第2章 第1部 第16話
鋭児と千霧は、六家が所有する温泉宿にまで戻って来る。家の者であれば、部屋があり次第、自由に利用出来る。
そして、そんな二人を待ちわびていたのは、新だった。更はいない。側には雲林院がいる。雲林院とは因縁があるが、鋭児がぺこりと頭を下げると、雲林院も軽く頷く。
どうやら、新のお守りというわけだ。
彼は徹頭徹尾東雲家第三位の新を守護することを遵守している。
「遅いですよ?」
彼女が何時この宿に到着したかは解らない。抑も彼女の命令でこの土地に来たわけではない。だとすると、情報を知り強引に割り込んできたのだろう。
彼女は手柄を自らのものにしたいわけではない。ただ、一つの里の調査ということもあり、それを知らずにはいられなかったのだろう。
新たの登場に千霧は困惑している。
鋭児には、間違い無く不平の表情が現れていた。
「なんですか?」
「いえ、新様は、どのようにして。俺たちの行動をお知りになったのかと」
鋭児はぎこちない敬語を使う。ただ言葉とは裏腹に、眼光は可成り反抗的である。ただ構えてはいない。構えれば雲林院も構える。
「一介の衛士である貴方が知る必要はありません」
新の口調は何時も高飛車である。彼女は自分達と能力者の間に、確実な線を引いている。
「俺は、霞様からこの話を伺っています。まずは霞様に報告するのが理屈だと思いますが?」
これは嘘だ。ただ、霞が知らない要件ではない。蛇草が知っている大半の要件は、霞の知るところである。大半というのは、希に焔のようなデリケートな案件もあるということだ。
それは、他家に顔の利く蛇草だからこその問題であるといってもよい。
「お黙りなさい。貴方は黙って、その場に居る指揮官の命令を聞けば良いのです」
どうやら、いつの間にか新は、現地調査の指揮官となっているらしい。この傲慢な物言いに、鋭児は少々呆れ、余りにつまらないプライドに、失笑を禁じ得なくなる。
「危ないですよ?この周辺なんか、菱家っていう連中が、ウロウロしてるらしいですから。そうそう、見かけ次第大物は抹殺するって、俺は釘を刺されましたけどね」
「菱……雲林院!」
「はい……」
新は血相を変える。であれば、東雲家三位である自分は、間違い無くその範囲にある。
雲林院に警戒させるが、雲林院自身は周囲になんの気配も感じない。
「なぜ、倒さなかったのですか!?」
「冗談……アンタ戦争したいのか?解らないことだらけの俺でも、それが引き金になるくらいヤバイ奴だったよ」
鋭児は、そう言って千霧の手を引き、自室へと戻るのである。
「ちょっと!お待ちなさい!」
新も雲林院に背中を守らせながら、館内に戻るのである。
自室にて――――。
「鋭児さん。余り無礼は……」
「解ってますよ。だからちゃんと報告したでしょ?相手側の視察も来てたって……」
「まぁそうですが……」
鋭児は、東雲家の中で育ったわけではない。だから、新にそんな口の利き方が出来るのだ。ただ、その不遜な態度は、必ず蛇草に跳ね返るのだろうと、千霧は思っていた。
だから、鋭児は自室に戻るなり、直ぐに電話を掛けるのだ。
「ああ、霞様ですか?実は……」
衛士の中でも、霞との直通電話を持っている数少ない人間である。それだけ、霞も鋭児の事を気に入っていると言うことだ。尤もそれには、蛇草が彼を二人目の弟、いやそれ以上に可愛がっているということも、大きな理由の一つである。
鋭児はわりと、狡猾な立ち回りをするものだと、千霧は思うが、それはそれで頼もしい。確かに彼という存在が東雲家には、必要なのだろうと千霧は思う。
「鋭児さん……。その、少し身体を温めませんか?」
千霧が宿に戻ってまず行いたかったのは、自室に設けられている温泉で、二人の時間を過ごすことだった。
新との問題は、一端おいておくことにしたのだ。
入浴後、千霧は蛇草に対する報告を纏めることにした。鋭児は少し眠りについている。彼の一仕事は、終わったのだ。
そうはいっても、自分達の行動を纏めるだけの事である。里では歓迎とは行かなくとも、滞在する機会を与えられたこと、特に対立姿勢を見せるわけではないと言うこと。
