第1章 第3部 第25話

 しかし反応が無い。

 ただ、取り囲まれた観客席の中央に設置されている、石造りの闘技場の上には、後ろ手に縛られ、猿ぐつわをされている、囲炉裏の姿があるだけだった。

 「囲炉裏!」

 「んー!んー!」

 囲炉裏が晃平達の登場で、懸命に訴えかけるが、足も縛られており、その場から動けずにただ唸っている。

 彼女の無事を確認した晃平が、飛び出そうとした瞬間、蛇草が彼の前に腕を出し、その進路を阻む。

 勿論意地悪などではなく、むやみに飛び出すなと言う親心のようなものである。

 だが、鋭児は、そんな蛇草の腕が自分にも出る前に、彼女の横をするりと抜けるように、一歩踏み出す。

 「何のつもりっすか?この前の喧嘩の続きっすか?」

 鋭児は、特に睨む様子も無く、少しうんざりとした表情をしながら、周囲の気配を探りながら声を張る。

 何を言っているのか?と思ったのは、蛇草ならず晃平も、であった。

 「あのメアド。まんまじゃないっすか。つか俺の携帯に登録されてるやつじゃないっすか」

 鋭児が、そこまで言うと、反対側の扉が開き、一人のたくましい男性が姿を現す。

 しかし、薄暗い陰に隠れていた時間も僅かで、彼はそれ以上もったいぶる様子も無く、照明の届く場所に、姿を等和すのであった。

 「フィフティン・レッド・ウォール。十五枚の赤い壁、吾壁重吾の捩りだよ」

 そう言って晃平の方を向く鋭児だった。

 「ああ……赤壁、あかべ、吾壁……ね」

 蛇草は重吾の事は知らないが、なるほどと思った。

 「な!」

 当然これに対して晃平は怒りを露わにする。其処まで知っていて今まで黙っていたのかと、蛇草の押さえから逃れるように、前に踏み出そうとするが、冷静差を欠いている晃平を、蛇草は押さえるのだった。

 「どう取られても構わないが、お前が焔さんに並ぶというのならば、一つや二つの障害に躓いてもらっては困るんでな」

 「で……ダチとの対決……ですか?らしくねぇ手法だな。重吾さんらしくねぇよ」

 二人は、ゆっくりと階段を降り、囲炉裏を中心点に据えながら間隔を詰め、舞台のの上に向かい始める。

 「残念ながら、一年でお前を負かせそうなのは、あいつくらいなもんなんでな。対決のルール上、俺からお前に手は出せない。これでも焔さんの右腕としての自負があるんでな」

 「だったら、なおさらこんな方法、焔さんが認めるわけねぇだろ?」

 「言っただろう?お前を負かせそうな奴は一年の中で、其奴くらいなもんだと」

 「そうかよ。事情はさておき、手段は制限されているってことか」

 「そうだ。普段も本気なのだろうが、実力を出し切ってる訳でも無いし。追い詰めなきゃ化けの皮が剥がれないからな」

 「で、どうしたら囲炉裏さんを解放してくれんの?」

 「そうだな。俺が良いと言うまで、厚木をなぶり殺しにするか……」

 と重吾は顎に手をやり考えている。

 ここまで芝居をうっておいて、今更最後の一手を決めていなかったのか?それはそれで狂っている。とち狂っているとしか言いようが無い。それでは単なる酔狂に理由をかぶせただけではないのかと、鋭児も一瞬たじろいでしまう。

