第1章 第3部 第28話

 一方、事件の解決後に、ゲストルームへと向かった蛇草と、学ラン姿の鋭児は、再び東雲霞と合流する。

 若き東雲家の当主と、御庭番頭である蛇草を目の前に、半分以上状況を理解していない鋭児が、二対一で向かい合い、応接間のテーブルで向かい合っている。

 「私は、単なる付添人だよ。話は蛇草と君で勧めてくれて良い」

 何とも静かで涼やかな東雲家当主は、少し浮き世離れをしているようにも見えるが、話の流れが絞りきれない鋭児は、上手く言葉を発することが出来ない。

 いや、契約の流れだということは理解しているのだ。

 問題は、自分がここに来たということは、自分自身それを受ける気でいるのか、断る気で居るのか?という、単純な二択であり、断る理由も受ける理由もない。

 誰のためにそれを断るのか受けるのか?それが自分の為であるのか?という、自身の選択肢がなにもないのだ。

 唯一あるとすれば、焔がそれは決して悪い誘いでは無いといってくれたその一言に尽きる。

 加えて、蛇草が非常に情のある人であることが、この場にいる理由でもある。

 そんな鋭児を見守る蛇草は、非常に落ち着いている。

 「吹雪さんも。焔さんも、俺の鳳凰に驚いてた」

 そう、鋭児は何も知らない。何も知らないが、そういった力に関係した紋様であると言うことは、それなりに人と違うのだろうという認識はあった。

 焔が右足に竜をもち、吹雪は胸元に、正確な雪の結晶を持っている。属性焼け以外に、それぞれ紋様を持っているのだ。そして、その二人は、群を抜いた強さを持っている。

 「当たり前。紋様を持ってるってことだけで、貴方が将来を保証されているに等しいんだから……」

 蛇草は、鋭児がのんびりとしていると言いたげに、少々じれったさの混じった声で、ため息がちにそういった。それでいて少し、悩ましい。

 「今日の試合で、鋭児君の鳳凰に気がついた子も居ると思うの。それが伝わって、誰かが鋭児君の鳳凰を見たがるわ」

 確かにそれはそうかも知れない。

 問題は、見せても隠しても、疑念的にその事実が知られてしまうと言うことである。

 鋭児的には、それそのものはどっちでもよかったのだが、東雲家にはそれは重大なことらしい。

 「鋭児君には、六家そのものには、興味が無いかも知れないけど、貴方の興味あるなしに、今後他家のスカウトが貴方に会いたがるわ。他家に行く事で、貴方にデメリットはないけど、私は貴方に来てほしい」

 それは、率直なまでの蛇草の切望で、少し前のめりになりながら、鋭児の目を見て話す。それだけで、自分の貴重さが、何となく伝わって来る。

 「俺は、鼬鼠に殺されかけてんだぜ?」

 「でも、助けもしてくれたわよね?」

 「それは……」

 そう、それは焔に恥を掻かせないためだ。何となくそういう上下関係的な雰囲気に流されてのことだった。ただ、確かに鼬鼠のサポートをすることそのものには、なんの躊躇いもなかった。

 意図こそしなかったが、貴重な経験にもなった。勿論貴重な経験というのは、この世界で生きるためという次元の話で、人生という意味にはならない。ただ、この学校に通い、上に行くと言うことは、遅かれ早かれそう言う世界に入るということである。

 「蛇草。彼戸惑ってるよ?困らせちゃいけないな」

 「ですが霞様!」

 「まぁ黒野君は、まだ一年生だというし、普通はこんな話になる方が不思議なんだ」

 「そうですが……」

 冷静な霞に対して、蛇草はほとほと困ってしまう。その表情がなんとも焦れったく、妙に色っぽい。尤も、鋭児にそれを感じる余裕など、微塵もなかった。

 ただ、鋭児は一つの条件を口にしかけた。それは非常に駆け引きじみた条件で、自分では思いも寄らない事を自然に口にしそうになったのだ。しかしそれをとても卑しく思えた。

 自分の価値に乗じ、蛇草の焦りにつけ込もうとしたのだ。鋭児は首を横に振る。

 「そう……残念だわ」

 蛇草は本当にがっかりする。

 それを見て、霞はクスクスと笑う。逐一色っぽく拗ねる蛇草の仕草は、憎めないものがある。

 事実彼女の性格は憎めない。

 「別に、どことか決めてる訳でもないっす。ただ、決まるなら、蛇草さんとこか、焔さんか吹雪さんかの三択っす……」

 「そう」

 確立は三十パーセントだ。

 「吹雪ちゃん……は、恐らく陰陽家の陽家の声が掛かっているはずよ。だけど陽家から、貴方に声を掛けることは恐らくないでしょうね。それが譬え、吹雪ちゃんの条件であったとしても……」