彼等は、朽ち行く里と共に在らんとすることを望んでいること。
ただ、そんな蛇草からの返信は、「惚気話は聞きたくありません!」の一言であった。
「え?あら?え?」
どうやら、行動記録の中には、多分に鋭児との時間の過ごし方が含まれていたようだ。再提出を求められる事になる。
次に部屋の扉がノックされる。そのノックに気が付き、千霧が扉側までに近寄ると――。
「雲林院だ」
「はい」
「どうやら、お暇した方が良さそうだ」
「解っています」
矢張り、新の単独行動が裏目に出たようだ。東雲家の一人が単独行動を起こしたことが、知れたということである。
新が来るタイミングが悪すぎたというのが実情だ。
要するに、里を誰かが見つけたというその情報が、双方に知れ、訪れるタイミングが似通っていたために、普段なら気にとめられることもない動きの一つが、察知されてしまったという事になる。
何故なら、東雲家の人間は、あまり邸内から出ることが無いからだ。
美逆とは異なり、直系血統である新がは、機会があれば狙われることになるということだ。
雲林院は、止めなかった訳ではない。それだけ新が強情だということなのだ。
大名行列を作らないことで、彼女は隠密行動をしたつもりなのだろう。
千霧は鋭児を起こし、温泉街を後にするのだった。
「あーあ。行っちゃったよ。遅ぇよ黒羽……」
少し離れた場所で、彼等の行動を監視していたのは、佐山という男である。そしてその当の本人の黒羽は、今頃山の中を抜けようとしている頃合いだ。
要するに、彼の情報提供がもう少し早ければ、東雲新を捕縛の可能性もあったのだ。
「ですが佐山さん……」
「ダメダメ。あのグラサン黒服はどうにかなっても、あの赤頭と白髪女はヤバイって。黒羽じゃないと、相手できないよ」
「ですが……」
「アイツ等は、籠に能力者囲ってんだ。俺たちみたいに、半野良じゃない。悲しいねぇ、国力の差ってのはさ。撤収だ!」
「赤羽さんは?」
「ほっとけ。どうせ真っ直ぐ帰ってきやしないよ」
そう言って、佐山ともう一人の男は、その場を去るのであった。
車を運転しているのは、雲林院でその助手席には鋭児。後部座席には新と千霧という並び順である。
新は、後部座席でブツブツと文句を言っている。自分の不用意な行動が、鋭児達の日程も早めてしまったことなど、全く気にとめない様子である。
「温泉卵を食べ損ねてしまったわ……」
と、どうやら目的の一つを達成しそびれたようである。
こんなところが、世間知らずなのだろう。プライドばかりで無鉄砲なのだ。勿論彼女がこうして、無茶でも動こうとするのは、少しでも兄である霞のために、自分の出来る事が何かを模索しているからこそなのだが、要するにそのための指導者がいないのだ。
蛇草が優秀なだけに、新があえてそれを熟す必要もなく、第三位の彼女は武闘派としての東雲家よりも、内省的な淑女を求められているのである。
抑も両者とも、互いの殲滅戦を狙っている訳でもない。勿論何かの切っ掛けでゲームチェンジが可能となるキーマンを抑えたいとも、思っている。
そして、その大半のキーマンは六家に集まっているという状況なのだ。
だが、争いの火種は未だに燻っているのも現実なのだ。
今日昨日の出来事は、当にその一端に過ぎない。
「所で千霧、貴方が大事に抱えているその包みは、何ですの?」
新は、少し香る土の匂いがする新聞の包み紙が気になり始めた。
「これは……自然薯です。里のお婆さまから頂いたものです……」
そう言いながら、何故か千霧は頬を赤らめるのである。なぜ顔を赤らめているのか?という理由を知っているのは鋭児だけであり、苦笑いをしてしまうのである。
新にも、雲林院にも理解出来ず、頭が「?」なってしまうのであった。
ただそれは、悲しいかな東雲家に戻り次第、一同に振るわれることとなり、千霧の夢もご破算となってしまったのは、また後日談である。
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