第2章 第3部 第21話

 彼は当然神妙な顔をするのだ。アリスとの話で、この時が来るということは、十分理解していた。普段室内でタバコを咥えない彼だが、このときは少しそれを忘れて、思わず火を点けそうになるのだが、文恵の咳払いでそれをやめる。

 本当なら、そんな書類など問答無用で、ゴミ箱に捨ててしまえばよかったのだ。

 だが、今は東雲家の護衛が美箏を見張っており、彼女に何かあれば、千霧が真っ先に保護に来てくれるだろう。だがそれは、彼女が決断を下すまでのことだ。

 それはそう長い時間ではない。

 学園に移籍をしないという決断は、つまり彼女が今後自分の火の粉は自分で振り払うという事を意味しており、他の勢力に目を付けられた以上、彼女が日常を送ることの方が厳しくなる。

 「ふぅ……」

 蛙の子は蛙である。

 いや、鳶が鷹を生んだと言ってもよい状況だ。

 残念ながら、秋仁の力では、娘を守ることが出来ないのだ。彼にそもそもなにも起こらないのは、彼の能力そのものがそれほど高いものではないからだ。

 学園のクラスで言えば、第四クラスである。しかも末席争いをする程度のものだ。そして彼の生活から見ても、完全に日常に溶け込んでしまっている。

 そんな自分から、まさか魔女と呼ばれるほどの力を持つアリスに見初められるほどの子が生まれるなど、夢にも思わない話だ。

 「鋭児の通っている学校だろ?」

 その一言に、美箏も文恵も驚きを隠せない。教育関連の職に携わる自分でさえ知らないというのに、鍼灸医である秋仁が知っているのだ。

 「ん?まぁな……。まぁ色々なお客さんも来るしな。こう見えて腕はいいんだ、知ってるだろ?」

 「それは……そうですが……」

 秋仁は、少し自慢気にしてみるが、文恵も満更ではなく、お世辞など必要もなしと言ったところだ。

 腕がよいのは当たり前で、いくら闇の系統の能力者とはいえ、彼は気を利用した施術を行っている。他人の気を操る彼のそれは、一般人に比べれば、やはり人外のものであり、非常に高い効力を有している。

 

 「この学校には、色々な分野の人材を集め、育成をしているそうだ」

 その言い回しには、語弊がある。色々ではなく、能力の素質がある人間を集め、育成しているのだ。

 秋仁のそれに、美箏は異を唱えることはなかった。

 非常に都合のよい誤解だったからだ。しかし勿論それは誤解などではなく、秋仁があえて表現をぼかしているということを、美箏は知らない。

 彼女は自分が異能者であると言うことを、両親が知らないと思っており、現実離れしたその力を示すことで、理解を得られるなどと思えなかった。

 勿論自分自身も、未だ半信半疑である。

 ただ、事実を目の前にして、尚且つ感覚的にそれを理解してしまっている以上、目を背ける場所などどこにもないのである。

 

 「オマエは……どうしたいんだい?」

 秋仁は目を合わさなかった。我が子の大事な進路を決定づけるその一言を発しているというのに、我が子の目を見る事が出来なかったのだ。

 能力を持ちながら、それを隠して生きてきた彼は、それに準じた生き方を示すことが出来ない。彼が求めたのは普通で当たり前の生活で成り立つ幸せだったのだ。

 現代社会において、彼女が大きな渦に巻き込まれ、命を賭すような出来事に巻き込まれる事も、多くはないと思ってはいても、火種はやはりくすぶり続けている。

 現に能力者の争奪戦に、美箏は巻き込まれてしまっており、今回彼女自身がその標的であるった。

 自分たち一家の周りが少しきな臭い雰囲気であることは、秋仁も感じ取っている。

 そのきな臭さは、東雲家の護衛の警戒心から生み出された空気だが、秋仁はそれを感じ取っているのだ。

 その上で、学園からの通知が来ると言うことは、美箏の身の安全上、尤も確実なのは学園に入ってしまうことであると、彼も思っている。

 ただそれは、美箏が異能の道を進むということである。文恵はそのことを知らずにいる。彼は失う事が怖かった。ただもうこれ以上、はぐらかすことも、耐えがたいことも、確かだった。

 

 仮に美箏が今の生活を望むならば、彼はあらゆる手を使って彼女を守る覚悟を決めた。

 

 「お母さん……」

 美箏は、文恵を見る。

 彼女は自分の憧れの先にある。

 教育者としての文恵の後ろ姿を追うことを美箏は諦めてはいない。そしてアリスの言葉が本当ならば、学園での修学において教員課程を進む事で、得られるはずである。

 「明日、この書簡を含めて、本物であるか学長にお尋ねします。少なくとも貴女の校長は、これを本物と認めてらっしゃったのですね?」

 「うん」

 それは事実だと美箏はうなずく。

 美箏の返事は、それから改めて聞くものだと、文恵は思った。

 「解りました。心配はいりませんよ。お風呂に入って。今日はもう寝なさい」

 文恵は一度だけ美箏に手を添え、一つ頷くのである。

 そして美箏もそれに推されるように頷いて席を立つのである。

 

 この決断は簡単ではなかった。彼女も、鋭児や焔が話を濁していた事を知っている。要するにそれが一つの答えなのだ。学園そのもは秘匿性の高いものなのだと理解する。

 もう一つは秋仁の反応である。

 なにかを知っているが、彼はそれを口にすることは出来ず、仕事に託けている。だが顔色がよくない。それでも無責任に、その行く先を娘の手にただ委ねるような無責任な男ではない事を、彼女はよく知っている。

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