第1章 第7部 第2話
よく明朝、黒いリムジンが美箏の家の前に着けられる。
鋭児とアリスは、美箏達に見送られながら、そのリムジンに乗り込むのだが、その時に千霧が心配そうに鋭児の手を取るのである。
「焔さんの様態ですが……」
「あ……うん。重吾さんからメールきてるから、何となくは知ってる」
「そうですか……では急ぎましょう」
千霧が、美箏を始め秋仁や文恵に頭を深く下げ、鋭児とアリスを連れて、その場から引き上げるのであった。
美箏にとってそれは、鋭児と自分が、全く違う世界に住む境界線のようにおもえてならなかった。ただ、アリスに連れられて立ち去る前に、余裕のない鋭児に変わり、アリスが美箏に手を振って立ち去る姿が、印象的であった。
それは自分達の縁は、それほど浅くはないということを意味しており、秋仁はその意味をハッキリと理解していた。
「済みません。出迎えが遅れてしまいました。なにせ他家の正月にこのような要件で出向くことも希ですので、幸い霞様も快諾して頂きましたしたし……」
霞は、優男のようで、懐の深い所のある男だ。頼まれれば断らないだろう。それに鋭児と懇意にしている焔で有り、彼女たちが困っているときは、それを優先することを許すと、契約書にも書かれている。
ただ、ここまで厚遇されるということは、鋭児も考えては居なかった。
態々千霧が出向いてくれているのである。
「葉草姉様も向かわれております。炎皇の様態は、余りよろしいとも言えないようですね」
千霧は、焔が心臓を患っていること知らないが、それでも他家の蛇草が駆けつけるほどの事態でああるのは、相当なのだろうと思ったのだ。
ただ、重吾からのメールを貰っていると言うことは、今は命に別状のある様態ではないと鋭児も知っており、だからこそ千霧はあえて厳しい見通しを口にしたのである。
命に別状はないが、楽観視はできないと、そう言いたいのである。
「魔女、貴女が学園の外に出るのは、珍しいですね」
「ええ、可愛い弟と正月を過ごしたかったもの」
「ちょ……先輩……」
千霧の前で、腕に絡むアリスである。これは明らかに千霧の心情を知ってのからかいである。
「そうですか……」
千霧は淡々としている。彼女もまた鋭児の心境を理解しており、話が妙な方向に拗れぬようにしているのだ。そう言う千霧の我慢強さには、アリスも感心してしまう。
「ところで鋭児さん、体調はいかがですか?」
「体の方は……なんとも」
焔のことで気が動転していないか、夕べは眠れたかなどの気遣いが見られる。そんな鋭児は、何故かアリスに腕を抓られてしまうのである。そしてついでに千霧にも抓られてしまうのである。
鋭児が不知火家に到着すると、重吾が待ってくれていた。
「黒野……」
普段から真面目な重吾の堅苦しい表情が、更に沈痛なものとなってしまっている。
そもそも何故そんなことになってしまうのだったと思う鋭児だった。
「鋭児さん……」
そういって、千霧は鋭児の肩に手を掛け、一つ相づちを打つのである。まずは焔の所に顔を出すべきだと、彼女は思っており、鋭児もそれを悟る。
「お願いします」
鋭児は重吾に焔の場所への案内を頼むと、彼等は重吾に連れられ、焔の寝室へと案内されるのであった。
扉は開かれている。開かれているが押し開けるのが重く感じられる。この扉を開けてしまえば、なぜか何もかもが壊れてしまうように錯覚してしまうのどに。
鋭児が何も言わず、焔の部屋に入ると、彼女は窓の外を見ながら――。
「よう……」
心のない、だがそこに鋭児がやってきたと理解している返事を返すのである。
「焔さん……」
まず何から聞けば良いのか解らなかった。ただベッドの側に置いている椅子に腰を掛けるのである。部屋に入ったのは鋭児だけで、千霧もアリスも、部屋には入ってはいない。
「体……大丈夫ですか」
鋭児には言葉の加減が解らなかった。焔の体に異変があった時期には、大凡気がついている。いや、正しくは異変をそれと認識したその次期だ。
「まぁな」
焔の声は絶えず平坦だったし、まるで鋭児を見ようとしない。そして鋭児もそれを要求しない。本当は自分の方を向いて、どんな表情であっても、まず目を見て話をしたかったのだ。
「何があったんですか?」
「……」
