第1章 第6部 第26話
数日が過ぎ、食堂には久しぶりにアリスが姿を現していた。態々六皇の一人が、高等部の食堂にまで足を運びにくるのである。
「さぁ鋭児?」
「あ……あり……アリス……せ……お姉ちゃん……」
どうやら鋭児はアリスの書けた呪術をまだ解ききれていないようである。要するに、鋭児の進捗を見にやってきたと言うことだ。
言い終わると鋭児はガクリと項垂れてしまう。
そして、それを見た一同は大笑いをしてしまうのだ。
一同というのは、晃平、静音、焔、吹雪である。そして、なぜか重吾に緋口、囲炉裏までが野次馬となってそこにやってきているのである。
「お……恐るべし、魔女……」
ただ、囲炉裏だけは別のことを考えていた。
そしていけ図々しく、アリスの横にこっそりとやってきて、何やら耳元でコソコソと彼女に尋ねてみるのである。アリスは気兼ねなく囲炉裏に耳を傾け、その話を十分に聞く。
「ふう……ん」
そして、重吾の方を見やるのである。
「面白そうではあるのだけど、私が吾壁君に対して、それをする理由がないわ」
と、もっともな理由で囲炉裏の相談ごとを断るアリスであった。そして確かにそうである。悪戯に技を使うことも御法度と言える。
これはあくまで、鋭児の修行の一環と称する遊びであることは言うまでも無い。
ただ、何故アリスがそうしたいのかは大いに疑問である。そこは、魔女と言われる彼女でしかわかり得ないことなのかもしれない。
「本当に……焔も吹雪も、鋭児ばかり可愛がって……」
アリスがそう言うと、彼女との約束を反故にしてしまっていた焔は、申し訳なさそうに悪びれず誤魔化して笑うのである。
「鋭児、お昼からの授業は、キャンセルして私の家にいらっしゃい」
穏やかだが、別に色目でそう言っているわけではない。矢張り鋭児はこういう自浄操作というべき、気の使い方が不勉強であるようだ。
これについては、別に自分でなくともよいとおもったのだが、時間の余裕は自分の方が多いと思ったまでのことである。
「貴方たちは、自分のすべきことをちゃんとなさいな」
アリスは、一同を流すようにして、最後に焔に目をやり、一瞬釘を刺すようにして、彼女と見つめ合うのだ。
鋭児は学生服のまま、アリスに連れられ、大学の方へと向かう事になる。
「どう?発火作用はなくなった?」
「前よりは、抑えられてますね……」
「そう……」
バスの中、アリスがそんなやり取りをする。鋭児がもう少しで、自分をアリスと呼べるようになりそうな所から、恐らく進捗がないというわけでもないのは解っている。
「でも……」
「?」
「最初はなんか、意地悪な課題だなって思ったっすけど……」
「けど?」
「克服する必要あんのかなって……思ったり……照れくさいっすけど……その言い慣れちゃいそうかな……って」
「……そう」
アリスは鋭児から視線を外す。
「でも、それは貴方の意思ではないのよ?」
「です……ね」
そう言わされていることになれてしまうことは、矢張り良くないことであると鋭児は再認識する。そしてそれは相手の浸潤を許してしまうと言うことにもなる。
「修行なさい」
「はい」
ただ、そう言って鋭児から顔を逸らせたアリスの口元は穏やかに微笑んでいた。
鋭児がアリスに連れられていった後、焔は適度に試合を熟しつつも、矢張り大技を出すことはせず、無難な試合を熟すに至る。
こうなると、悔し涙を流していた重吾であったが、その焔らしからぬ戦い方に、矢張り少々疑問を持たずにはいられなかった。一つ納得出来たのは、自分に対して焔が力を抜いたというわけではなく、現状における焔の戦い方がそうなのだと、矢張り理解せざるを得ない。
鋭児との炎皇戦に於いて、あまり大技を見せたくないという焔の言い訳も、今となってはりしっくりこないのだ。
そもそも、焔は鋭児に炎皇を譲る気であり、鋭児に対する課題もそのためのものだ。本来なら吸収させるべきものは、吸収させて然りである。
重吾は一瞬焔に近寄り、体の何処か調子が悪いのかということを、尋ねようとしたのだが、それを語る焔ではない。
体の切れが悪いわけではないし、ある程度の技は繰り出すのだ。しかも相手を倒せる程度のコントロールされた力でだ。
