第2章 第10部 第16話

 鋭児は若干反省する。


 それから、ドリンクも取り出す。


 ドリンクは特にどこでも買えるものだ。なんなら、旅館の自販機でも買えてしまうものである。


 「これも……」


 「ああ……」


 炎弥は缶ジュースを受け取るが、若干困った表情をする。


 「ゴメン……爪がないから……開けられないんだ」


 このときの炎弥は本当に困った顔をする。そして手袋をしている右手を見せる。同時に鋭児もその配慮のなさに、申し訳なく思った。だから手袋をしているのだ。


 どうやら彼の怪我はその顔だけに止まらないらしい。


 「悪い。気が利かなかった」


 コインをプルタブに差し込んで引き開ける事も出来るだろうが、あいにく今の炎弥には、その小銭の持ち合わせもない。


 いや、財布の中には幾分かは入っているだろうが、正直今の自分の懐具合を鋭児に見せるのも、なんともみすぼらしく思ったのだ。


 勿論今の彼は単純に持ち合わせがないだけであり、困窮しているわけではない。


 鋭児はついでに、ソフトクリームのそこを上向けにして、下部のカップを取り外し炎弥に渡す。


 「あは。美味しそう」


 そして、サツマイモのフレーバーが口の中に、ふわっと広がった瞬間炎弥はなんとも嬉しそうな顔をする。固めではあるものの、口の中で滑らかにとろけて広がるヒヤッとした食感がなんとも言えない。


 焔ならば、なんとも腕白な笑顔を見せるが、炎弥の笑顔は上品ですっきりとしている。吹雪のようにフワリと甘いわけでもない。


 無邪気なのだ。

 

 「手……悪いの?」


 「うん……まぁね」

 

 怪我の事に触れられると、炎弥は少し表情を曇らせる。恐らくそこに、辛い記憶があるのだろうと鋭児は察する。

 

 「そういう君も、随分酷い向こう傷じゃないか?」

 

 炎弥はアイスを左手に持ち替え、鋭児の額に手を伸ばす。


 すると一瞬鋭児は表情を強ばらせる。


 流石にこれには炎弥もぎょっとするが、鋭児はすぐに目を閉じて呼吸を整えるのだ。


 鋭児が炎弥の興味本位を許したのは、少しでも彼の怪我の痛みが、和らげばと思ったからだ。


 「はは……ひっどい。凸凹してるね」


 「まぁ子供の頃の事故でね……十……二年?前かな」


 「十二年……前か」


 その事に深く追求はしなかった。ただ、その事には親近感を覚えた。自分達には心の傷と表面上の傷がある。それはどちらも癒えていない。


 二人の共感でもあった。

 

 ただ、鋭児は炎弥の手や顔をからかう事は出来なかった。

 それに炎弥の指先は実に鋭児の怪我に配慮雅あり、触れる指先は静かなものだった。そして彼は右手にアイスを持ち直す。

 

 「お宅学校は?」


 鋭児は、ぼんやりとした視界の中に、行き交う学生の姿をみて、ふと炎弥の日常が気になった。そういう意味では、確かに鋭児は、見た目に相応しい学生生活といえた。


 「ああ、ほらさっきもいったけど、こんな身体だし……さ」


 「そっか」


 となれば、物怖じしない炎弥だとしても、学友などいないのだろう。


 彼のそのしゃべり方などは、普段から大人達を相手にしているからこその、丁寧さなのだ。そして、アイスを食べる炎弥の無邪気な表情も、また本来の彼なのだろう。

 

 「い……い……た……」

 

 突然だった。急に炎弥が顔をひきつらえて、痛そうにする。アイスを離したいが、それは出来ない。そして左の顔を押さえる。


 「えんや?」


 「ご……め。神経やら……れてて……、不意に酷く……いい……たむ……」


 鋭児は改めて炎弥の怪我の酷さを知る。


 表面上平らに均されてこそいるが、彼の怪我はそれだけではすまないらしい。

 

 「ちょっと貸せ……」


 鋭児は両手で炎弥の両頬包み込む。本当に少年の柔らかさのある炎弥の頬だった。そして自分よりも一回りは間違い無く小さい。鋭児の手が彼の両頬をすっぽりと覆ってしまうのだ。


 そして、鋭児はブツブツと呟き始めるのだった。


 「オン・コロコロ・センダリマトウギソワカ……」


 鋭児はそれを七回唱える。激しく引きつっていた炎弥の表情が和らぎ顔の痛みも引き始める。


 彼の顔には強く汗が滲んでいる。恐らくそうとう痛みが走ったのだろう。

 

 ただ、周りから見れば、美少年と不良青年が向かい逢って、額をすりあわせている様子は、なんとも異常な色恋沙汰であるように思えた。


 「黒野君……」


 「いいから……集中させろ……」


 「ああ……うん」


 「あと……アイス……食べたい……」


 「あ?ああ……」


 どうやら余程お気に召したらしい。そして、そんな浅ましい冗談を口に出来るのだから、気持ちにも余裕が出来たのだろう。


 炎弥は少し疲れた表情をしながらも、アイスを食べ終わる。


 「今の……なに?」


 「ああ……お呪いだよ」


 「へぇ……良く利くね……少し肩借りていい?」


 「あ?ああ……」


 ぐったりした炎弥を放っておく訳にもいかない。彼は鋭児の肩口に頭を擡げると、目を閉じて一息つく。余程辛かったのだろうと、鋭児も思う。それから、もう一度炎弥の左頬に触れ撫でる。


 「それ……気持ちいい。依沢にも……引けを取らないや……」


 「依沢?」


 「ああ……失言……。僕の治療をしてくれてる人……」


 「ああ……」

 

 炎弥は心地よく表情をとろけさせる。鋭児はそんな彼をじっくりと見つめていた。


 その時鋭児の携帯電話が鳴る。そしてハッとするのだ。今自分は何をしようとしていたのかと、その行動に焦りと戸惑いを感じずにはいられなかった。


 そして取り急ぎ携帯電話に出る。

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