第2章 第4部 第17話

 「ありがとう」

 

 髪を含めて、背中を流された更は、振り返りざまに、にこりと煌壮に微笑むのである。煌壮の距離感の近さというものに、親和性を感じたのか、更の笑顔は非常に柔和なものだった。

 一方灱炉環は、東雲家の四位と肩を並べて、湯船に入ることに少々緊張をしている。

 それはある意味、彼女の育ちの良さであり、仕付けの行き届いている部分である。

 

 「女同士、裸の付き合いなのだから、そんなに緊張しなくていいのよ?」

 「あ……はい」

 

 「さて、朝から長湯というのもなんだし……」

 更は、すっと立ち上がり、肌を隠す事も無く、そのまま退散してゆく。

 「また、遊びにいらっしゃい」

 「はーい」

 煌壮は、間の延びた返事をするが、それが東雲さらに対する最適解なのだと、彼女は理解している。

 「いいなぁ、オシリ綺麗だったな……」

 後ろ姿が、大人の女性だったと、煌壮は思うのである。そこまで深刻には思って居ないが、やはり華奢なのは、彼女にとってコンプレックスではあるのだ。

 「好きな人に愛されると、女は綺麗になるそうよ!」

 と、脱衣室に姿を消したはずの更が、大声で損なことを言うのだ。

 「うは……地獄耳……」

 流石の煌壮もそれには驚いて、舌を出して、失態を反省する。

 

 「好きな……人かぁ……………」


 煌壮は少々考えるが、どう考えても、そんな焦がれるような思いをしたことはない。焔が鋭児の事を口にするとき、煌壮は苛立ったものだが、我がごとのように鋭児を語る焔の笑顔は確かに、自分と合ったときとは、比べものにならないほど、喜びに溢れていた。

 どれだけ、焔が嬉しくて仕方が無かったのかというのは、今更ながらに、彼女は受け入れることが出来るのだ。

 一光を失った焔が、それが無かったかのように、微笑むことが出来ることにも、腹立たしさを感じていたが、その悪感情も今はない。

 

 「キラちゃん?え?」

 「ああ?鋭児兄?ん~?…………」


 煌壮は少々考えている。


 「それよりアレ、絶対トロ子の下見だろ?」

 「え!?え!?」


 急にドギマギとする灱炉環であった。


 「だって、オレが不知火家の人間だってのは、知ってるはずだもん」

 「下見……って」


 自分はそんな注目されるほどの人間ではないと、灱炉環は思っているのだが、行動と謙虚さが今一かみ合っていない。彼女は彼女なりに思うところがあるのだろうが、こうして他人に諭されると、引っ込み思案になってしまうのだ。


 「まぁいいや」


 いやに、あっさりした煌壮であるが、それほど複雑な問題ではないし、自分としてはさほど関心事項ではない。


 「さっぱりしたし、ご飯食べて寝て!一休みしたら帰ろうぜ!」

 「う……うん」


 確かに東雲家の中で自分たちは自由に動くわけにはいかない。

 あくまでも休息の場を用意されただけに過ぎず、出入り自由になったわけではない。要するに窮屈なのである。

 

 煌壮は思う。


 鋭児の家に出かけた時は、どこへ行って良いか解らない不安がありはしたし、実際大して出かけられたわけではない。だが移動の制限があったわけではない。

 不知火家での彼女の行動は比較的自由だったが、それでもどこへでも出かけられたわけではないし、十五歳である彼女の行動範囲はそれほど広いわけでもないし、闘士となる事を目指していた彼女は、特に外に対する関心も薄かった。


 しかし、こうして見ると、自分の世界はずいぶん狭いものなのだなと思う。

 

 「また、どっか行きてぇな……」


 ぽつりと呟く煌壮である。

 おそらく大人になれば、いくらでも自由は手に入るのだろうが、それでも世間知らずには変わりない。

 

 「トロ子はさ、色々外とか行ったことある?」


 それは、湯船から上がり、用意された部屋へと向かってる最中の事である。


 「それほど多くはないですし、学園にいる能力者の移動出来る場所は、制限されてますからね。それでも、学園内のモールに行けば、アミューズメントもありますし、カラオケなんかもありますよ?」


 「オレ、そういや経験ねぇなぁ。焔姉達もあんまないかもな」


 要するにそういった場所に出入りする時間は、あまり取れないと言うことである。焔が高校生になる頃には、彼女は一光を追いかけていたし、その後は鋭児であり、炎皇として活動もあった。


 「鋭児兄は、あるかな……いやねぇな。あのタイプは。トモダチ少なそうだもんな……」

 「そ……それは……」


 あまりにも失礼な物言いに、灱炉環の笑いは引きつっている。

 鋭児とて喧嘩の多かった日常ではあったが、音楽も嗜めば、ゲームセンターに立ち寄る事くらいはあった。


 ただ、彼にはそれほど精神的余裕がなかったのだ。

 それほど、彼にとって両親の死というものは、その心に大きな傷をつくったのだ。

 

 とはいうものの、煌壮はまだそのことを知らないでいる。

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