第1章 第7部 最終話

 力の入らない身体を、大地に任せるアリス。

 一光の二の舞になってしまったのかと、肩を落とす聖。

 重苦しい雰囲気に、絶えきれず、舞台を一つ蹴り、背中を向ける風雅。

 そんな中だった。

 

 「かは!はぁ!はぁ!」

 鋭児の目の前で、信じられない光景が映る。

 

 まるで今まで、水に溺れていたかのように、息苦しく、懸命に酸素を求めるようにして、胸を上下させる焔がそこにいた。

 「焔……さん?」

 「焔!」

 「鋭児?……吹雪?オレ……は……」

 焔も状況は理解していない。

 「バカな子!本当に!」

 アリスは蹌踉めきながら、焔に近寄り、彼女の胸に一度耳を当てる。

 確かにそこには焔の鼓動がある。止まったはずの焔の鼓動があるのだ。

 「先輩……オレ……」

 焔は意識を朦朧とさせながら、目の前のアリスを認識し、もう一度静かに目を閉じる。

 「大地!この子を医務室に!」

 「ああ……」

 鋭児はすでに立てない状況だった。彼の様相はまさに、精根尽き果てたように、頭髪も肌も真っ白になていたのだ。

 

 「勝者……黒野……鋭児……」

 気後れした審判のコールが漸くそこで告げられるのだった。

 

 

 ―――― 後日談 ――――

 

 

 何の奇跡であったのか。

 確かに焔は命をつなぎ止めた。鋭児は三日ほど昏々と眠り続ける。

 

 焔も安静を余儀なくされたが、発作が起きることは今のところはないようだ。

 勿論試合をすることや、技を放つことは出来ない。ただ、神村の見立てでは、弱っているものの、何か異常を感じるような状況でもなく、心臓も壊れていないということだ。

 それどころか、まるで全ての組織が生まれ変わったかのように治っているらしい。

 

 一体何事が起こったのか。

 ただ、そんな焔の胸には、鋭児が打ち込んだと思われる力の影響のせいか、鳳凰の型が白く小さく、その胸に刻まれていた。

 属性焼けをしている焔の肌のその部分だけが、まるでそれを拒むかのように、白くなっているのだ。

 

 蛇草は焔の前で頭を下げる。

 あの時大人として自分がしっかりと止めていれば、彼女を諭すことが出来れば、こんな危ない結果になることも無かった。解っていたことだった。本当に自分の不甲斐なさに頭を下げる。

 鼬鼠蛇草は、こういう人なのだと。

 この人の心根の優しが、随分自分の事で苦しめたに違いないと、焔も頭を下げ、不知火老人も頭を下げる。

 

 「私。鋭児君に合わせる顔がない……」

 蛇草は千霧の肩を借り、静かに泣いた。そんな蛇草を千霧は、そっと抱きしめて慰める。

 「蛇草姉様……それは、皆思っていることです。鋭児さんも、吹雪さんも」

 焔を止められなかったのは、何も蛇草だけではない。

 誰もが焔の意思を汲もうとした結果が、こうなってしまったのだと。千霧は蛇草を子共をあやすように慰める。

 

 「オレは……どうなったんだ?」

 焔が休んでいたのはアリスのコテージである。そこにはアリスと神村がいる。そして不知火老人が居合わせていた。それは鋭児が目を覚ましたのとほぼ同時刻といったところである。

 目覚めた焔は身体に気怠さはあるが、それ以外は自分でも落ち着いているのが解る。

 「試合中に倒れたんですよ。心肺停止状態になって……」

 「ああ……」

 神村のそれに対して、焔はそんな返事をする。それはいいのだ。それは分かっている。少し厳し目に、焔を戒めるような言葉に対しても、焔は少し虚ろな返事を返す。

 焔が尋ねたかったことは、そういうことではないのだ。

 何故自分が生きているのか?ということである。

 「さてのう……運が良かった……だけでは、なさそうじゃの。どうやら……」

 不知火老人は、ホッと一安心というような溜息をついた。焔を失わずに済んだのだ。それが何より幸いなことである。

 「脈拍も心拍数も大丈夫なようですが、もう暫く安静を。これから黒野君の方に向かいます」

 神村はそう言うと、コテージを後にするのであった。

 「先輩……」

 「五分五分だったのよ。私の見通しでは……」

 何が五分だったのか?などとは聞くまでも無かった。それは自分が生きる確率である。焔自身は、ほぼゼロに近いと思っていた。ただ、アリスと話したときに、それを濁していたのだ。