重吾は焔に言葉をかけるのをやめた。
いずれにせよ、力的に鋭児が炎皇を継ぐという事に関しては、重吾も問題は無いと思っている。自分達は卒業して大学部へ進学して行くだろうが、皇座というのは、特に大学部独自のものでも、高等部独自のものでもないし、その垣根はない。
アリスと吹雪の二人がいるのだから、鋭児が道に迷うことはないだろう。
「重吾!一発やろうぜ」
そこへ緋口が現れる。緋口は再び重吾から順位を奪わなければならないし、赤羽が抜けた以上、自分と近い力を持っているのは、緋口と言うことになるため、それは願ってもないのだが、抑も三年の課題は、同系統の能力者とばかり戦っても仕方がなく、日常的な加点は、如何に多属性の者達と戦ったかも、含まれる。
「悪い!ちょっと、野良でやってくるよ!」
そう言うと、緋口に謝りながら、いそいそとその場を離れて行くのであった。
そして重吾が現れたのは、吹雪の所である。
「あ、重吾君珍しい!」
こういう場面で重吾と吹雪が直接顔を現すことは珍しかった。
特に吹雪の所に直接顔を出すというのは、可成りのレアケースなのだ。焔同様吹雪との力の差は歴然としていて、彼女と直接戦ったとしても、重吾としてはあまり経験値にはならないのだ。それなら、年下だが、鼬鼠の所へ出向いた方が、幾分か経験値が上がるというものだ。
「ちょっと、揉んでほしくてな」
それでもこの日の重吾は、吹雪に対してそれを言う。
だとすれば、きっと何かあるのだろうと、吹雪もそれを理解する。
「何時でもいいよ」
吹雪が静かに、それで柔らかく腰を落とし、戦闘態勢に入ると同時に、周囲の地面に霜が立つほど、空気が凍り付く。そして恐らくそれは空気だけの問題ではない。
重吾が一つその間合いに入り込むと、地面がキリキリと音を立て始めるのだ。
踏みしめた足下では、次から次へと小さな氷の粒が生まれているのだ。
重吾は全身に気を巡らせ、吹雪の気に飲まれないようにする。
身長こそ高いが、筋力に恵まれていない吹雪だが、その戦闘スタイルは、意外にもインファイトなのだ。ただ先行するタイプではない。
先行すると見せかけて、相手の攻撃や動きを引き出し、カウンターを当てていくのが、彼女のスタイルだ。
防御に関しても、直接受けるではなく、引きつついなす動きがメインで、非常に引きの動きの多い、誘い込んで戦って行く。
ただ吹雪から距離を置くと、それはそれで、氷の弾丸を飛ばしたりと、アウトレンジからの攻撃も多彩である。
何より一番厄介なのは、吹雪に捕まれたり、触れられたりすると、それだけで凍り付く可能性があるということである。
弱い能力者ならば、彼女に捕まれた部分が凍傷ではすまなくなる。
肉体が凍る可能性もある。
一方吹雪は、重吾の気を完全に相殺して無力化しており、火炎系の攻撃に関しては、全く役に立たない。主に身体強化に割り振って戦うのだが、炎の能力者である重吾のフィニッシュブローは、矢張り炎の攻撃となるため、その時点で決め手にならない。
攻撃がヒットする瞬間に、瞬間的な技を打ち込むしかない。
やがて重吾のエネルギー切れとなる。
吹雪はあまり勝負に関しての執着はない。よって、負けるときは意外なほど簡単に負けてしまうのだが、その相手は限られている。
ましてや奥義を出して勝ちに来るときは、一部の者か、よほど実力差を知らしめるか位の時くらいなのだ。
吹雪もまた手を抜いているわけではないが、重吾は吹雪から、これと言って大技を引き出すことが出来ず、単純にスタミナ切れでの負けということになる。
「参った……」
重吾は息を上げ、お手上げといった様子を見せる。一方の吹雪は息を乱すこともない。相手を捌いて、自分に勝ちを引き込むだけのことなのだ。
特にこれは、属性的な相性問題もあり、吹雪を倒そうとすると、炎の属性である重吾は、より力を使うことになる。
重吾がスタミナ切れと言うことは、彼の午後の課題はこれにて終了と言うことになる。
二人は、ゆっくりと歩く速度を合わせて、そこを去る。
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