第2章 第4部 第13話

 「おい……黒野」


 そういって、面倒くさそうに、鼬鼠は背中を向ける。


 「蛇草さん……よく見て……それ」


 鋭児は、何時までも悲しみに暮れている蛇草の横に座り込み、彼女の肩をそっと抱き。いつも自分に向けてくれる優しさを返すようにして鋭児は微笑むのだ。


 蛇草は理解出来ない。

 新が殺されたというのに、どうしてそんな穏やかな顔が出来るのか?と。

 それでも鋭児は蛇草が胸に抱きしめているそれを、そっと見るのである。

 

 「……え?」

 

 それは、人の頭の感触ではない。そして、自分が大切そうに抱えているのは、布でくるまれた、まるで大きな照る照る坊主のあたまのような塊だ。

 ただし、血だけは本物のようで、蛇草の衣服は、血で濡れてしまっている。

 「動揺するから、んな、くだらねぇ術に引っかかってんだよ!腑抜け女!」

 

 「……じゃぁ。新!新は!?」

 

 蛇草は、腰砕けになり、座り込んだままの状態で、周囲を見回す。

 

 「人質のお嬢さんは、ここじゃよ」

 そして、一人の老人に、後ろ手に縛られたままの新が、連れ出されてくるのである。

 「ほれ、もう声を上げてもいいぞ」

 

 老人はそう言うと同時に、拘束していた彼女の縄を外し、新を自由にする。

 「蛇草!蛇草ちゃん!」

 今度は、新が幾度も転びそうになりながら、蛇草の膝元にまでやってくる。

 「怖かった!怖かったぁ!あああ……」

 ほとんどパニックに近い新が、それでも座り込む蛇草よりなお低く、彼女に縋り付くのである。

 「新!手は!指は!?怪我は!?」

 突き落とされた地獄から、一気に幸福が訪れたかのように、蛇草は舞い上がり、彼女の両手を確認する。

 「あああ!」

 新は、ただ泣きじゃくりながら、蛇草に縋り付いたままになる。

 

 「よく……気がつきなさったな」

 「あぁ?ここにはいるのは、優秀なヤツばっかだよ。あんなクソな幻術に、引っかかるのは、蓬けたバカ女だけだ」

 

 乾風と秋山は、今一事態を飲み込めていなかったが、鼬鼠のその言葉だけは、少しむずがゆかった。

 

 「さて……茶番はここまでだ。悪いが話せる場所へ、案内してもらえるか?」

 いい加減事態を収集させたい鼬鼠が、苛立ちを隠せないまま、長老に案内を促す。

 「よかろう……」

 

 長老は、一度彼等を見渡し、落ち着く意味を含めて、それを承諾した。

 そして、鼬鼠を筆頭に案内されたのは、本家、つまり長老の屋敷となる。

 彼等はまず、石礫で受けた怪我を含め、まず治療され、鼬鼠を前にして、全員が広間に通された。

 

 そして、鼬鼠はまず、正座し長老に頭を下げるのである。

 それは、未だに平常心を取り戻せない新と、それにつききりになってしまっている、蛇草に変わってだ。


 「まずは、当家の者が誠に失礼を致しましたことを、家長に代わり、深くお詫びいたします」


 普段の鼬鼠からは考えられないほど、深く丁寧なお辞儀であり、平伏した頭と同時に揃えられた手も、非常に物腰の柔らかい所作だった。

 決して大げさでも無く、媚びも無く、十分に誠意の籠もった謝罪だった。


 「後日、改めて家長と挨拶に伺いたく存じますが、よろしいでしょうか?」


 先ほど荒れに荒れた鼬鼠が、これほど礼節正しく平身低頭に謝意を示すとは、誰が思っただろうか?

 ただ、蛇草と千霧から見れば、別に不思議なことではない。開いた口が塞がらないのは、他の面々である。普段鼬鼠と行動をしている乾風と秋山ですら、呆然としてしまっている。

 

 村人相手に、散々殴り合いをしたというのに、何故これが許されるのか?と、二人は思ったが、それは既に、新が無傷であることで、鼬鼠は理解している。


 要するに、自分たちは試されたのだと。


 その角度は様々である。

 一つは、東雲家の者の実力というものが挙げられる。

 これに関しては、文句の付け所もないだろう。


 二つ目は、彼等の態度そのものである。

 彼等は結局のところ、村人を戦闘不能にこそしているが、再起不能にしたわけでもない、一時的な消耗であり、彼等の目的が「東雲新」奪還のための、手段だったといことは、十分に通じている。


 これに関しては、里側が、あえて新の身体と生命の存続にリミットを掛けたことで、彼等の行動を試したのだ。


 そしてこれも、村人への危害は最小限であった。


 最後に、東雲新の死を見せつけても、本来鼬鼠家の家長である蛇草は、村人を傷つける事を許さなかった。これは、東雲家の本意でない事を表している。


 そして、鼬鼠の謝罪である。


 これは、東雲新の個人としての、拙速な行動であり、東雲家の意図ではないことを示している。


 そして、新が彼等に突きつけた条件が、如何に高圧的だったかを、物語っている。

 新の考えは単純だ、東雲家の力をチラつかせれば、彼等が平伏せざるを得ないと考えたのだ。そして東雲家である自分に手出しをすれば、里の死活問題であると言い放ったのだ。


 だが、結果はこれである。

 そして、鋭児達が村人の命を一つでも奪おう者なら、その時点で新の命は無かったと言えた。

 

 そして、鼬鼠としては、新になにか合った時点で、村人にその代償を払わせる気でいたのだ。

 

 「もうええ、若いの。で、オマエさんの立場は?」

 そう言われると鼬鼠は静かに、頭を上げる。だが、視線は未だ畳に落としたまま出る。


 「鼬鼠家次期当主。鼬鼠翔です」


 「ほう……、なかなかの面構えをしておる。覚悟もある。腕もなかなかもの。東雲霞の噂は耳にしている。なかなかの器であると聞いておったので、もしやと思ったのです。試す真似をしたことをこちら詫びよう。だが、解ってもらわんといかんのです。いくら我々が隠れ住むような真似をしておるとしてもだ。胸の内の誇りまで、踏みにじらせる訳には行かん。のう?東雲の……」


 長老の言葉遣いは緩やかで、そこには怒気は込められていない。頭を下げる鼬鼠に対しては、非常に温和であった。だが、新には違う。彼女をのぞき見ると同時に、睨みをきかせるのだ。

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