焔は口を開かない。いや、話の経緯そのものは問題があるわけではないのだ。本来焔としては、鋭児と大一番を乗り切れればそれで良かったのだ。その後に倒れてしまっても、それは鋭児に全てを渡した後のことであり、悔いの残る事の無い話になるはずだったのだ。
「俺の体……もう保たねぇんだよ」
漸くその一言が吐き出されると、その言葉が鋭児の胸に突き刺さる。それはつまり焔がもう戦うことが出来ないという意味である。
その後、焔は淡々と自分が変調を来した頃からの話をし始める。ただそれでもそれが自分の死に直結するものであることそのものは、鋭児に明言することはなかった。
「恐らく、お前との戦いが最後の一戦になる……」
そして、自分の体を知りながらも焔は鋭児にそんな一言を吐き出すのだ。
倒れてしまうほどの変調を来しても、彼女はまだその一戦に拘っているのである。鋭児は言葉を吐き出しかけた。
それがそんなに大事な事なのかと。だが声には出せなかった。顔を背けたまま話を続ける焔の姿が、彼女の意思をそのまま表していたからだ。
彼女は自分の向くべき方向だけを見ており、そこに鋭児の同意はあり得ないのだ。自分がそれを拒絶しても、恐らく彼女は炎皇戦の時、舞台に立っているのだろう。
何よりゾッとするのは、自分がそれを受けず、彼女が炎皇だとして、戦えなくとも彼女は限界までその地位を死守し、自分が来るのを待つのだろうと、鋭児は容易に予想出来てしまう。
「解ったよ」
焔にとってこれ以上聞き分けの良い返事はない。
焔は、鋭児はもっと感情的に自分の体をのことで、自分を叱りつけるのだろうと、焔は思って居たのだ。
焔は思わず鋭児の顔を見てしまう。
「やっとこっち見た」
鋭児はどうしようも無く悲しかったのだ。だが、それでも驚きを隠せない表情のまま、自分を見つめている焔の表情を見る事が出来、安心した様子を見せる。
ただ、それでお焔が嘘を突き通しているとは、微塵も思っていない。いや、焔の強情さはどうしようも無いと、半ば諦め、半ば諦め、それでもそんな焔が好きで仕方が無いと彼の表情が物語っている。
「俺……みっともなくてさ。焔サンが倒れたって聞いた時、どうしようも無く動転して、先輩に落ち着けって言われて、千霧さんに手握って貰うまで、マジでオロオロし通しだった。んで、焔サンがさ、ちゃんと生きてるって解って。もうそれだけで良かったって思っちまって……」
そこで鋭児は漸く、両手で顔を隠し、俯き、嗚咽を上げ始めるのである。
今はそれ以上の事は考えられない。
「お前が、メソメソしてどうすんだって……」
焔は自分が鋭児に隠し事をしていたことに対して、どんな責め苦も受ける覚悟でいたというのに、鋭児はその調子である。思わず焔のほうが、鋭児の体に自分の体を寄せて鋭児肩を抱いてしまうのである。
「ゴメン……。俺こんなに泣き虫だったっけかな……」
「バカ……」
焔にも鋭児が自分の言葉を随分飲み込んでいることくらいは理解出来る。彼はそうやって生きてきたのだ。だが今までは、泣くことすら押し込めてきたのだ。
それでも焔は、鋭児に言わなければならないことがあった。
「オレと一光の気持ち……お前が継いでくれ」
「……解った……」
そこで、焔を退かせなければと、鋭児は思うのである。それは自分の覚悟だ。そして、無理をするななどと、焔に言っても無駄だなことなのだと鋭児は知っている。
飲み込むようにして吐き出される鋭児の一言に、焔は少し体の力が抜ける。
「終わったら花嫁修業だな……」
途端にそんなことを言い出す焔。
「焔……サン?」
あまりにも唐突な一言に、鋭児はキョトンとしてしまう。それから涙を拭くのである。
「ッタリメェだろ?男っぽいあげく、メシは吹雪の方が上手いってなりゃ、お前コレしかねぇオレ落ち目じゃねぇかよ」
そう言って、焔は拳をぐっと突き出して、自分の取り柄である腕っ節が失われることを自虐に走る。
「笑えねぇよ。バカ……」
鋭児は、焔をギュッと抱きしめ、彼女をそのままベッドに押し倒す。
「おい。一応病人なんだからよ?」
「いいだろ……一寸くらい」
鋭児は焔を抱きしめたまま、動かなくなってしまう。どうしようも無いとおもいながらも、焔は鋭児の頭を撫でる。
ただそれでも焔の胸は痛む。
恐らく彼が炎皇になるころには、自分はもういないのだろう。そう思うとその後の鋭児を想像すると、苦しくてたまらない。
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