第1章 第3部 第30話

 霞が鋭児を連れて行ったのは、高級クラブだった。

 しかも、美女が数人横に付くという、何とも目の保養にもなる男の遊び場でもある。

 しかも、学園内にある施設である。そう、信じられないが学園内にこんな施設もあるのである。こうなると、一つの街のような機能を果たしている。逆に言うと、学園が施設の一角にあると行っても良いのだろう。

 当然こんな場所に、彼等学生が出入りできることなどない。賓客専用といっても良い。

 「僕らは、あまり外へ出かけられないからね。学園のこういう施設は重宝するよ」

 どうやら、これが男同士の会話らしい。当然お酒も出てくる訳であり、それは鋭児の前にも置かれる。

 鋭児は自分が未成年だからと、断ったりはしない。なにせ彼も飲酒の常習犯なのだから。ただ鋭児が飲む酒は、嗜みという訳ではない。

 ある意味大人よりも、深い意味のある一杯なのだ。ただ流石にビール程度であり、ウィスキーや、バーボンなどという、洒落たものではない。

 だがこの日鋭児の前に出されたのは、当にそんな酒だ。

 「ああ。別に呑まなくてもいいよ。でも、置くくらいはいいだろ?」

 「はぁ……」

 鋭児は、雰囲気にも状況にも呑まれてしまっている。

 彼に連れられるまま、ここに居るのは、事を荒立てる必要もなかったし、少し自分の中のモヤモヤを整理したかったからでもある。と同時に、考えが纏まらないまま、来てしまったといっても良かった。

 それに、霞から、何か一言が聞けるような期待感があった。何かを答えてくれるのではないか?という鋭児の勝手な期待感である。

 それは、自分が首を横に振ったことを、妙に気に掛けてくれたからに他ならない。

 「オレンジジュースがいいかな?」

 「いや……これで」

 鋭児は、ロックで仕上げられたウィスキーのグラスを持ち上げる。

 「いいね。いいねぇ。まぁ席に付き合ってくれるだけでいいんだよ。なにせ皆僕が、東雲家の当主だって、気を遣うだろう?つまらなくてさ。蛇草を慌てさせる君だから、少し美味しい酒が飲めそうでね」

 霞は嬉しそうにニコニコとしている。

 どうやら、その光景が余程新鮮だったらしい。

 現に今も、上品な女性達が霞を囲っているが、無駄な言葉は一言も発せずに、美しい笑みで、酒を勧めているだけである。

 ただ、緊張はしておらず、そこは霞の性格が伺い知れるところなのだろう。そして、未成年を連れているという問題行動を咎める事もない。そこは、大人の事情が見え隠れするし、鋭児の横にもきっちりと、美しい女性がついており、彼にピタリと身を寄せている。

 「酒はいいっす。けど、女性は……すみませんが……」

 「ああ……心に決めた人がいる……か、まぁそういうのも若さの特権だね」

 と、霞は無理はさせず、女性に合図を送ると、彼女はこくりと頷き、霞に近い、空席を埋めるようにして、座り直すのであった。

 鋭児はぽつりとひとりになっているような感じになってしまったが、それでも全員の距離がさほど空いているわけではなく、場所そのものは小さく纏まっている。

 「というわけで、黒野君。優勝お目出度う」

 「あ……ああ。どうもっす」

 本当ならば、今頃焔達とあの狭い部屋で、ビールなどをこそこそと、且つ堂々と呑みながらわいわいとやっていたのかも知れないと、鋭児は思った。

 ただ、そんな鋭児の電話に焔からの連絡はない。

 恐らく何となく事情を知っているのだろうと鋭児は思う。

 ああ見えて、焔はこの辺りの事情を知っており、普段のアバウトさからは考えられないほど、しっかりとした部分がある。

 鋭児は普段飲み慣れない酒を口にするが、それに蒸せることもなく、口の中でそのほろ苦さを味わう。

 アルコールの揮発と同時に、口の中に広がる味わいは、厭味無くふわりと薫り高い。

 鋭児もそれが、一気に飲み干すものではなく、嗜むものであることくらいは、理解しており、思いの外無茶飲みをしないその姿は、妙に様になっていた。

 その姿一つで、鋭児がどういう酒の飲み方をするのか、霞にも解るのであった。静かに一人で、そして何かを租借したり飲み込んだりと、そう言う姿がそこにある。

 「なんだか飲み慣れてるね」

 思わず目を細めた霞のそんな一言が、妙に寂しげだった。

 「え。ああ。まぁビールくらいは、よく呑むっすかね」

 「一人で?」

 「ええ……。いや、ここ最近は、割と仲間内で……いや……」

 「大事な人たち……と、か」

 霞のそれは、的確だったが厭味は無く、本当に落ち着いた大人の声色だった。霞はこういう場所で呑むのだろう。そして、女性の肩を抱きながら、他愛もないことをぺらぺらとしゃべっているに違いない。

 語りつつも聞き上手という雰囲気だった。いや、引き出し上手なのかもしれない。

 鋭児は、素直にこくりと頷く。

 高校生でありながら飲酒を嗜むことそのものは、非常識極まりないが、この状況そのものがすでに非常識であり、そしてそれを推奨しているのは、東雲家の当主である。

 そして、彼のすることなのだから、周囲は咎める事が出来ないのである。

 そうしたところで、警察が踏み込むようなこともまず無い。

 この学園の治外法権ぶりが伺い知れる一場面でもあった。

 鋭児には、自分の部屋以外にも、もう一つ思い出す場所がある。それは、実家である。あのとき、焔と吹雪、そして秋仁や美箏と飲み食いした、あの場面を思い出すのだった。

 「悪かったね。無理に付き合わせた形になってしまった」

 「あ、いえ」

 鋭児は悟られたと思った。何となくモヤモヤとした気持ちのまま、彼に連れられるままここまで来てしまったが、二人が待っている事は意識していた。何らかの事情を知っているとはいえ、特に吹雪などは、放っておけば朝まで待っているのだろうと思ったのだ。

 「明日改めてランチでもどうかな?」

 そう言われて、鋭児は、はっとする。飽くまでこの場は、彼の祝杯を挙げるための場だったのだ。

 彼とて、そうそう未成年を大人の盛り場に連れ出す気はないのである。

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