第2章 第11部 第5話

 そして簾の向こうでは、同じく読書をしている人影がある。そして、二人は、筆談ノートで会話をやり取りしていた。


 実に静かなやり取りである。

 

 「卑弥呼様。予行のお時間で御座います」


 「承知致しました」

 

 それは間違い無く卑弥呼の声であった。


 しかし彼女が本物でないことは、吹雪も知っている。そして落ち着き払い、簾の奥にある襖の方へと姿を消す彼女を静かに見送るのである。


 「吹雪君?」


 聖の声が耳元でする。


 そして吹雪の肩口には、人型に切り抜かれた、式神がいる。


 「正直、心臓が破裂しそう」


 吹雪は、表情を一切崩さず、小さな声でそう答える。

 

 「どうやら卑弥呼様は、思いを果たせそうだよ」


 「そうですか……」


 「僕も館内の傍聴に手一杯だからね。済まない……」


 「それより、よくバレないわね……」


 「はは、彼女に気の充填をしっかりしておいてね」


 「解りました……」

 

 吹雪がため息をつくと同時に、人型を象っていた人型の式神は、それを模しただけの紙となる。

 

 時間は夜中となる。


 快晴は眠りに就いていた。側には先ほどまで、恐らくミコが寝ていたであろう枕がある。


 そしてその脇には、畳まれた浴衣が一つ。そして置き手紙が一つ。

 

 ミコは身なりを整え、静かに後をする。

 

 彼女が向かうのは、日中自分達が忍び込むようにして戻ってきた通用口である。


 だが、別館から本館へと続く渡り廊下の途中でみどりが待っていた。


 「何となく……そうするんじゃないかって思ってた。女の勘……かな?」


 そう言うとみどりは寂しげにニコリと微笑む。


 ミコは静かに、そして丁寧に頭を下げる。

 「そっか……」

 そして、そんなミコを見たみどりは、また一つ別の意味でニコリとする。それから、ミコの横に並ぶと、彼女を一つ肘でつつくのである。

 すると、ミコはなんとも幸せそうに、目を細め頬を赤らめる。

 「先生の教本通りには、参りませんでした」

 ミコは、そう言うと、今度はモジモジとし始める。

 「教本?」

 「ええ……これ……なのですが……」

 みどりは、ミコが小さな手持ち鞄から取り出したそれに軽く目を通し、それからパタリと本を閉じるのである。

 「うっは!エロ!」

 

 それから二人は手を繋ぎつつ、通用口の方へと向かって歩く。


 「警報鳴って、みんな驚いちゃうよ?」


 「そう……なのですね……」


 静かに出て行こうとしたミコだというのに、その目論見が完全に外れてしまう結果となる事に、今更気がつく。

 

 二人は静かに通用口から出る。扉のヒンジが僅かなカナキリ音を立てるが、それに驚くのは当の本人達くらいなものだ。流石にその音に感づく者はいない。

 

 そして、表に出ると、駐車場に設置された街灯の僅かな光の下で、鋭児が凭れかかりながら、待っていた。


 「黒野の兄さん……」


 「やっぱり来ちゃったか……」

 

 「送って頂けるのですか?炎皇……」


 「はい。卑弥呼様を無事宮廷に送り届けるようにと、主から仰せつかっております」


 鋭児は、再び頭を下げる。

 

 ただ飽くまでもそれっぽくというだけであり、鋭児のそれは自分に平伏しているというのではなく、一人のレディを送り迎えするという、シチュエーションに対する冗談でもある。


 実際には、主……つまり、霞に連絡などは入れてはいない。


 この時点では、彼女がどうでるか?などは、まだ解っていなかったのだ。


 「出来たてホヤホヤのレディですからね!お兄さん、宜しくお願いします」


 みどりも鋭児に対して、軽く頭を下げる。


 「も……もうみどりちゃん。炎皇の前でそれは……」


 そう言いつつ、ミコはモジモジとする。ただ鋭児としても、部屋が隣であることと、彼女のその様子で事を十分に察しており、可憐な彼女のそれを若干想像してしまい、視線を逸らしてしまう。


 「その……炎皇えんおう……って?」


 そう、みどりには一つ解らない事がある。


 「黒野様は、学園にいる六人の皇の一人なのです。私も噂程度ですが、その強さは存じております」


 「激強ってこと?」


 「おうですから……」


 ミコはニコリしながらそういう。改めてそういう風にして持ち上げられると、鋭児は何も言えなくなってしまう。それは焔が認めた自分を否定する事にもなりかねず、彼女がそれを誇らしく思っているということは、六家にとっても誉れであり、霞や蛇草に対する讃辞にもなる。


 鋭児はこれを受け止めなければならない。


 「そうだね……昼間の事もあるし……黒野の兄さんの方が安全だね」


 みどりには、鋭児の強さというものが解るわけではなかったが、少なくとも日中の焔が火縄を打ち負かしていることなら、それと対等に接している鋭児にも同じような安心感があるのだろうと思った。

 

 「こっちには焔サンがいるから、やばかったら焔サンに言って」


 「うん……」

 

 「卑弥呼様も、歩き疲れたらいって」


 「はい……済みません。こんな夜中で……」

 

 「じゃぁね……また……」


 「ええ……必ず何れ……」

 

 今にも涙で崩れそうなみどりが見せた目一杯の笑顔に対して、卑弥呼もまた、同じく負けないくらいの気持ちで和やかに微笑み返す。


 ただ双方背中を見せ合うと、溢れ出した気持ちが止まらなくなるのだ。


 それでも、卑弥呼は歩き始めることをやめなかった。

 

 鋭児も、二人の別れの切なさにやるせない気持になる。

 

 だが解っている事もある。このまま彼女が雲隠れを決め込んでしまうと、多くの人間画その責任を負わされる事となるのだ。


 彼女もその事は理解しており、それを押して尚、どうしても二人と会いたかったのだろう。

 

 「こんなことならバイク……乗ってくりゃ良かったな……」


 「炎皇殿は二輪車をお持ちなのですか?」


 「ん?ああ、っていっても、この夏に無理矢理日程ねじ込んで取ったって言うか取らされたって言うか……」


 鋭児は、その時の状況を思い出しながら、困った様子で後頭部を掻きながら、照れくさそうに笑う。


 一つは大地に毎度のように送り迎えをさせる手間を省かせるため、自分自身で決めたことだと言えた。


 二つ目は、それに関連して、煌壮を連れて動くのに、バスよりも融通が利くということ。


 三つ目は、吹雪とアリスあたりが、季候の良い時期のバイクデートを所望したこと。


 他にも色々あるのだが、大まかにこんな所だ。


 「来年は車取れって、誕生日が四月二日なんで、三年になったら、つつかれるんだろうな……」


 そう言いつつも、鋭児にはそれが全く苦にならない様子だった。


 「ふふ。楽しそうですね」


 鋭児が焔達の様子を想像しながら、楽しそうに笑うため、卑弥呼もつられて笑顔になるのだが、次には、表情を曇らせる。

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