第1章 第7部 第5話

 鋭児が学園に戻ったのは、随分夜のことだった。彼は一度東雲家により、それから千霧に学園まで送り届けられたのだ。彼女は言葉こそなかったが、帰り着くまでに確りと手を握ってくれており、彼の不安をずっと分かち合おうとしてくれていた。

 焔との関係がそれほど深くはない今、千霧に焔の心情を察することは中々難しい事だったが、鋭児が焔の虚勢に対して、必死に自分に何かを言い聞かせようと、深く呼吸を整えているのが解ると、より体温を分かち合うように彼の腕に身を寄せるのだった。

 「鋭児さん。吹雪さんもきっと心細いと思います」

 「はい……」

 解っている。解っているが、千霧にそれを言われると、鋭児は彼女に支えられた気がしてならない。鋭児が焔と吹雪を愛して支えたいように、千霧もまた同じように鋭児にそうしたいのだ。

 焔には、不知火老人がついているし、重吾も着いている。彼女は今不知火家に守られている。

 他家である蛇草が延々と彼女に手を焼くわけにはいかない。それはあくまで、霞の心遣いというものである。

 霞もまた、焔が余り良い状態ではないと言うことを知っているのだ。


鋭児はまず自分の自室に戻る。何かを思ったわけではない。メールを入れたわけでもない。

 ただ戻り、部屋の明かりを灯すと、彼のベッドの上で、吹雪が膝を抱えて座っていた。

 スラリとした彼女が膝を抱えて座っているものだから、それがなんだか余計に心細そうに思えてならない。

 「もどって……来ちゃった」

 吹雪は困ったような笑顔を作る。

 まるで追い出されて、戻る場所がないかのような彼女ではあるが、正月も三日を迎えていることから、彼女は取り急ぎというわけではなく、それでも少し早めに学園へと戻ってきたのであるが、天聖家としては、余り愛想の良い対応には見えなかった。

 彼女はその容姿技量から、天聖家に高く買われているが、それでもその寵愛にかまけているのではないか?と、彼女を疎む者も出てくる。

 ただ、そんな吹雪を学園に戻りやすくしてくれたのは、何を隠そう聖なのである。

 ただ、いくら焔が親友だからといって、天聖家からの帰還後に、不知火家に顔を出すと言うことは、余りに節操のない振る舞いとなるため、それではそのために、早期の帰還を望んだのか?と、不審がられてしまう。

 吹雪自身は意に介さぬ所ではあるのだが、それは不知火家に迷惑を掛けかねず、彼女は結局此所で待つしか無かったのだ。

 鋭児は何も言わず、吹雪の側に座ると、何も言わず彼女を抱きしめる。本当に水のようにするりと鋭児の腕の中に馴染む吹雪のしなやかさは、なんとも愛おしい。

 そしてホッソリとした彼女の背中は思う以上に頼りなく感じる。

 焔がいる事で喜怒哀楽を楽しんでいる吹雪だが、太陽のように明るい焔が自分の側から居なくなると言うことは、彼女にとって耐えがたいものなのだ。

 確り物に思える吹雪が、思う以上にその存在に依存していることを鋭児は知る。

 確かに焔がいなければ……と、鋭児も思うところが有り、吹雪の心細さは、推し量れてしまう。そして焔を無くした吹雪は、帰る場所もなくしてしまうのだ。

 もし鋭児が戻って来なければ、彼女はベッドの上で膝を抱えて、一人で寂しくその帰りを待つのだと思うと、鋭児はゾッとする。そんな吹雪は見たくない。

 「大丈夫だったから……焔サン……」

 「うん……」

 鋭児もまた、吹雪に嘘をつく事になる。心の奥底に残る不安が拭えたわけではない。そう信じるしかないと思ったのだ。

 自分の為にも、吹雪のためにも。

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