


 卑弥呼は少し快晴との時間を思い出す。

 彼女の両親は健在と言える。だが、環境がそうではない。生きてゆく中で尤も大事にされたのは、その血統だといえ、一般的に望み見る幸福な家庭環境とはほど遠いものがあった。


 自分には決められたレールを歩く必要がある。


 それでも、その前にどうしても立ち寄らなければ鳴らない場所があった。今回の冒険はその締めくくりと言えた。


 卑弥呼はただ、自分の中にある余韻と温もりだけを噛みしめる。

 

 そして、鈍りかけた歩みを、意識的に進め始めるのだった。

 

 ――――と、その時だったのだ。

 

 卑弥呼の意思と反するように、鋭児は足を止め、卑弥呼の前に腕を出し、彼女を制止する。

 

 「炎皇殿?」

 

 卑弥呼は、鋭児の行動が理解出来ず、僅かに驚いた声を上げる。それは、鋭児が制止した腕に、阻まれたときに、余りの頑なさを感じたためだ。


 自分の心を察せられてしまったのだろうか?と、卑弥呼は思ったのだが、鋭児は僅かにも自分の方を見ない。


 ただ、最低限に点された街灯が並ぶ道の先をじっと見ている。

 

 「腕を上げたねぇ」

 

 そう言って、闇間から静かに姿を表したのは、黒羽だった。


 「毎日きっちり扱かれてるよ……」


 鋭児は会話をしつつ、決して卑弥呼に黒羽を見せないようにしている。彼と視線を交えると、どんな暗示を掛けられるか解らない。

 

 なぜ、解った?などと鋭児は聞かない。


 火縄という男が彼等の仲間であり、彼女を卑弥呼と知らずとも、執着しようとしていた経緯を聞いたときから、何となくの予感はしていた。


 ただ、此に関しては、互いにその直感が的中するかどうかなどは、半ばどうでも良かったのだ。


 仮に黒羽が待ちぼうけを食らったとしても、それは大して消耗にならないし、だとしたら彼女は、戻っていないことになる。


 卑弥呼が戻らないとすれば、それはそれで騒ぎになるはずであり、宮中は混乱に満ちるだろう。


 そして豊穣祭を自分達をおびき出すフェイクに使うという事も考えられない。


 簡単に言えば、天聖家の見栄だからだ。そして傲りにも近い自信でもある。それほど彼等は武家の戦力を引くく評価をしているのだ。


 当然菱家はそれを見越している。

 

 仮に彼女が卑弥呼でないとしても、鋭児がこうして守護するほどの対象であるなら、一定の価値はあると考えられる。


 それは日中にあった焔の行動が裏付けとなる。

 

 火縄の嗅覚も案外頼りになる。だが――――。

 

 「なんていうか、火縄はどうも、考えが回らないって言うか――――。凄い奴なんだけどねぇ。解るでしょ。なぁんとなくっていうの?オッパイちゃんも気がついてたみたいだし……」

 

 それは勿論焔の事を指している。

 

 鋭児達と卑弥呼が出会ったのは間違い無く偶然だ。


 いや、アリスや聖がもし絡んでいるとすれば、自分に会えて何も言わないでいるとしたら、恐らく方角を示したのは彼女達である可能性が近い。


 吹雪が宮中で信用し尚且つ手を借りることの出来る一番の人間であるならば、聖であるに違いないし、それに対しての最適解を導き出すとすれば、恐らく二人なのだろう。


 仕組まれていた……というと言い過ぎかも知れないが、自分の動向を含めて当てにしていたことは、間違いの無い事だ。


 豊穣祭に際して、六皇はある程度情報共有をしている。鋭児が地域の境界を任されているのも知っている。

 

 ここに来て、黒羽に諭されたようで、鋭児は少々気が滅入ってしまう。

 

 火縄が快晴と一戦を交え、焔が雑兵を蹴散らし、もう一戦となるところ、彼は退散を決め込んだ。そしてそのことを黒羽に話した事が、現時点の状況を作っている。


 豊穣祭の事を考え、周囲の事を考えると、誰もが寝静まったこの時間が、心理的にもあり得る事を、黒羽は見越していたということだ。

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