第2章 第3部 第22話

 そして、美箏が席を立ち、リビングが静かになった時だた。

 「文恵……」

 「あなた?」

 両者同時に声を掛け合うのだ。

 声色としては、秋仁の方がより重い。お互い譲り合って、少々戸惑ったが先にクスリと笑ったのは文恵である。

 「あ……ああ」

 完全に場を譲られてしまった形になる秋仁の方が、より慌ててしまう。

 「鋭児さんの時は、貴方にずいぶん無理をさせてしまいました。あの子のためだったとはいえ……」

 もう一年も前の話になる。

 それは文恵の反省点でもある。

 鋭児とは色々あったが、それは彼が彼女を嫌っての事でも無くまた、彼の家の一件で特に恨みを口にすることもなく、むしろ彼自身もそれが美箏のためになるのであればと、言葉を呑んだのだ。

 

 「その……なんだ」

 秋仁は言い渋った。というより、何より話してよいか解らなかったのだ。

 能力者としての自分を隠していたのは、ナニも彼女をだましたかったわけではない。そして美箏を不幸にしたかったわけではない。

 「前から少し考えていたんだが、その……」

 悪気があるわけではない。悪意があるわけではない、そんなことは秋仁のなんとも落ち着きのない様子から見て取れる。

 「オマエは、その……いや違うそうじゃないんだ」

 「早く仰ってください」

 こんな時だというのに、妙に落ち着いている自分がいることを、文恵は不思議に思った。不思議に苛立ちはなかったのだ。

 これまで、夫婦中は良好だったし、鋭児にビールを飲ませるなど、若干型破りなところはあったが、彼は頼りになったし、彼は自分の仕事に真剣であるし、家族にも真剣であるし、甥っ子の鋭児を誰よりも心配したのは彼だ。

 美箏も心配はしたが、大人として誰より救ってきたのは彼である。

 その大らかさは、両親として美箏にもちょうどよくバランスが取れており、今後もおそらくそうでアルに違いないと思っていた。

 「なんていうか、その……一度ウチの田舎っていうか……うん。まぁ田舎に……な」

 今の美箏の状況に対して、全く脈絡のない話である。

 ただ、意味も無くそんなことを言い出す人間でないことくらいは、文恵も理解している。ヒステリックにわめき立てたところで、事は解決しない。

 彼女は一度大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐き出す。

 「先日のお守りといい。アリスさんといい。茜さんにも、鋭児さんにも、美箏にも関係がある……と?」

 「あ?ああ……まぁそうなってしまう……な」

 アリスが鋭児の母によく似ている事に、誰よりも早く気がついたのは、文恵である。そのアリスが、鋭児や美箏に対してやたらと親身になっている姿も、ただの世話好きではない事くらいは理解していた。

 「はぁ……」

 文恵は、力の抜けたため息をつく。

 そうすると、秋仁はなんとも申し訳なさそうに、上目使いでチラチラと文恵を見る。

 

 「頭痛がします」

 文恵は、クスクスと笑いながら、クビを左右に振る。それは物理的な頭痛という意味ではないし、秋仁もそれは十分理解している。

 「頭痛なんて、もうずっとしていなかったのですけどね」

 「はは……まぁそりゃ。よかった……です」

 「腕のよい鍼灸師さんが、熱心に治療してくださいまして、患者さに接するその人の姿がとても素敵で……」

 要するに、それが二人の馴れ初めであるのだが、どことなく不思議ではあったのだ。暗に彼が他の鍼灸師と訳が違うということを指してのことだ。

 「ははは……」

 秋仁は笑っている。察しのよい話だとおもう。

 

 「まぁ……誘われてちゃいたんだよ。ただまぁ……要するに美箏ほど熱心にでは……無かったがな……」

 「はぁ……」

 もう一度、ため息をついて首を左右に振る文恵である。

 「解りました。いえ何も解ってはいませんが」

 ただ、文恵がそれでも、美箏がどの道を選ぶのかは、もう解っていた。それは意気揚々としたものではないにしろ、彼女にはそうせざるを得ない選択肢があり、それを口にするには、まだ時間がかかることだろうし、そのことについては、秋仁と彼の田舎に出かけることで、知る事が出来るのだろうと思った。

 「焔さんが来てくれていなければ、私はとても賛成しかねてますけどね」

 焔の名前こそ出したが、吹雪の優しさも、アリスの面倒見の良さも含めての事である。美箏には助けになる友人がおり、彼女たちの性格は総じて朗らかであり、それでいてしっかりしている。

 まぁ焔に関しては、やんちゃ坊主をそのまま大きくしたような性格ではあるが、そうして和気藹々としている姿は、やはり微笑ましいのだ。

 

 「とりあえず。この書類は一度預かり、校長に尋ねて見ます。いいですね?」

 「ああ……。解った」

 

 そこには、文恵なりの納得というものがあるのだ。秋仁は酷く疲れた様子で、イスの背もたれに背を預けるようにして、一息つく。

 

 「私……どうなるんだろう……」

 その頃美箏は、、湯船の中で膝を抱えながら、見えない自分の行く先を不安に思うのであった。

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