 実直な重吾からそんな一面を見せられてしまうと、過剰なギャップに思えてしまうのだ。

 彼のそれが、どこまで本気であるのか?と、鋭児は重吾を睨みつけるが、彼は落ち着いている。それが妙に鋭児を慎重にさせた。

 仮に重吾のほかに、鋭児に対して復讐心を抱いている者が居るとするならば、囲炉裏の状況はあまりに無謀すぎる。自分が重吾と組み合った瞬間、どうなるか解らない。

 ただ、重吾にも誤算はあったはずで、それは当に蛇草である。

 彼が人数を指定しなかったのは、試合後に動く事があれば、晃平と鋭児の二人のみだと思っていたからで、仮に他の一年のF4が動くとしても、重吾の敵ではないのだ。

 寧ろ怪我をさせないために、鋭児達の方が、彼らの同行を拒否しただろう。

 「アンタとの真っ向勝負じゃねぇのか?」

 「囲炉裏を逃がすための手段としてのか?」

 重吾は、鋭児の考えを読む。そう言われると、鋭児は黙るしかない。ただ、重吾と対峙している鋭児は普段の熱っぽさとは異なり、妙に駆け引きじみた余裕を見せている。

 「まさか。最悪あの人いるし。蛇草さんは学生じゃねぇから。俺等の規則外だし」

 鋭児は、後ろに控えている蛇草を、かるく首の動きだけで、重吾に再度知らしめるのだった。

 「どのみち、誘拐拉致だなんて、唯じゃ済まないわよ?吾壁君……だっけ?貴方が其処まで拘る理由はなにかしら?そういう……雰囲気の生徒には見えないのだけど……」

 経験では蛇草の方が一枚も二枚も上である。重吾に妙な雰囲気を感じていたのは、蛇草も同じなのだ。

 蛇草も同じであるというのは、鋭児も同じように感じているということである。

 「解った。俺が殴られれば、囲炉裏は返してもらえるんだな?」

 と、晃平は、観念したように、舞台の上で胡座を組んで、目を閉じるのだった。

 「目的は、俺の妨害じゃねぇのかよ。もはや何でもありってか?」

 「そうだな。厚木がお前の妨害に失敗した以上、もう何でもいいんだ」

 重吾は悪ぶって、ククク……と、笑い始めるのだった。だがしかし、それもすこしの間のことだった。

 「厚木よ。お前は、黒野に殴り殺された後どうするんだ?」

 重吾は急に、そんなことを言い出すのだった。そもそも殴り殺すのだから、本人はどうもできない。問題なのは囲炉裏のことだ。

 「俺の聞いている吾壁重吾っていう人は、随分義理堅い人だって聞いていましたけど?」

 「この後に及んでか?お前は俺の何を信用しようというのだ?」

 「恨みますよ?譬え、再起不能にされたって。アンタだけは、絶対に殺しに戻ってきてやりますよ……」

 晃平はそう言って、今までに無いほど憎しみに隠った視線で、重吾を睨み上げるのだった。

 「殺されてからでは、遅いとおもわんか」

 「私が、鋭児君にそんなことをさせないわよ。彼には、将来東雲家御庭番のナンバー2として、働いてもらわなければならないんだから。つまらない事で、退学にはさせられない」

 蛇草が我慢ならなくなったようで、舞台に近づき始める。

 そう、決闘での過失致死ならば、罪には問われないが、これは蹂躙による死である。そうなれば当然重吾も学内には止まれなくなるが、鋭児も最悪同じ処遇になる可能性もあるのだ。

 「学生同士の喧嘩に、大人が割って入るとは、随分大人げないと思いませんか?」

 重吾は蛇草をじっと見据えるのだった。当然蛇草も重吾を睨みつけたまま、視線をはずそうとしない。

 「そうね。でも、子供の躾をするのも、大人の仕事だわ」

 そう言って。蛇草が視線を送ったのは囲炉裏で、彼女は唐突に囲炉裏に殴りかかるのだった。

 その瞬間、晃平は彼女を庇うために、覆い被さる。

 だがしかし、それよりも更に二人を庇うようにして、大きな体が、二人に覆い被さるのであった。

 

 重吾である。

 

 妙な話だ。散々彼らを挑発していたはずの重吾が、いざ囲炉裏が殺されそうになった瞬間、それを防いだのだ。

 そんな中、鋭児だけが、パチパチと拍手をする。

 「な……」

 焦ったのは重吾である。そして、はめられたと思ったのだ。

 「重吾さん……芝居下手すぎっすよ」

 とたんにおかしげに、腹を抱えて前屈みになる。

 「な……なんなんだ?」

 晃平は状況を理解出来ない。

 「いつから……だ?」

 重吾が、自分のそれが芝居だということに、いつ気が付いたのか?ということを鋭児に聞いているのだ。

 「いや、これから人にダチをなぶり殺しにさせようって奴の目にしちゃ、こう……真面目すぎるってか。そう言う奴の目って、もっと……飛んでるっすからね。俺喧嘩ばっかしてたから、血走った奴の目って、大概わかりますよ」

 鋭児が、漸く笑いを堪えながら、焦る重吾を、腹を抱えたまま、見上げるのだった。

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