第1章 第6部 第39話
「それじゃ……」
急にけろりとした、アリスがポンポンともう一度布団の中央を叩き鋭児をそこに寝るように指示をする。
本当の姉弟なら、この悪乗りに頭の一発でも張り倒したくなる鋭児だったが、流石にアリスにそれをすることは出来ない。馴染みつつあるものの、その距離感ではないのだ。
ただ、彼女が焔と気が合いそうなのは、何となく解る鋭児だった。
しかし、少しアリスは首を捻る。
「え?なに?」
鋭児が顔を真っ赤にしながら、寝る準備をしようとしていたが、それが気になる。
「ほら……下品な言い回しではあるけど、女性なら貞操の緩いとか、有るのだけど……」
それ相応の言い回しなら、男にもあるだろうと鋭児は思ったのだが、どうやら彼女中で何かしっくりこないらしい。
すると、彼女は手堤を打ち、何かを閃いたような表情をする。
「脇の甘い男!」
まるで決めゼリフを思い着いたかのように、鋭児を指して、顔もキメる。
「いや、それ意味違うだろう!」
思わず強いツッコミを入れた鋭児に対して、美箏はそれが可笑しくなり、クスクスと笑い始めるのである。
今まで、張り詰めたような距離感をもっていた鋭児だというのに、前回同様焔にやり込められているのと同じく、今度はアリスにやり込められている。そんな隙だらけな鋭児が、アリスにとっては、面白くて仕方が無いのだ。
ただ、愈々その時が来る。
鋭児が真ん中に寝ると、アリスはすっぽりと鋭児の腕枕に頭を納める。
「お……お邪魔します」
正直美箏の心臓は鳴り止まない。道徳観念からして、それはあり得ない行為なのだ。普段の自分であれば、間違い無くこれは許されざる事の範疇である。
しかしどうにも調子が狂っている。心のたがが外れてしまっていると言って良い。
勿論それには理由がある。そのたがを外したのは勿論アリスであるが、彼女は何も美箏の道徳心を壊したわけではない。
ただ、心に掛けられていた鍵を一つはずしたに過ぎないのである。
「え、鋭児君?」
「あ、うん……」
鋭児は美箏から顔を逸らし、すでに狸寝入りを決め込んでいるアリスのすまし顔を眺める。
美箏の温もりが自分に寄り添うのが解る。そして美箏の手によって、三人は布団に包まれるのである。
〈嗚呼……鋭児君の香り……温もり……〉
自分の破廉恥さに気持ちがどうにかなってしまいそうな美箏であった。それでも悶々としている時間よりも、直ぐに眠りに誘われ始める。
というよりも、フワフワとした心身の感覚が、彼女の意識を飛ばしてしまっており、彼女自身は放心状態のまま眠りについた事になる。
一つ疑問があるとすれば、誰が電灯を消したのか?であるが、それはアリスが美箏が悶々とし始めた段階で、黒糸で紐を数度引っ張るという、本来学園外で許可の無い利用を禁じられている能力を、狡く利用したというのが顛末であり、彼女はすでに今日だけで三度の校則違反をしている事になるが、気ままな黒魔女たる彼女は、学園の細かなルールなど何処吹く風である。
翌日夕刻、鋭児とアリスは、美箏に連れられ彼女の家へと向かう。
単純な話で、年越しそばから、除夜の鐘、初詣というイベントがあるからだ。普段なら深夜の外出など許されないが、この時ばかりは文恵も目をつぶることにするのだ。英二が戻るにあたり、美箏から言い出したことなのである。
本来なら、そこに焔も吹雪もいるものだと思って居たのだが、残念ながら今年はそうはならなかった。
アリスの素性を知らない文恵は、彼女の存在に対して余り良い顔をすることはなかった。ただ、それは秋仁から話を聞いた時点でのことであったのだが、来客を無碍にする彼女ではないのだ。特に焔を気に入っている文恵にとって、その先輩であるというならば、尚のことである。
その評価は、彼女の人となりを見てからと言う訳だ。
ただ、アリスの容姿を見た瞬間、文恵ははっとしてしまったのだ。その理由は秋仁も鋭児も理解することは出来なかったし、彼女は直ぐに平静さを取り戻したため、多くの疑問を、彼等に与える余地は無かった。
そして文恵は、鋭児とアリスを招き入れるのだった。
彼女が食卓について暫くすると、暖かい年越しそばがテーブルに準備される。当然美箏はその準備を手伝うのだ。アリスは借りてきた猫のように大人しく鋭児の隣に座り、昨晩見せた茶目っ気は、なりを潜めている。
「フフ……おいしい……」
矢張りこう言う場面に恵まれないアリスの言葉はしみじみとしていた。穏やかな笑みを浮かべて、鼻を潜る出汁の香りと、そばの食感、顔に触れる湯気の感触をじっくりと感じていた。
そう言う表情を見せられてしまうと、鋭児も思わず目尻を下げてしまうのである。
「美味いだろ?何をどうしてか解らんが、上手なんだよなぁ」
料理のことなど全く解らない秋仁は、その隠し味や一寸した手間など、まるでわかりはしないが、それだけに関心を寄せているのだ。
いい加減な旦那の評価に対しては、若干呆れ気味であるが、これほど得意げに褒められてしまうと、それに対する溜息も、若干柔らかみを帯びている。
「また、焔さん達とおいでなさい」
これは、親も帰る場所もない彼女たちに対する、文恵の温かな一言である。
「はい。またお邪魔させて頂きます」
アリスは、軽く会釈程度似頭を下げるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます