第1章 第3部 第29話

 そして、彼のリムジンに二人乗り込む。

 確かに残念そうな蛇草と二人きりになるよりは、鋭児勧誘失敗を残念がらない霞のほうが気が楽であることは確かだった。

 彼はそれを気遣ってくれたのだろうか?と鋭児は思うが、霞は少し鼻歌を歌い出しそうなほど、軽い笑みを零しながら、鋭児と視線を合わさず、前を向いている。

 「いやぁ。蛇草の慌てっぷりは、少し面白かったよ。東雲家御庭番頭をからかえるなんて、何とも剛胆だね。黒野君は」

 霞は、その一言を言うと、思いだし笑いをしだすのだった。

 「いや……俺は特に……」

 「解ってるよ。黒野君には、そういう上下関係が無関係な事も」

 「はぁ……」

 そう言う理解があるのなら、それは言葉が省けて大変楽なものである。彼がそれを無礼だとも思っていないこも、尚助かる。

 「さっき。思い詰めたように首を横に振ったけど、あれは別に蛇草の誘いが嫌だったわけじゃないんだろう?」

 霞が気になった本題に入ってくる。それを言われると、鋭児ははっとする。

 「いえ、スゲェ個人的な事っす」

 「個人的……か。でも、君にはその価値があった」

 そう人生を賭ける価値がそこにはあった。自分の将来と天秤になり得る何かだ。勿論鋭児にはそれが何かは、解っており、霞には解っていないことだ。

 「なに。ほら、男同士だ。腹を割って話そう。それに僕は、別に君の勧誘に熱心な訳じゃない。蛇草が強引にならないのも、君の気持ちを踏まえてのことだ。まぁ相当熱っぽくはなっちゃいるが……」

 霞はカラカラと笑いながら、蛇草の必死ぶりを思い出している。

 「蛇草さんは良い人だし、オレなんかで良ければ、いくらでも助けになりますよ。けど、それ以上に助けたい人が二人いて、俺にとってとても大事な人なんです。迷ってる理由は其処だけで、多分俺が蛇草さんと契約を交わしても、二人は心から喜んでくれるんだと思う」

 鋭児の迷いは鋭児だけのものであり、それ以上でも以下でもないことは、解った。しかし、それが、首を横に振った理由でないことは、霞は知っている。

 そして、今の鋭児の説明が何の回答にもなっていないということも解っている。

 「解った。では君が助けたいときに、その二人を助ける事を許すという、一文を契約書に加えよう」

 鋭児はそれに大して首横に振る。それは当然で、焔や吹雪を助ける事に対して、鋭児は何の迷いも無く、それが譬え誰に阻まれようとも、乗り越えようとする自分を容易に想像出来るからである。

 その上で、蛇草を助けなければならないのなら、それを片付けてしまうだけのことだ。それがどんな無茶であろうとも、恐らく自分はそうするのだろうと鋭児は確信している。

 だから、それは全く必要の無い契約なのだ。

 何度も言うように、鋭児が首を振ったのは自分の卑しさからだった。

 「蛇草が、君を気に入ったのが、何となく解った気がするよ。それが解っただけでも、今日は収穫ありだよ。ただ……」

 「ただ?」

 「君。優勝したんだろ?表彰式とかは、どうしたんだい?」

 「あ……」

 そう、すぐに囲炉裏救出に動いたために、それどころではなかったのだ。鋭児は今頃それを思い出す。

 「じゃぁ、どうだい?それをすっぽかす原因になってしまったんだ。個人的に祝勝会をさせてくれないか?」

 「いや、別にアンタや、蛇草さんのせいじゃ……」

 「いいからいいから。後でフォローもさせてもらうから。というわけで、頼むよ」

 霞は、運転手に頼み、強引に進路を変えてしまう。

 「え、いや、ちょっと……」

 「まぁまぁ!」

 急に乗りに乗った様子で、霞は強引に話を進める。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る