第1章 第2部 第43話

 これが、焔なら鋭児は、一喝されていたに違いない。

 静音が呪符の隙間から、水の砲弾を一発撃ち出す。それは、先ほどから描かれている円から放出されたものだ。

 鋭児は両腕を前面で交差させ、これを受け止めるが、非常に質量があり、一気に両腕が重くなる。想像以上の衝撃である。身体全体にも負荷を感じる。これが気を用いた攻撃だと言うことを忘れてはならないのだ。

 静音は円を解除していない。そして、消えてもいない。永続的にその場に存在しているのである。

 その場に、円を継続する力は、主に風の力が関わっていることが多い。しかしそれ自体は僅かで良いのだ。静音はゆっくりとその練度を高めて、その精度を高めているのだ。

 水は、大地に次に質量を持ち、その形状が崩れにくいという特性を持っている。

 円の大きさが徐々に増してゆく。

 静音は円の前でクルリと回転すると同時に、円を蹴り飛ばす。

 炎の使い手なら、この円は勢いを無くし、消滅するのだが、静音の其れは、そうはならない。

 円から蹴り出されたのは、先ほどと同じような水の弾丸で、大きさも変わらないが、圧倒的に速度が違う。

 鋭児は、その直撃を受けると、大きく蹌踉めいて数歩退いてしまう。

 これは明らかに、焔や吹雪と同じ戦い方では無い。それに、静音だと侮ってしまった。知った相手だと思っていたし、好意のある両者という甘えがあったのだ。

 これは勝負である。そして静音はこれでも、この学校での経験者であり、水属性二番目のクラスに所属する、優等生なのである。

 ポテンシャルだけの鋭児とは、全くその経験が異なるのだ。そこには鼬鼠に縛られていた、か弱い彼女はいない。

 そう、鼬鼠もまた、強いのだ。そして、二人が幼なじみである以上、鼬鼠は静音の戦い方を知っている。鼬鼠は、静音をか弱いから縛っていたのでは無い、彼女の得意な形を作らせないために、縛っていたのである。

 鋭児は漸く戦闘態勢に入るが、静音はあまり余裕を与えてくれそうに無い。円に拳で連撃を加え、先ほどよりも小さい水弾を連続で、鋭児にぶつけてくる。

 鋭児は、これを素早く躱し、静音に近寄ろうとするが、一枚の呪符が彼に飛ぶと、まるで機雷のように爆発する。威力こそ小さいが、氷の散弾であるため、硬度の分、ダメージがある。

 鋭児がそれに対する防御を行おうとすると、また静音からの水弾攻撃が行われる。近寄れば近寄るほど、その威力は高くなり、鋭児は一定距離を空けざるを得なくなる。

 離れつつも、静音が生み出す水弾を拳で叩き潰しながら、彼女との対戦方法を考える。

 どの角度から攻めるか考えるが、静音は絶えず鋭児と正対しており、後を見せようとしない。

 背後を取れることに超したことはないのだが、鋭児としては、出来る事なら、正面から確りと勝ちを拾いたいところだ。勝ち方にも拘りたいという欲にも駆られている。

 鋭児は速度をつり上げ、素早く静音の周りを回り続け、両手に印を練り始める。静音は無駄に鋭児を追うのを止め、彼の気配をじっくりと確かめた。

 そしてすぐに気がつく、鋭児のその行動は背後を取るための行動では無く、自分と同じように印の練度を高めるための時間稼ぎだったことを。

 円を描き、そこに六芒星を完成させれば、譬え鋭児の力が普段の半分ほどだとしても、それ相応の威力を持つことになる。

 鋭児は静音の正面に戻ると同時に、右手の平に蓄えた力を前面に押し出し、そこに六芒星を浮かび上がらせると同時に、左手でその印を円で囲む。

 それに対応するために静音は、素早く自らの円に拳を数撃当て、鋭児に水弾を飛ばす。

 そう来ると思っていた鋭児は、静音と同じように自らの円に、拳を当て、火炎弾を飛ばす。しかし、五発ほど打ち込んだ直後鋭児の円は壊れてしまうのだ。

 理由は簡単で、それだけ出力が足りないのである。いくら丁寧に描いても、元々瞬間的な炎の力は、其れほど大きな力に耐え続けることは出来ない。加えて今の鋭児は本気を出せない状況にある。

