第1章 第7部 第21話
聖はゆっくりと立ち上がる。
「日向。あとで、ちゃんと話がある。僕の部屋に来てくれ。いいね?いや、必ず来るんだ」
焔は返事をしない。だが、彼女がそうしなければならないのは、彼女自身が一番よく分かっていた。
なんとも言えない歯切れの悪い最終戦である。
聖と焔の間にある因縁から考えると試合は荒れるだろうと、誰もが予想していた。だが、まさかセコンドの乱入による、放棄試合となるとは、誰も思わなかった。
ただ、焔の気持ちを理解している者達からすれば、それをせめる責めることなど出来る訳がなかった。
六皇戦において、特に表彰式というものはない。とは言うものの、後の日に学園長から呼ばれ、それを承るだけだ。それは何とも無味簡素で、呼び出されはしても、ものの数分で終わってしまうようなものである。
本来、六皇戦が終わると、翌日には速やかに退去を迫られることになる。
部屋そのものは、高級ホテルにも匹敵するものではあったが、正直それに浮かれるほどの余裕は彼等にはない。
特に今回は、そんな気持ちにはなれなかった。
その中でも、それを脳天気に喜ぶとすれば、アリスくらいなものだろう。
本来風雅が一番喜びそうなものであるが、同伴が鼬鼠となっては、喜びも半減である。というのも、バカンス気分を味わうならば、矢張り女性に限るからと言う、非常に単純な理由である。
特に一人で寝泊まりしている聖の部屋は、何とも静かなものだった。
そんな静かな部屋の扉を、焔はノックする。
「開いてるよ」
静かで落ち着いた聖の声がする。ただ穏やかで、怒りの欠片も感じる箏は無かった。
焔は、扉を引き空ける。さほど重くもない扉のはずだが、気持ちの分その扉が重たく感じる。
彼女が部屋に入ると、ソファに座り、顔をぬれタオルで拭いている聖がいる。顔面は少々腫れているようだが、それは思うほど酷いものでは無く、数日もかからないうちに、普段と変わらない彼になっているだろう。
「話……しにきた」
焔は、聖の正面に座る。
「そうだね……」
そう言って聖は、タオルで顔を拭くのを止めた。
そして、座ったままだったが改めて、焔に深く頭を下げるのである。
「まずは、君の大事な人を手に掛けた事を、本当に済まなく思う。それが譬え、彼が僕に望んだ事であったとしても……だ」
その一言を聞くと、焔の中の様々な感情が沸騰して膨張し、血流になって体中に駆け巡り、肌がザワつき、制御不能になりそうなほどに、一瞬震える。
だた、次の瞬間堪えてもどうしようもないほど、涙が溢れ出し、感情の消化不良を起こした子供のように、一瞬高い鳴き声が漏れ、悲痛な表情で見下ろすようにして聖を睨むばかりだった。
「なんで!何でなんだよ!チクショウ!」
何故一光は助からなかったのか、何故どうしようも無かったのか、何故それを選んだのか、自分を思うなら、ただ生きてくれれば良いではないかと焔は思う。
鋭児が自分のも下に現れ、彼との日常は焔にとっても掛け替えがなく、今では一光と比べても遜色がなく、ある意味頼りない分、より愛おしい存在となっているものの、矢張りどうしてもそれだけが自分の中での心残りでどうしようも無いのだ。
「聞いたんだろ?恐らく不知火の爺様に」
「ああ、二年の終わりには、もう症状出てたって。なのにアイツは!」
彼はそれでも自分の憂さ晴らしになり、彼は苦悶の表情など一つも見せずに自分をここまで引き上げてくれたのだ。
それが急に、自分の目の前で殺され居なくなった。
焔自身、彼の次代に恥じぬよう、炎皇としてその強さを身につけた。いや、それは抑も彼女にその天性があったからこそだが、彼が死んだその日から、前だけを向けて生きてきたつもりだった。
そして、全身全霊の一撃を聖に叩き込み、それで終わらせるつもりであったのだ。
だが、そのために磨き空けてきた双龍牙すら満足に撃てない自分になっている。いや、正直それを撃ち放ってやろうと思ったのだ。だが、その前にあっさりと聖が、自分に殴り倒されることを受け入れた。
そうなるともう、高ぶった感情のままに、彼を殴るしか、焔には術が無かったのだ。
「彼は、君をすごく評価してた。恋人としても次代の皇としても。そして弱り行く自分を見せたく無かった。六皇戦の舞台たった時彼はもう、まともに技を放つことも出来なかったんだよ」
聖はそう言うと、胸元のポケットから、一つの手紙を取り出す。
そこには、「最愛の焔へ」と、快活な一光らしからぬ、丁寧で落ち着きのある整った字体で、そう書かれていた。そこからは、悟りの境地しか見えないほどだ。
今、このタイミングこの瞬間で、これを渡されるということは、それが彼女が事実を知るべき時だということだ。
ただ、事実はすでに知られており、ある意味この手紙は遅きに失するのかもしれない。
それでも、最初の一言に――――。
「お前を置いて、先逝く自分を許してほしい」
と、書かれている。その後の経緯は、今まで知らされた通りだが――――。
「どうか、我が友を恨まないでほしい」
と、最後にそう綴られていた。勿論自分の事を忘れた、新しい恋をしてほしいなども、ありきたりであるが、書かれていた。
「遅ぇ……遅ぇんだよ!オレは!」
「君は、まだ引けるだろ?」
聖がその一言を言うと、焔はハっとした顔をして、聖を見る。
「そのために、君はこの六皇戦で、技の一つも打たなかった。それどころか、順位戦でも、まともに戦ってないんだろう?」
聖は知っている。自分の状態を。
「どう……して」
「解るよ。仮にも、アリスと対極にある僕だよ?解らないはずがない。風雅や大地は、君が体を壊しているくらいにしか思ってないけどね」
「吹雪も……鋭児も……」
焔はそれらに二人の名を連ねると、聖もそれにコクリと頷く。
厳密に言えば、焔の状態は、風雅達よりも鋭児達の方が、より深く理解していたと言って間違い無い。
「でも、やっぱアリス先輩は、解ってた……か」
「そうだね。普段飄々としている彼女だけど、自分がそれを口にすることが、どれほど人を左右するか知っているから。きっと彼女も苦しいと思うよ」
なにも焔は、自分の命をかけてまで、それを貫き通す必要は、ないのではないかと、聖は言いたかった。
アリスの胸の内も含め、焔がそれを選ぶことが、どれほど周りに悲しい思いをさせるのか?と、聖は焔に問うている。
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