第1章 第3部 第26話
それを見た蛇草はクスリと笑う。鋭児が妙に冷静だった理由を十分理解していたのは、蛇草だけなのである。
「私もね。妙だとは思ったのよ。だからカマ掛けてみたの。まぁ、理由も発端も解らないけど、貴方人を嬲り殺しにした時の優越感なんて、味わったことないでしょ?」
そういう台詞が妙に似合いすぎている蛇草の上目使いが、非常に背筋が凍る思いのする重吾だった。
勿論これには、鋭児も苦笑いをするしかない。
「待てよ。なんだよ。その……予定調和みたいな雰囲気は……」
晃平は全く理解出来ない。
ただ、囲炉裏を庇いながら、三人を見上げるだけである。
「囲炉裏さん……説明してくれよ。俺も、確信した訳じゃなねぇから」
鋭児は、大凡の状況は理解している。何故こうなったのかというのは、恐らく自分達の話の流れからなのだろうということだ。
しかし、この状況について、囲炉裏と打ち合わせなどした訳ではないのだ。だから、重吾のメールアドレスを見るまで、鋭児自身も、囲炉裏の身が本当に危険に晒されているのだと思ったのだ。
流れの確信が出来たのは、重吾と向かい合った時だった。
鋭児の経験上、矢張り切羽詰まったり、何かを巻き添えにしようとしている人間の行動にしては、重吾の言動や態度は、非常に落ち着き払っており、またサディスティックな行為であったにしても、もう少し声のトーンなどが、上づっていても不思議ではないのだ。
普段の重吾からだが、彼が百戦錬磨の悪党にも思えず、行動が腑に落ちない部分が多すぎるのである。
「う~~」
しかし、猿ぐつわをされている囲炉裏は喋る事が出来ない。
そこで、蛇草が、彼女の猿ぐつわを、風の力を使い、まるで鋭いナイフのようにして、断ち切るのだった。
「ぷは……えっと」
晃平の困惑した表情を見ると、余計に話しづらくなる囲炉裏だった。
だが、こういう結末を迎えることそのものは、囲炉裏も理解していたことだった。そして目的は半ば達成されたに等しい。
何故なら、晃平は、鋭児を倒すという目的のために、決勝戦にまで残ったのだから。
一番の結果は晃平が優勝してしまうことにあったのだが、其処まではシナリオ通りには進まなかった。だが、成果は十分である。
意を決した囲炉裏は一度息を呑み、呼吸を整える。
「私が、浚われたというのは……嘘」
まず、その一言だけを端的に伝えるのだった。
だとすると、重吾がグルであるのは、もうわかりきったことなのだが、現状を把握しきれない晃平には、まだその接点が一つになってはいなかった。
「なん……だって?俺は、そのために、黒野を潰したかも知れないんだぞ!?」
勿論それくらいで潰れる鋭児でないことは、晃平も十分知っているが、それくらいの覚悟はあったといいたいのだ。
なぜ、そんなタチの悪い芝居をしたのか?と、晃平は、憤りを感じずにはいられない。
「だって……そうでもしないと、晃平って、本気で戦ったりしないじゃない?」
晃平の罵声に近い大声に囲炉裏はヒヤリとしながら、視線を反らす。
「なんだよそれ、意味が分からないぞ!」
「晃平はさ。そう言う奴なんだよね。みんな、解ってるけど……」
「当たり前だろ!友達が捕まったんだ。必死にもなる!」
「迷惑なんだよ!!」
今度は、囲炉裏が力一杯声を張り上げる。鼓膜が痺れてしまうほどの悲痛さが、周囲のなんとない雑音すらかき消し、空気を一瞬静まらせてしまう。
「なん……だよ。迷惑って、俺みんのために……それが迷惑だって?」
晃平は、その意味が解らず、すっかり動揺してしまい、視線を囲炉裏に移したり、鋭児に移したりと、焦点も定まらない様子だ。
今まで自分が行ってきた行為を全て否定されたのだから、どうしようも無い。
しかも、今まで皆彼の行為や努力を受け入れており、F4というクラスは非常に上手く纏まっていたのだ。
それがここにきて、全否定なのである。晃平の思考は、すっかり止まってしまう。
「迷惑じゃん。みんな晃平にばかり、助けられて、それがもどかしくて……どうすれば良いのか解らなくて……、でも何となく希望だけあって……」
「あ……有るさ!力は使い方次第で……確かに、厳しいかもしれないけど!けど、それと今日の事が、どう関係あるんだよ!俺が、そうしたいんだ!そうしたいんだよ!」
晃平が、F4というクラスを単なる底辺では無いということを、そしてそれを周囲に知らしめるための一歩をこの一学期に歩み始めたばかりなのだ。勿論中等部時代からの延長でもある。
「晃平はどうするのよ!三年間ずっと、そうやって自分の事は、放り出して!」
「放り出してなんかいない!」
晃平は両腕を目一杯広げてそれを否定する。しかしこの学園で過ごすと言うことは、クラスに止まることそのものが、成績の全てなのである。
いくら晃平が優秀な能力者であったとしても、それを見いだせるための舞台で、成績を収めないと言うことは、結果彼に、能力がないと言っているに等しい。
今彼に求められている資質は、リーダーシップではなく、彼自身の能力が如何に強いものなのか?ということなのだ。
「黒野が、鼬鼠先輩に決めた大技見た時の晃平さ、すごく嬉しそうだった。あれ、ノートに書いてたやつでしょ!?風の術者でもないのに、空中姿勢で印描いてキメる攻撃なんてさ、どう考えたって、よっぽどの奴じゃないと無理じゃん!」
「鳳輪脚は関係ないだろ!」
「あるよ!すごく嬉しそうだったんだもん!みんなそれくらい解ってるよ!」