 「それ……そっち側の事情っすか?」

 「そう……ね。陽家の事情といえば、そうなるわ。彼女容姿も優れているし、彼らはそう言う部分でも、四家よりは、スカウトが厳しいのよ。ほら……鋭児君のこれ……」

 蛇草は少々気を遣いながら、自分の額をコツコツと突く。

 彼等はそう言う傷という対象を酷く嫌う傾向にあるらしい。確かに言われれば、吹雪は本当に整っているし、彼女の普段の剽軽さとは違い、皇座についた時の何とも言えない、凜々しい美しさは、一つ別の世界にあるような気がする。

 そこには、一つの畏れすらある。焔の猛々しさとは、異なるのだ。

 「んじゃ、俺は焔さんと同じ道になるってことっすかね」

 「ちょ!ちょっと、鋭児君!」

 蛇草は本気で焦る。彼女としては、自分の側にくる確率を上げるための発言だったというのに、それは同時に、不知火家に行く確率も上げてしまったのだ。迂闊である。

 「いや、冗談ですよ。まだ其処までは……」

 鋭児が蛇草をからかったのだ。

 それに気づかされた蛇草は、一瞬はっとして、ぽかんと口を開き、すとんと腰をソファーに落とす。

 「もう!鋭児君の意地悪!酷いわ!」

 ぷい!と、拗ねてしまう。

 それを見た霞は、本当におかしそうに、クスクスと笑い始め、鋭児も蛇草のご立腹に、思わずクスリとした笑いを入れる。

 これは鋭児の良いところだと思ったのは、霞だった。

 鋭児には、六家だろうが御庭番だろうが関係がないのである。自分がそう言う世界にいるという自覚は、多少なりとも、今の出来事で芽生えたのかもしれないが、それでも彼にとって、その重大さは、無い。

 鋭児が、簡単に焔と歩むと言わなかったのは、それは単純に焔の背中を追い続けているだけだにすぎないからに他ならない。

 別にそれはそれで良いのだが、焔が望んでいるのはそう言う鋭児の姿ではないと言うことは、鋭児自身よく理解していたからだ。

 焔と同じ舞台で焔を超えることは、多分この先何度でも出来る事なのかも知れないが、未来永劫それを続けるというのも、少し違うと感じた。

 彼女と全身全霊をかけて拳を交え、彼女を超える瞬間は、恐らく唯の一度で良いと思ったのだ。その瞬間さえ有れば、焔と自分は未来永劫対等であり、そこで拳を交える事こそが、二人の尤も強い絆を確信する瞬間でもあると何と無しにだが、確信に近い感覚がある。

 それこそ当にこの年度末に行われる、炎皇戦に他ならない。

 この先、何度も彼女と殴り合う必要はない。その拳の重みを、その瞬間に分かち合えれば良い。鋭児が自分自身で、焔との約束を、確固たるものにした瞬間でもあった。

 ただ、東雲家に使えることが唯一の道ではないということも、また事実である。

 そう言った意味で、サインをするという気にはなれなかった。そこで結露づけるのは、早い気がした。そこで、サインをするのは、何かとの決別を意味するような気がして、ならなかった。

 勿論そこには何の根拠も無い。ただ、一つ何かを終えてしまうような気がしただけのことである。

 単純に言えば、焔と吹雪と別の道を行くという事を明確にしてしまうことから、逃げただけの話なのだ。それに、先ほど脳裏に浮かんだ事がある。自分のそういう汚さに、腑が煮えくりかえりそなほど、嫌になったのだ。

 そんな気持ちで、蛇草の申し出を受け入れることは、彼女の行為に対する裏切りに等しいと思ったのだ。

 「送ろう」

 霞が席を立つと。蛇草も席を立とうとする。

 そして鋭児が席を立ったところで、霞は蛇草の肩をポンと押さえた。

 「霞様」

 「たまには美女抜きというのも、大事なものなんだ。男同士にはね」

 と、なんとも若い悟りのような色気もあり、男臭さもある一言を残して、軽く鋭児の肩に手を置き、彼を部屋から連れ出した。

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