第2章 第11部 第3話

 「んだよ……チクショウ」

 

 部屋の隅で、快晴は膝を抱えて、悔しさに打ちのめされる。


 いや、この時間が、短く儚いものだと言うことを理解出来ていなかったわけではない。だからこそ、何も言わず彼女が笑顔を見せ、「良かった」と、ただ一言言い、背中を向けて満足して、帰って行くその姿を見届けようと思っていたのだ。


 ただ、その瞬間までは、何もかも忘れていたかった。


 何か大したことが出来るわけでもないと思いつつ、彼女が笑顔で、息を切らせながら慣れない山登りをしている姿を見ただけで、一つ楽しい気持ちを積み上げたという自己満足。


 そんな浅はかな自己満足が、先ほどの悲しみに溢れた作り笑顔で、全て剥落した事

を知る。

 

 みどりに散々からかわれていた。彼女が初恋だったと。

 

 突然の出会いであったあったものの、その距離感がしっくりきていたのだと、浮き足立っていた気持ちとは裏腹に、途端に腑に落ちた事に気がつく瞬間でもある。


 まるで探していたジグソーパズルのピースが、パチリと嵌まった瞬間のようでもあった。

 

 しかし、ミコ自身がそれを抜き取ろうとしている。壊そうとしている。


 快晴の胸中は、はそのやるせなさに、言葉では言い表せない感情ばかりが溢れかえり、吐き出せず飲み込めず、唯々押しつぶされそうなになっている。

 

 部屋の引き戸が静かに開かれる。


 そして、快晴の側に誰かが座るのだ。いや、誰なのかは、解っている。


 近寄る足音からしてみどりではない。それが畳の上であっても、俄に擦れる音や、僅かに感じされる振幅、そして側に立ち、フワリと下ろされるその空気でさえ、二人では全く異なっている。

 

 「カイくん……」

 

 そしてそう呼ぶのはミコだけだ。


 悲しげに自分の名を呼ぶその声は、誰よりも自分の事を気に掛けていることが、快晴には解る。拗ねてしまったものの、だからといって、その虚勢を張り彼女を強く突き放すことも、距離を空けることも出来ず、わずかに空いた距離から感じるその体温から逃げることも出来なかった。

 

 「いやだ……」

 

 「?」

 

 「帰るなよ……」

 

 それがどれだけ子供じみた我が儘であっただろうかと、溢れそうな涙を堪えて嗄れた声で、ぼそりと快晴は呟く。

 

 本来この言葉は、ミコを酷く困らせたことだろう。


 だが、掛け値のない快晴の本音は、じわりじわりと、ミコの心の中に染み入るのだ。

 

 「ありがとう……」

 

 だが、ミコはそれ以上の気持ちを言葉にする事はなかった。快晴の肩口に甘えるようにして頬ずりをする。

 

 快晴はミコの頭に腕を掛け、艶やかで滑らかなその黒髪を引き寄せ撫でる。


 そして、ただそんな時間だけを過ごすのだった。

 

 

 場面は、再び鋭児達のいる部屋へと戻る。

 

 「みどりちゃんは、これでいいの?」


 「ええ?それ黒野の兄さんが言います?」

 

 「え?」


 「いやだって、ハーレム王なんでしょ?」

 

 みどりは、まるでオバさんが近所のゴシップを嬉々としてひそひそ話をするように、なんとも言えない嫌らしい笑みを浮かべながら、軽く手招きしつつ、鋭児を見る。

 

 「シシシ」

 

 みどりのそれに、焔もついおかしくなって、いつものように悪戯坊主のように白い歯を溢しながらわらう。

 

 「あ!?いや、そうじゃなくって……さ」

 

 確かにそうだ。いや、そうではない。


 だが解る事があるとすれば、その一言にみどりの考えは、焔に近いのだという事が解る。彼女もまた快晴が好きであり、譲る気はなく、彼を共有することをよしとしているのだ。


 ただ鋭児が言いたいことは、そういうことではなく、このままミコを返してしまって良いのか?ということだったのだ。


 いや、それすらみどりの中では結論がでているからこそ、その答えになるのだろう。

 

 だが、状況はそれほど簡単な話ではない。


 このままでは、間違い無く問題がこじれるだけだ。それは鋭児にも解る。

 

 「焔サン?」


 「あん?」


 「ミコちゃんの話しぶりからして、籠の鳥だろ?で、豊穣祭だろ?だったらさ……」


 「そりゃお前……中で手引きした悪い女がいるんじゃね?」


 焔はそれがおかしくてニヤニヤとし始める。


 そしてそれが誰なのかはもう解っていることだ。尤も鋭児は少々考え込んでいるようだったが、焔の確信めいたその言い回し、そしてミコの処女奉納宣言といい、納得せざるを得ないのだ。

 

 「吹雪サン……か」

 

 鋭児がそう言うと、焔はみどりに目を向ける。何故か?


 それはみどりが焔の方を目を丸く見張りながらもじっと見ているからだ。そして焔は手早くスマートフォンを取り出す。

 

 「これが吹雪だ……」


 「うわ……なに、この超絶銀髪美人。日本人ですか?」


 「コイツはアレだ、もう鋭児になら、どんなシチュでもオッケーなほど、仕込まれた女だ……」


 「ええ……」


 そんなみどりが向ける鋭児への視線には、軽蔑の意が含まれている。


 「いやだから……」


 なぜそんな言い回しになるのか?と鋭児は、焦り始める。


 「んでな?」


 「こんどは、白髪美人ですね……」


 間違い無く千霧のことで、柔和でフワリとした吹雪とは異なり、凜として清廉で涼やかな笑みを浮かべている。


 それを見て、みどりはすっかり関心してしまう。


 「黒野の兄さんて、年上殺しですか?」


 「あ?ばか、年上だけじゃねーよ……」


 焔は煌壮と美箏の写真を探し始める。


 「いや、いまそれ全然必要じゃないですよね!?」

 

 「そんなことありませんよ?快晴と私とミコちゃんが幸せになるためにですねぇ……ねぇ!?」

 

 妙に食い下がるみどりである。

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