第1章 第七部 第11話

 鋭児と吹雪は、通路で別れる事になる。それぞれの部屋に戻るのである。

 その時に、小さく手を振る吹雪がなんとも可愛らしい。

 「ふーん……デレデレしちゃって」

 まるで肩に乗せるようにして、鋭児の横から、ひょっこり顔を出して至近距離で彼の様子を伺うアリスである。そういうアリスも美人である。別に彼女が急に現れたわけでもないし、なんなら、ずっと一緒にいるのだから、驚く必要すら無いのだ。

 ただ、余りに距離が近すぎる。

 吹雪が通路を曲がり、姿を見せなくなった直後という、何とも絶妙なタイミングである。

 鋭児は、テレもあり、すっとアリスとの距離を空けるが、吹雪が好きなのは隠すまでもない事実で、アリスの正面を向いた鋭児は、観察の絶えないアリスの視線を浴びながら、照れくさそうにしている。

 「せ、先輩も十分綺麗なんですから、距離が近すぎるのもちょっと」

 半分誤魔化しでもあるが、それはそれで、そうと思っている。

 「あら、嬉しい」

 お世辞ではあるがお世辞ではない鋭児のそれに、アリスも機嫌が上々になる。抑も別段機嫌が悪かったわけではない。だが吹雪を見る鋭児の視線は、他の人間を見るときとは大きく異なっているのをからかいたかっただけのことなのだ。

 「大切にするのよ」

 ただ次にはそう言って、今度はアリスが背中を向けて前を歩き出す。

 「はい……」

 それは素直な鋭児の返事だったが、その言葉はなんだか嬉しかった。

 「それより、焔サンの事ですが……」

 「それは、帰ってからにしましょう」

 恐らく六皇とそのセコンド、この施設を管理している人間程度しか、通路を通ることもないだろうが、それでも滅多な会話をするものではないと、アリスは釘を刺したのだ。

 「はい」

 彼等の部屋は控え室ではない。完全にゲストルームとなっており、選手を隔離しつつも、決して彼等にストレスを与えない、至れり尽くせりの広さである。

 当然トレーニングルームも用意されている。

 

 この時は、鋭児がコーヒーを入れる。

 これは、アリスが選手でり、鋭児がサポート役という意味合いもある。

 「飯どうします?」

 「そうね。ルームサービスにしておきましょう。試合でお腹もすいているわ」

 というほど、アリスが何をしたのだろうかとも思うが、確かに自分の実像と匹敵するくらいに、完成度の高い分身を作り出すのだから、技術としては高等なものなのだろう。

 鋭児は、電話口で適当に食事を頼む。

 というより、アリスが横に立って、ルームサービスのメニューをアレコレ指指して、鋭児にきっちりと指図をしているのだ。

 ある程度注文を終えると、二人は鋭児の入れたコーヒーを飲むことにする。

 本来は睡眠前に飲むべきものでもないが、食事もこれからだし、もう少しの間眠ることはできそうにない。

 「聖さんとのアレ、勝算あったんですか?」

 「さぁどうかしら?闇属性の真骨頂は暗殺だから。抑も、姿をさらした状態での戦闘は、余り得意とは言い難いのよ。どちらかというとあの戦闘は四属性の方が有利ね」

 彼女の言い分からすれば、属性的にはあまり有利とは言い難いのだろう。

 ただもし、アリスの手の内がばれていなければ、といいうことになるが、その場合は実態のない彼女と延々と戦い続ける事になる。

 結果的に場外に待避していた事がばれてしまい、アリスの反則負けではあったのだが、そう考えれば、侮れないのも事実だ。

 そして、そういうズルを飄々として行ってしまう彼女の肝もまた据わっていると言える。

 「で、吹雪さんの戦いなんすけど」

 「ああ、アレはね。吹雪が一枚上手だっただけで、大地が弱いわけではないのよ?相性もあったでしょうし」

 「相性……ですか?」

 「そうよ。一見相反する炎の能力者が一番対峙に困りそうに思えるでしょうけど、反属性なだけに、対処法がないわけではないでしょ?だけど、四属性の中で、尤も動作が緩慢とされる、大地系の彼に、全身全霊の速攻を決めた吹雪の判断勝ち。大地には、速攻であの密度の氷を破壊できる術がないもの」

 「それじゃぁ……」

 下手をすれば、大地は死んでしまうのではないか?と、鋭児は思ったのだが、彼には優秀なパートナーがいる。当然それも吹雪には織り込み済みである。

 だから吹雪の方が上手だと言えるのである。

 「前置きはいいとして、焔ね」

 「そう……すね」

 焔の状態は知っている。恐らく本気で戦えるのは、自分との一戦だと焔は言っていた。だが、その前に聖との一戦がある。今日の風雅とのやり取りを見ていると、矢張り焔の状態は、風雅に悟られたと言っても良いことになる。

 勿論、目敏い彼等のことである。風雅のその行動を鑑み、その事に感づいても不思議ではない。そうでなくとも、風雅が何故試合を放棄したのか?ということには、注目が集まるだろう。

 ただ、六皇戦中、彼等に押しかける野次馬はいないし、これはあくまで学園内での催しであるため、外部の雑音が彼等に押し寄せる事はない。

 ただ、その分外部では噂が噂を呼ぶ事態になることは、想像に難くない。

 「心配?」

 ある意味当然と言って良い、アリスの質問である。

 それに対して鋭児は、一度正面に座っているアリスと視線を合わせて、半ば諦めたような寂しい笑みを浮かべる。

 「当然ですよ」

 だが、矢張りそれを言って聞く焔ではないし、表面を幾ら言葉で撫で合ったとしても、彼女の心の奥に点る火は決して消えることなく燃え続けるだろうと、鋭児は思うのだ。

 そしてそのまま燻り続けさせる事の方が、残酷なのだと、鋭児も思うのである。それでも鋭児は焔がそこで身を引けるものだと思っている。

 自分に出来ることは、彼女に十分な力を、その場で見せること以外にないと思っている。

 ただ、それ以前に聖との戦いを彼女がどうするかが心配である。その余力が無いのは、今日の戦いを見ても明らかだ。

 「鋭児……」

 アリスは自分がもどかしくて仕方が無かった。

 彼女自身語れる言葉はいくらでもあるのだ。だが、自分がそれを口にすることは、運命付けてしまうことになり兼ねないのである。

 言葉一つで、人の生死を司ることの出来る彼女は、おいそれとその言霊を口にしてはいけないのだ。

 鋭児は極力平静を装っている。そうしなければ、自分の気持ちも乱れてしまうし、そう言う姿を見せれば、焔もまた揺らいでしまう。

 今は、彼女がすべき事を見守りたいと思っている。

 堂々巡りだ。鋭児は深い溜息を一つつく。

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