第1章 第3部 第34話

 「そのために、わざわざ着いて来たのかい?」

 「そうだ!」

 焔の言葉遣いはいつも通りだ。彼女は場に従って言葉を選ぶほど器用な人間ではないのだ。

 「な……なにやってんだよ、焔さん!」

 鋭児も座るのを止めて、焔の側に駆け寄り、彼女の肩に手を添える。しかし、焔は頭を上げようとはしなかった。

 「コイツは、ここじゃまだ右も左も解らない新参者なんだ。態々六家の当主が顔を出した意味すら分かっちゃいねぇ!」

 「んだよ!んなの俺自が一番解ってる事だって!」

 「ダラダラ返事引き延ばすような真似して、申し訳ねぇ。コイツを宜しくお願いします!」

 焔は全く鋭児を無視するように、ただ土下座したまま、霞に訴えかけるようにして言う。

 まさかそんな回答を焔が用意しているとは思いも寄らなかった蛇草は、驚いた様子で目を丸くして、深々と頭を下げた焔のその姿だけを唯見つめていた。

 「私からも宜しくお願いします」

 それから、吹雪も一礼し深く頭を下げる。

 「んだよ!吹雪さんまで!俺は!……」

 「テメェは、断る選択肢しか、もっちゃいねぇだろうが!」

 鋭児の言葉を遮るようにして、焔が鋭児のそれを指摘する。これに対して、鋭児は言葉を詰まらせて、息を呑む。いや、確かに焔の言うとおりなのだが、それは厳密に断るという意味は含まれていない。飽くまで鋭児としては、保留という意味なのだ。

 「テメェ、考えさせて下さいなんて、ずっと引っ張るつもりか?自分が進みたいときに進めるなんて、世の中そんな甘くねぇんだよ!指くわえて、キョロキョロしてる間に、機会なんてもんは、どっかにいっちまうんだよ!解ってねぇなぁ!」

 「それは、俺の自由だろ!」

 「何が自由だよ!テメェこん中でやってくって決めたんだろうが!ちゃんと目見開いて、しっかり前見ろよ!」

 「んだよ!ちゃんと、考えてるよ!考えてるから、迷ってんだろうが!」

 「何に迷ってんだよ!」

 「俺は、強くなって、焔さんと吹雪さんを守るって決めた!だから、目を離したくねぇんだよ!」

 「甘ったれんな!テメェ!ラスボス目前のエンカウント直前で、待てる時間なんてどこにあるんだよ!考えろよ!」

 「だから!」

 鋭児は別に蛇草の誘いを断るつもりではないのだ、だから今ここで話を保留にすることが即ち、全ての機会の断絶とは考えていなかった。

 だが、焔は、そうは思って居なかったのだ。

 東雲家の当主が態々顔を出し、鋭児を誘っているというのに、鋭児が保留をするということは、今後彼らから鋭児を誘うことはないのだ。

 蛇草と懇意にしている限り、機会はある。それはそうなのだが、絶対的に異なるのは、今度は鋭児から頭を下げに行かねばならないと言うことだ。

 それは如何に蛇草が鋭児を見込んでいようと、状況はまるきり違うのである。結局鋭児は、東雲家に世話になるしかなかったという、消去法なのだ。

 もう一つは、鋭児の価値が今後つり上がるとした場合、鋭児はいち早く交渉に現れた東雲家の誘いを蹴ったあげく、他家との値踏みを算段したことになる。

 黒野鋭児は、そう言う男なのだと、周囲は見るようになる。少なくとも、この世界での価値観を持った彼らは、そういうふうに鋭児を見る。焔にはそれがたまらなく嫌だった。

 鋭児は、ムシャクシャしてイライラする。どうしても、焔とのこの思考の溝を埋められずにいる。

 「俺と吹雪を守るっつうならよ!チョットは自分で箔をつけろよ!」

 「泊ってなんだよ!わっかんえぇよ!」

 「まぁまぁ待ちなさい」

 霞は怒らずに、彼らの言い争いを穏やかに止める。彼はこのやりとりに関して、一切気分を害していないようだ。それだけ彼が大人だと言えるのだが、それ以上に彼はこのやりとりを、収めたいと思っているようだ。

 霞のそう言う態度に対して、蛇草はほっと胸をなで下ろす。ただ、これで食事会が出来るかどうかは、解らない。

 「黒野君」

 と、霞はゲストの席ではなく、自分の真横に空いている、本来千霧あたりが座るはずの席を指す。

 「日向君も……」

 そう言われると、焔は潔く頭を上げて、鋭児の横に座る。

 「君は、東雲家の話を保留にして、その後どうしたいんだい?その鳳凰で自分を売り込むのかい?」

 「んなつもりは……ねぇっすよ。俺だって、蛇草さんが熱心に誘ってくれてるのは解ってる。けどよ。それじゃ、俺はいざって時に、二人の側にいられねぇ……」

 鋭児は色々返事を渋る理由がある。だが、矢張りそれが本音なのだ。契約とはそう言う事なのだと、鋭児は理解している。

 「昨日の僕との約束は覚えているかい?」

 そう言われると鋭児はこくりと頷く。契約書に焔と吹雪のために動いて良いという約束を一筆加えても良いというものだ。それも解っていてなお困っている鋭児の姿は、動けずにいるということが、本当によく分かる。

 彼が自分の利得のために、それを断ろうとしているわけではないことは、霞も理解している。

 「それじゃ、蛇草さんに迷惑がかかる……」

 そうそれは、蛇草に恥を掻かせることがあるということを意味しているのだ。

 「鋭児君……」

 蛇草は、霞と鋭児の約束の内容を理解していたわけではなかったが、それでも自分の事を視野に入れている鋭児の困り顔を見て、思わずキュンと胸を高鳴らせてしまうのだ。

 「見くびんな!俺も吹雪も、テメェ如きの助けなんか、いらねぇんだよ!」

 そんな言い方をするものだから、鋭児は自分の気持ちを汲み取らない焔に対して、頭に血を上らせて、思わず立ち上がりそうになる。

 「まぁまぁ」

 流石に霞も苦虫を噛みつぶしたような表情になり、再び鋭児を落ち着かせる。焔の言いぐさも酷いと思った。それでは確かに男のプライドを傷つけるというものだ。

 ただし、それもそうだろうと思った。

 黒野鋭児の横に並ぶ二人は、炎皇と氷皇と呼ばれる手練れなのだ。この二人の実力を不安視する方が難しい。

 「けど黒野君。自分で道を選べない君が、どうやって二人の道を示せるんだい?」

 「それは……」

 これにはぐうの音も出ない。勿論選ばないわけではないのだ。ただ現時点では確かに選んでいない。守る守ると言いながら、現時点での鋭児は何者ですらない。

 ただ、凄まじいポテンシャルを持つ新参者でしかない。

 今は、貴重品のように誰もが彼に手を伸ばすだろうが、敬遠ばかりしていると、いずれ誰も手を伸ばさなくなる。鋭児は確かに万に一人の逸材なのかも知れないが、大人はいつまでもそれを待ち続けることが出来るほど、時間のある生き物ではないのだ。

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