第1章 第7部 第22話

 焔は少し、両手で顔を伏せ、それから大きく体を反らすようにして、目を閉じたまま顔を天井に向け、大きく一つ大きく深呼吸をする。

 そして、再び正面を向く。

 だが、聖の方は向かない。自分自身、相手を直視できるほどの、面相をしているとは思わなかったからだ。そして正面を向けるほど、前向きな気持ちな訳でもない。

 「一光は、もうダメだったのか?」

 「ああ、もう何ヶ月も持たない状態だった」

 「そう……か」

 それは、どのみち一光は死ぬ運命にあったということである。

 「悪かったな。しこたま殴った」

 「ああ、痛かったよ。技を使わなくとも、君の打撃の威力は高いんだな。正直見くびっていた」

 聖は皮肉交じりに苦笑する。

 焔は、その言葉には返す言葉が無い。

 厳密にいうと、気の力すら、まともに入れていたわけでもないのだ。自分の力で殴りたかったということもあり、拳自体は本当に、そのままの彼女のものだった。

 焔の手は大きいわけではないが、それでも吹雪やアリスのようにホッソリとしているわけではない。能力だけにかまけている訳ではない、武道家の拳である。

 

 「一光の拳は、少し横に置かないか?」

 そう言われて、焔は少し息を呑む。

 勿論聖が自分の状態に気がついていることも踏まえてだ。

 「僕が、全力で君と戦う選択肢を選んだら、君は一体どうするつもりだたんだい?」

 これは、恐らく答えが出ているだろう質問だった。

 「アンタの拳次第だ」

 焔はそう言っているが、これはすでに、二人戦いに決着が出ており、一光に対する答えが出ていたからこそ、冷静に出せた答えである。先ほどの焔が、それほどクールな答えを出せる状態ではないことくらい、聖は理解している。

 「いや、違う」

 そして、焔もそんな格好の良い答えなど無いことを、直ぐに理解し、それを訂正する。

 「何があっても、アンタを殴ろうとしたと思う」

 どんな手段を使っても聖を一発殴りたかった。彼に届く一発を放ちたかったのだ。

 その距離が遠ければ遠いほど、焔は力を消費しなければならない。

 それは間違い無く、彼女が死に近づくことを意味する。

 「君はこの舞台を死に場所に選んでも良かった……と?」

 焔の気持ちを考えれば、これは随分意地悪な質問であった。ただ、どうしようも無く、積もり積もった衝動が焔を突き動かした部分はある。

 何故一光は死んでしまったのかという、遣り場の無い悲しみだけが、彼女の中に、津津と降り注ぐ雪のように積もり、その内側では憎しみの炎が、燃えさかっていた。

 だが事実を知り、その炎は、力なく衰えて行くのを知る。

 辛うじて保っていた心のバランスも崩れ、この機会を逃せば、自分は葛藤のぶつけ所を失ってしまう。それが余計に彼女を突き動かす結果となったのだ。

 焔は口を噤んだまま、答えを言わない。そんな潔い覚悟などないのだ。

 ただ今想うのは、自分は確かに生きており、もう一つの目的である、鋭児との炎皇戦を迎える事が出来るということである。

 「どうしても、引けないのかい?」

 「オレみたいに、中途半端な炎皇にしたくねぇんだよ」

 それは回りの浅い評価であり、そんな小さな評価など、計るに値しないものだと、聖は思う。

 それでも、焔はそんな評価に随分足を引っ張られた。それは彼女と周囲の問題でもあるが、鋭児には自分を乗り越えた上で、その座に着いてほしいのだ。

 聖は止めたかった。

 だが、結局彼は一光の望み通りに、彼の人生をその手で終わらせた。

 弱り行く自分を誰にも、特に焔には見せたく無かったという、彼の意地のためだけに、その地を手に染めたのだ。

 そんな自分に、彼女を引き留める言葉など、どこにあろうか?と思うのだ。

 そして、周囲もそれを止めなかった。一光に異変があると知りつつも、彼等は一光を諫めることも諭すことも出来なかった。

 結局、その意地が自分達の自負で、この小さな学園の中で育った自分達には、譲れないものだということだ。

 大人の蛇草でさえ、それを理解しているからこそ、焔の意地に手を差し伸べたに他ならない。

 

 「顔を上げないか。お互い大して綺麗な顔じゃないだろ?」

 聖は、殴られた自分の顔を含めて言っているのだ、何とも皮肉の混じった冗談だが、それが焔には何となくクスリと笑えるのだった。

 

 焔は俯くのを止めた。

 それは本来炎皇になった時に彼女自身が決めたことでもあったのだ。

 だが、どうしても一光の事への拘りがあったし、真実を知るまでは彼女の心の中で、それは確かな心の支えだったのだ。闘争心の支えでもあった。

 「じゃ、帰るわ」

 焔は立ち上がる。

 「日向!」

 「ん?」

 「お前は、死ぬな」

 「約束は……出来ねぇ」

 焔はそう言って、聖の部屋を出る。

 結局自分がやっていることは、一光と大差ないにだろうと、焔は思った。ただ、どうせ倒れるなら、鋭児との一戦で倒れたい。それが自分の完全燃焼だと思った。

 そうなると、また聖が鋭児のために、今日のような機会を作ってくれるだろうと、焔は勝手ながらも期待をする。

 あれほど、恨むべき相手だったというのに、今はその欠片の微塵もない。

 悲しみはあるが心の整理は付いた。もうこの事実は誰の秘密でもない。彼が何故死んだのか、自分の果たすべき敵討ちは、まるで意味は無かったことだが、それでも一光も無意味に殺されたわけではない事を知る。

 今は、その分心に平穏が戻った気がする。

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