第1章 第7部 第37話

 「ま、まさかこの網の上から、たこ殴りは、ないよね?」

 風雅は網の中で、みっともなく藻掻きながら、冷や汗を書きつつ、鼬鼠を見る。

 「それが望みだってんならそうしますが?」

 「いや!冗談!風皇戦だよ!?そんなみっともない負け方とか!」

 「だったら!。だったら、ベラベラ喋ってねぇで、とっとと奥の手……出してくださいよ」

 そう言いつつ、鼬鼠は風雅を踏みつけるようにして、大きく一歩前へと、足を踏み出すのであった。

 

 「ああ……そういうこと」

 今までヘラヘラしていた、風雅の声のトーンが僅かに下がる。それだけで、浮ついていた彼から、それが消え凄みが出る。

 みっともなく網に包まれているというのに、相手を一つ二つ下がらせるには、十分な気迫である。

 風雅としては、鼬鼠の仕上がりを見る事が出来れば、それで十分だったのだ。

 その上で、非常に気分が良かった。自分の実力を知りながら、負けん気を持って挑むその姿勢、安定した力、十分な間合い。どれをとっても及第点だと言って良かった。

 今の鼬鼠の態度が気に入らなかったわけではない。

 舞台であると同時に、これは鼬鼠に対する試験でもあった。つまり、全ての技の出し所は、風雅次第と言ったところだったのだ。

 しかし、その主導権は鼬鼠が完全に握っている。

 

 「素戔嗚……」

 風雅が凄みを利かせて、その名を口にすると、鼬鼠の作っていた網は、散り散りに砕けてしまう。

 そして、風雅はユックリと立ち上がり、サングラスを外し、天高く放り投げる。

 真っ白な眼差しに、その輪郭が黒く縁取られているため、風雅の目が真っ白の球体というわけではないのは解る。しかし、その白さが凍てついて見えるのだ。

 彼の周りに立ち上る風の気が、その髪を上に持ち上げ、表情を固くつり上がらせる。勿論そこには、普段見せない風雅の本気が現れているのは、間違いの無い事実だ。

 

 鼬鼠は、半歩退きそうになる。

 それは、風雅に恐怖したからではない。彼から溢れ出す気の密度が余りに高いため、それだけで、圧力が掛かるのだ。

 ましてや風雅に網を被せていた鼬鼠は、その制御のため、自らの防御に対する配分を減らしていた。子供じみてはいたが、風雅を捕まえるほどの技には、それなりに繊細さと強力さを要するのである。

 

 当にこの瞬間の風雅は、荒ぶる神となったと言って良い。

 雷と風を纏った彼は、力強く早く、何より猛々しい。決して大柄な風雅ではないが、その動作一つ一つが、非常に躍動感があり、ただ拳を振るい、蹴りを回すだけで、大気の刃が飛び交い、周囲に雷を迸らせるのである。

 鼬鼠は雷神拳で、瞬発力を上げ、懸命にこれを躱すが、風雅を引き離す事は出来ず、いとも簡単に間を詰められ、殴打を受ける。

 風圧を纏った拳の直撃を受けた、両腕はそれだけで、血を散らす程に切り刻まれる。

 幸い皮一枚といった具合で、肉に達しているわけではない。

 それでも、鼬鼠の全力で出来る防御は、その両腕のみである。

 そして、それまで饒舌だった風雅はそこにはいない、防戦一方になった、鼬鼠には現状戦える術がない。

 防御姿勢で待つのみの鼬鼠に対して、風雅は一歩ずつゆっくりと間を詰めるのである。

 風雅は焦る必要はないのだ。

 鼬鼠が飛び退けば、それを追えば良いだけのことなのだ。

 

 これは試合である。そして風雅からの試験である。命を絶たれ再起不能にされることはない。

 それが分かっていながらも、現状風雅に一撃を浴びせる可能性は、見いだせない。

 鼬鼠は歯ぎしりをする。

 「舞台袖で見るのと、上で見るのとは、やっぱ迫力が違うな」

 だが、覚悟を決めた鼬鼠は、諦めたかのように防御の構えを解き、固いながらも清々しい表情をする。

 「うん。鼬鼠ちゃんはよくやったよ。今日でも合格でもいいんだけどね。実際」

 「冗談。こんなハンパじゃ、あのクソ姉貴に見せる顔がねぇよ」

 鼬鼠は確信している。今年はおろか、来年ですら風雅に勝てる見込みはないだろう。天海風雅という男は、それほどの存在なのだ。

 風雅は素戔嗚という状態に入っているだけで、行っているのは普通の攻撃である。

 尤もそれですら通常の技以上であるため、そこから繰り出す技など、ほぼ無用の長物に等しい。よって、風雅すらそれ以上を必要としていないのだ。

 

 「じゃ、そろそろキメようか!」

 風雅が、大きくそして鋭く拳を振り、鼬鼠に殴りかかろうとしたその時だった。

 「素戔嗚!」

 鼬鼠が叫ぶ。

 当に隠し球だと言って良い。鼬鼠が風雅と同じ技を使ったのである。ただ鼬鼠の目はいつもどおりであり、風雅のように開眼しているわけではない。

 そんな鼬鼠の表情は引きつっており、状態としては可成りギリギリの状態である。

 「へぇ……」

 風雅は一瞬驚きはしたが、返事は余裕である。そして層で無くてはならないとおもったのだ。

 そこからは、。ぶつかり合う暴風が、舞台の上でただ暴れ回る激しい打ち合いである。

 しかし、常に裕りのある表情の風雅とは違い、鼬鼠には必死感が否めない。それが現在における両者の力量差と言えた。

 絶えず攻勢に出る鼬鼠だが、それはそうしなければならないからそうしているのだ。

 一方同じ状態であっても、風雅はただその時を待てば良い。そう、ただ一つの時だけを。

 風雅は決してまともに取り合わないわけでは無かった。

 攻撃もすれば防御もする。

 「クソッタレ!」

 しかし、鼬鼠にはそれが更なる試験であるようにしか思えなかったのだ。

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