囲炉裏は懸命に叫ぶのだった。いくら晃平が否定しようとしても、そのときの彼の満足げな表情は、彼との付き合いが長ければ長いほど解るものなのだ。
皮肉なもので、彼と同じ月日を過ごしてきた者達だからこそ、彼が今しているF4に対するサポートは、あくまでもそれらの複線に過ぎないのだということを理解している。
そしてその複線でさえ、彼らには十分なもので、晃平にとっても、検証にしかすぎないのである。晃平自身も、それは間違い無いと思っている。
そして、もしそれがより高い素質の人間が熟したとなれば、それこそ鳳輪脚のような大技に繋がって行くのだ。
ただ、鋭児はそれを度外視して、まるで桂馬飛びのようにセンスのみで放ってしまったのだから、これはもう晃平にとって、あらゆる可能性を託してしまいたくなる存在なのだ。
囲炉裏達は、それを見抜いてしまったのだ。そしてそれは晃平の葛藤などではなく、彼自身も今になって、知らされる結果でもあった。
「黒野だって、晃平と一緒に上に上がりたいよね!?」
「俺は、一人でも焔さんの所に行くよ」
それは、囲炉裏の期待した答えではなかった。
「お前が良くても、F4のみんなはどうなんだ?。お前を誇りとしてる者達が、いつまでも燻っているお前を見て、自分達がその足枷になっていると思えば、それは、お前のもうエゴなんじゃないのか?」
重吾が、鋭児の言わなかった言葉を言う。これは、話に乗った重吾なりのフォローだったのだが、こういう所は、流石に仲間思いの重吾であると、鋭児は頷く。
「けど、吾壁先輩!」
「甘ったれるなよ!いずれ一人一人、自分の足で這い上がらなきゃならないんだ!お前は親か!?いつまでも彼らの面倒を見ているつもりで、そうやって、自立する機会を奪って、リーダー面か!?彼らがお前から巣立とうとしてるんだ!、離れられないのはお前の方だろう!」
重吾が怒鳴る。だが、その後は非常に抑揚のある感情的な声で、まるで晃平を諭すように一つ一つ力強く言うのだった。
重吾もまた、そうして自立し、前に進んだ一人なのである。
そして、今は焔の良き理解者の一人でもあるのだ。重吾にも晃平と同じような仲間が嘗ていた。だから晃平の気持ちは、解らないでもないのだ。
焔が一光を目指したように、重吾も焔を追いかけた。そして今は、それぞれのポジションにいる。守られて其処にいるわけではない。
「後はお前の仲間と話せ。俺は行くぞ」
少し冷たいようだが、それでも重吾は、背中を向けてその場を立ち去る。鋭児はそんな重吾の背中に、唯一礼をするだけである。
「彼も良いわね。彼の評価が上がってこなかったのは、矢張り力不足ということかしら?」
蛇草は、去りゆく重吾の背中を見ながら、スカウトの目を光らせる。この辺りはしっかり仕事をするのだと、鋭児は苦笑いをする。
「まぁ、後はどうするか、君たちが決めるのね」
とんだ茶番だったということで、蛇草もため息を一つつく。ただ、茶番で何よりだと思う。本当に学園内での抗争となるのならば、それはそれでゆゆしき事態である。
下克上というこの学園のシステム以外の方法で、戦闘行為がひとたび起これば、それは小国のクーデターに匹敵するほどのものとなってしまう。
「鋭児君。改めて契約の話なんだけど、鳳凰を見られたからには、あまりゆっくりとしてられないの。出来れば、良い返事が欲しいものだけど?」
「今、ですか?」
「ふん……」
蛇草は、少しきょとんとして、驚いた表情をしている鋭児を上から下と見回して、考える。
上着は、技の影響で燃えてしまい、彼が肩に羽織っているのは蛇草のジャケットで、その下は、彼の肌一つという状況である。
確かに話事という状況でもなさそうだ。
「そうね。身なりを調えて、その後学園のゲストルームで、ディナーの後で、どう?」
「……はい」
断るにしても、受け入れるにしても、その方が良いと鋭児は思った。
「待てよ、黒野!お前……その……」
晃平は、自分の事もあるのだが、試合中から気になっていた鋭児の背中の紋様の事に触れたがる。
「ああ……」
そう言って、鋭児は蛇草に借りていたジャケットを脱ぎ、晃平にその背中を見せるのだった。
「まぁ、あんまおおっぴらに見せるなって、言われてて……」
と、鋭児は蛇草の方をちらりと見る。すると彼女はこくりと頷く。
理由は晃平も何となく解る。
たかだか、入学二ヶ月程度の鋭児が、それほどのものを持つと言うことは、矢張り相当の逸材だという証だからだ。属性焼けの進行があまりに早い。
何か無理をする度に、一つずつ彼の掛けられていた錠が外れていくように、変化して行く。というよりか、彼がこじ開けているようにも思える。
「なら、早く話を決めないと、お前、私生活どころじゃなくなるぞ」
と、晃平らしいお節介が出る。彼がどういう性分なのか、これで蛇草にも解ったようで、思わず彼女もクスリと笑いたくなるのだった。
「君は、まず仲間との事をきちんち決める事。そこの、SM趣味のお嬢ちゃんと、早く戻りなさい」
「はい……」
少し鈍い晃平の返事だった。自分の思い通りにならないことに対する、モヤモヤが非常によく現れていた。
蛇草は、再び電話を掛ける。
「霞様?蛇草です。用事は終わりました。今から黒野鋭児と、そちらに合流致します」
一同は、蛇草を筆頭に、旧闘技場を後にする。
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