第1章 第7部 第42話
「ダメ!焔!そんな!」
アリスは平静さを装えなくなる。何よりこの瞬間が全てを決める。アリスはそう思っていた。
それはアリスが想像していた以上の事なのだ。双龍牙双脚をも上回る大技。いや、それは予想はしていた。しかし、大技といっても、その威力を倍以上に上回るものなど、そう容易くコントロール出来るはずがないのだと、彼女は思っていた。
吹雪は完全に腰が砕けてしまっていて、立てる様子も無い。
そして鋭児も空中で完成された陣の上で、下界を見下ろすように宙に浮いている。
「マジかよ……」
これには、流石の風雅も驚きを隠せない。
「鋭児ぃぃぃ!!」
「焔ぁぁ!」
これで決まる。
二人の気合いが互いの名を叫ばせるのだ。
「
焔が宙返りをすると同時に、円が持ち上がり、体を捻り、上空で円に向かい、蹴りを二発放つのだ。
まず一つ目の円から龍牙四頭、そしてもう一つの円からも四頭。
合計二組の龍牙、争い競うように、更にらせん状に絡み合い、鋭児に襲う。
全ての龍を撃ち放つと、中央の円と両足で刻まれた二つの円は消失し、焔はバランスを崩しながら、そこで仁王立ちになるのだ。
「
鋭児は拳で円を打ち抜く。しかもそれ焔が放った技の龍の数だけだ。
幾つもの火の鳥と、龍がぶつかる。
そして九発目に、鳳凰に相応しい鳳凰が焔に向かって、打ち抜かれる。
そして、それは焔に向かって直撃するのだ。躱すこともなく、焔はただそれに打ち抜かれることになるが、彼女はそこから微動だにしない。
鳳輪脚を打ち込んだ鋭児は、着地すると同時に、一気に焔に向かって駆け寄る。
焔は、まだ倒れてはいない、そして彼女との決着は大技よりも、これしかないと鋭児は思ったのだ。
そして、焔もそれに応えるようにして、一瞬身体を後ろに逸らせる。
不知火家で戦った時、焔に躱された頭突きでの衝突。
自分の頭が割れる恐れもなく、鋭児が突進すると焔の頭部が構えるように、前傾姿勢を取る。
しかし、鋭児と焔の頭部が、ぶつかり合う直前、焔の身体が傾く。ぶつかり合うはずの頭が、交わらず、鋭児はそれに気がつき、まるで彼女を攫うかのように抱きしめ、そのまま舞台袖まで、勢いのまま滑り、直ぐさま焔を仰向けにして、立てた膝の上で抱きかかえる。
「焔……さん?」
闘士は、舞台の上では跪かないものだ。
鋭児にはそれが信じられなかった。彼女はすでに鋭児の腕の中で力なく、身体を任せている。
「おい……何してんだって。これでキメるんだろ!?なぁ!」
もう少しだった。
焔が願う完全燃焼まで後一呼吸だったではないか。
鋭児には信じられなかった。
場内がザワつく。
「行こう」
聖が立ち上がる。その表情は明らかに何かを知っていると、大地は直ぐに気が付く。
普段軽いのりが人生のような風雅ですら、その表情が引き締まり、その異常な事態に、気を重くする。
「ダメよ。ダメ……」
普段人をからかうことに人生の生きがいを感じているかのようなアリスが、震えて立てなくなっている。吹雪も震わせて言葉を発することが出来ない。
鋭児は、焔を舞台にねかせ、口元で呼吸確認し、胸元で彼女の鼓動を確かめる。
「んな……なんでだよ!なにやってんだよアンタ!」
鋭児は懸命に、心臓マッサージを始める。誰に教わったのだろうか、その的確な動作は、誰も口を挟むことが出来ない。心臓を押し、計ったように人工呼吸をする。
しかし、焔は動かない。
――――ああ、逆上せていた。自惚れていた。
まるで、映像の中の世界のようなこの学園生活で、乱暴だが心地よいこの人との生活が自分にとって何よりかけがえのないものになっていた。
いや、それ自体はすでに知っていた。
心地よかった。
その心地よさに逆上せていた。
何に安心して胡座をかいでいたのだろう。なぜそれがそのまま続くと思ったのだろう。
幼き日に失った両親との生活がまさにそうではないか。静かに暮らしていた祖母との生活が当にそうだったではないか。
大事なものを見守っておかなければ、それはいとも簡単に壊れてしまうのだ。
自分の無力さは誰よりも痛感していたはずだった。
何を自惚れていたのだろうか。
常人とも思えぬ力を身につけたからといって、それで全てを成せるものだと、思ってでも居たのか。
大事名この人の願いだといいつつ、自分達の関係が壊れることを誰よりも、恐れて目を背けていた事実があるではないか。
怒濤のように襲う喪失感の波が今にも自分を飲み込もうとしている。
もう出来る事はない。失ったものは取り戻せない。
この人が、自分で人生を選ぶ人だということは知っている。そしてそれを貫こうとしている人だと知っている。だからそれが正しく、そうするべきだと思った。
これで引退だという彼女の言葉を信じた。
いや、その彼女の言葉に逃げた。
自分は何をしているのだろう。
鋭児は気が狂いそうになりながら、懸命に焔を起こそうとする。
だがそれは適わない。動かない。
鋭児は両手を見る。
ある。まだある。自分の命だ。焔と自分波長はよく合う。気の力はなにも、戦うだけが全てではない。心臓が止まったからといって、肉体が全て灰燼と化すわけではない。
鋭児は、両手に目一杯気力を溜め、焔の胸を叩く。
「起きろ!起きろよ!焔さん!起きろって!」
鋭児が一つ。握られた拳を一つ。焔の胸に叩き落とすと同時に、鋭児の気が焔に送り込まれる。
少しずつ血の気の引いていく焔の顔色に、更に気持ちが焦る。
審判が近づき、焔を確認しようとする。
鋭児がいたたまれなくなり、彼の処置を止めようとしたのだ。
「触るな!オレの焔に触るなぁ!」
まるで猛り狂ったかのように、真っ赤に燃える鋭児の眼孔が、審判を退かせる。
誰かに触れられてしまえば、その事実を認めざるを無くなる。鋭児には恐怖以外なにものでもなかった。
そして、痛々しいほどに焔を懸命に起こそうとする。
「だめ!だめだよ!鋭児クンもうやめて!」
その時、自分の背中に縋り付くようにして、誰かが抱きついてくる。
誰が自分と焔の大事名繋がりを壊そうとするのかと、今にも鬼神の如く怒りに満ちあふれようとしていた鋭児の目には飛び込んできたのは、輝かしい銀髪と、そして背中に感じるホッソリとした温もりだった。
「それ以上。そんなに髪の毛が白く……それ以上やったら、鋭児君が死んじゃうよ!」
「ふ……ぶき……さん」
「私を置いて……いかないで!」
我慢仕切れなかった自分の我が儘だ。切なすぎる吹雪の声が鋭児の胸に響く。
「ちく……しょう。チクショウ!」
まるで詰め腹をするような苦しみの中、鋭児は最後に固く握りしめて、解けなくなった両手を、焔の胸の上に、ストンと落とす。
諦めきれない涙が、その拳の上にポツリポツリと落ちるのだ。
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