 「そっか……」

 ただ、それを告げたアリスの肩が酷く震え、彼女は自分の肩を押さえて、懸命に平静を装っていた。

 アリスの予想を超えたのは、間違い無く螺旋双龍牙双脚である。ただでさえ負荷の高い双龍牙双脚と、螺旋双龍牙の合わせ技を、形にしてしまう焔の感覚は矢張り、群を抜いており、恐らくその瞬間の焔は、心身ともに限界に近かったはずだ。

 不発で終わる可能性すらあったのだ。

 だというのに、彼女はそれを完全に形にしてしまったのである。誤算だった。

 「私も魔女としては、未熟ね……」

 だが、その未熟さ故、見通しが出来ぬことがあった故、こうして起こる奇跡もあるのだ。

 ただ、その奇跡は運が良かったというだけのものではないのは、不知火老人の先ほどのこと場通りだ。

 「焔。貴女の胸の痣……覚えがある?」

 「痣?」

 焔は、不知火老人がいるというのに、パジャマの前を引っ張り、胸の谷間から覗く白く射貫かれた鳳凰の痣を確認する。

 「いや……試合前には……なかった」

 「そう……よね」

 焔はすでに龍の刻印を足に持っている。同時にそれを持っていることは、本来あり得ない。彼女の象徴は龍である。そして鳳凰は鋭児の象徴だ。

 そして、それは鋭児が焔に魂を注いだ場所でもある。

 

 「貴女の心臓ね。何とも無いそうよ」

 「え?」

 それを告げられた焔は驚きを隠せない。確かに自分が倒れたときは、もうその心臓は、自分の操る気に耐えられなくなっていると、宣告されたのである。

 だというのに、それが問題無いと言われては、あの苦しみはなんだったのか?と疑わずにはいられない。

 

 「黒野君には、我々の知らぬ何かが……ありそうじゃの。のう?アリスちゃん」

 「そう……ですね」

 「さて、蛇草ちゃんも、相当落ち込んでおるようじゃし。ちょっとこのジジイが吉報を届けてやるとするかの?」

 

 吉報。

 それは、焔が目を覚ましたという単純なものである。

 そして、神村の見立てでも、もう大丈夫だということを、伝えるだけのことだ。

 だが、誰もが救われる瞬間でもある。

 自分の不徳の致すところだと、不知火老人が頭を下げれば、誰もが押し黙るしかないのだ。

 

 不知火老人は、アリスのコテージを出る。

 そして、外に停車していたリムジンに乗り、その場を後にするのだ。

 「鋭児のやつは?」

 「今は、吹雪と千霧先輩がべったりよ。特に吹雪はね」

 「そ……か」

 

 鋭児の事は今は、二人の任せておこう。

 焔は、再びベッドに身を沈める。そして今はただ、こうして生きている事の幸せと安堵を胸に、まぶたを閉じるのであった。

 

 「一度、黒野の里の長老に、尋ねる必要がありそう……ね」

 それは鳳家つまり、鋭児の両親の家系がなぜ、不知火家から除名され、その身を黒野の里に隠すことになったのか?ということだ。

 焔には、明らかに鳳凰の力の何かが関与している。鳳凰は、鳳家の象徴である。

 そして、鋭児はそれを背負っているのだ。

 「でも、まずは……」

 そして眠っている焔の額をそっと撫でるのである。

 まずは彼女の完全回復である。元の焔に戻れるのかは解らない。ただ少なくとも、今彼女は、炎皇継承という役目を果たし、安息の床についているのだった。

 

 

 

 エレメンタルプラス 第一章   完  

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