 ペース的には鋭児の方が速く、手数で勝つはずだったのだが、静音のように永続的な円を描くことが出来ず、回りながら縮めていた距離も、元に戻ってしまう。

 だが、次の手はすでに打ってある。回るのは只回っていたわけでは無い。

 鋭児が地面に拳を打ち込むと、炎が、まるで導火線を伝うように、土の上を走り抜ける。

 そして、静音の周りには、六芒星が描かれ、最後に炎がぐるりと円を描いて、鋭児の手元に戻って来る。

 鋭児が左手でもう一発、その円に力を与えると。静音はあっという間に、火柱に包まれてしまう。

 本来なら、これでダメージを与えられるはずだったのだ。そして鋭児も静音を打ち負かせたと思ったのだが、あっという間に鎮火されてしまう。その代わり、彼女の護符の殆どが消えてしまった。

 「私の勝ち」

 そう言った静音の正面には、光り輝く六芒星を持つ円が描かれており、彼女は、華麗に舞うように一回転して、右足ではなく左足で其れを蹴り飛ばしたのだった。

 鋭児はこれを躱せず受け止める事になる。躱せない理由は、先ほどから受け続けた静音の水弾が、鋭児の動きを酷く鈍らせていたからだ。

 あの水弾は、単なる水では無かった。術の隠った水気は、鋭児の動きに影響を及ぼす程に、その身体に染み渡ってしまっていた。

 どうにか両腕でガードするが、鋭児は吹き飛ばされ、背中を地に着けてしまうのだった。

 静音は空かさず鋭児の上に馬乗りになり、水で作り上げた鋭利な刃を纏う手刀を、鋭児の首に突き付ける。

 「参った」

 鋭児はひやりともしなかったが、確りとその事実だけが、心身共に理解出来た。

 良く理解しなくてはならなかったのだ。属性の組み合わせというものに対する理解不足である。静音は、二番目のクラスに止まっているし、クラス筆頭というわけでもないが、術者としての経験は、鋭児よりも遙かに上である。

 其れに、焔との合宿の時の仲間であるし、鼬鼠との戦いを彼女は見ている。鋭児の特性を理解している仲間の一人なのだ。

 其れとは逆に、鋭児は静音の特性を殆ど知らない。そして、戦いのバリエーションを知らない。こういう戦い方もあるのだと、今知った。

 勿論晃平ノートには記されているし、そういう知識が無い訳ではないが、実践はない。焔との戦いになれすぎていた感も否めないし、鼬鼠の時は必死だった。彼に術を生み出す隙を与えないために必至だった。

 其れに比べて今はどうだろう。仲間だというなれ合いで、静音との勝負を甘く見すぎていた。緩慢すぎた。

 「すんません……俺、ちゃんと静音さんの事見てなかった」

 目を閉じて反省するばかりで、首を取るなら取ってくれと言わんばかりに、サバサバとした返事をする鋭児だった。

 「うん。そうだね。相手を見つけて勝負を挑む前から準備は始まってる。鋭児君は其れを怠った。だから、私に負けた。万全で無い体調は言い訳にならない」

 静音は、鋭児の反省を見ると、いつも通り穏やかな表情で、指導してくれる。それに対して鋭児は頷く。

 一年生の男子の上に、跨がったまま得意気に、指をタクトのように降りながら、説教する静音は、少しお姉さんじみていたが、何時までも男子の上に馬乗りになっている様子は、少々過激である。

 周りの女子は、クスクスと静音の浮かれた様子を笑うが、男子連中は、鋭児に白い嫉妬の目を向ける。といっても、他愛も無い男子の羨む視線であり、其れほどの邪気は隠っていない。ただし、怒りは十分吹き出ている。

 「静音さん……」

 鋭児が其れに気がつき、静音の後から、睨み付けている一同を指さす。

 「あ……ゴメンなさい」

 静音は腰を上げ、鋭児の上から離れると、手を引いて引き起こしてくれるのだった。

 実はもう一つ騒めきがある。鼬鼠を巻かし、炎皇焔と互角に近い勝負を繰り広げた黒野鋭児は、やはり経験値の低い一年坊なのだではないか?という分析めいたものである。

 ポテンシャル以外は何も持ち合わせて居らず、二クラス目に在籍しているあまり名の知れない静音に負けるのだから、それ以下の実力なのだろうと、ある種の安堵感の隠ったものだった。

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