第1章 第2部 第39話

 朝になる。鋭児は吹雪の部屋で目覚めることになる。腕の中には吹雪がいる。満足げに眠る素肌のままの吹雪が其処に居るのだ。同じ日に、自分が惚れる二人の女性を抱いた。しかも両者公認である。それでも、本当に其れで良かったのかと思うが、満足げな吹雪の寝顔が、そういう気持ちも掠めてしまう。

 今は、自分の思いのまま生きるだけである。

 朝といっても、まだ薄暗い。夜が明けようとしている所だといっていい。目が覚めたのは、馴れた焔の部屋では無いからだ。しかし、吹雪の温もりや重みは、非常に心地よい。

 「ん……」

 軈て吹雪も眼を覚ます。しかし、すぐに鋭児を頼り、確りと寄り添ってくる。

 「しちゃった……ね」

 「うん……」

 吹雪の声はしっとりとしていて、後悔の欠片すら感じさせないほど落ち着いたものだった。

 「吹雪さん、スゲェ綺麗だった……」

 それは鋭児の本音だった。本音過ぎた。自分でも何故そのタイミングだったのかは解らないが、どうしようも無く口から零れてしまった言葉だったのだ。

 鋭児はそっぽを向く。照れてどうしようもないのだ。

 「こっち向いて」

 吹雪は、鋭児の胸板の上で、キュッと拳を作り、彼を揺する。

 吹雪に促されるまま、彼女の方を向いた鋭児は、完全に顔を赤らめたまま、どうしようも無く思考を停止させている。

 「凄く素敵だったよ」

 吹雪はゆっくりと鋭児の上に重なり、彼の唇を求めた。

 その後、もう少しだけ二人の時間を過ごすのだったが、吹雪の部屋には着替えすら置いていない。鋭児は一度自分の部屋に戻り、それから授業に出向くことにするのだが、そこでもまた事件が起こる。

 いや、事件と言うほどのことでもないのだが、部屋がどうしようも無い状態になっていたのだ。

 床にはビールの空き缶が転がっており、ベッドには生まれたままの焔が俯せに横たわっている。

 鋭児は面食らう。やられたとも思った。この部屋の有様を片付けるのは自分しか居らず、焔が片付けるわけがない。そろそろ皆も活動し始めるため、これを捨てるのは、明日の朝になりそうだ。

 「んだよ。吹雪の奴ほっぽってきたのかよ……」

 俯せのまま、焔はチラリと鋭児の方を、一度だけ見る。

 「ちゃんと、授業は出なきゃダメだ!って……さ」

 「っけ!いいじゃねぇか、一日くらい男と乳繰りあってもよぉ……」

 「はぁ……」

 焔らしい発想だと思った鋭児は、溜息を吐きながら、ベッドに腰を掛ける。ここで、吹雪の真面目さがどうのといっても仕方が無い。時間が来るまで、こうしてベッドの縁に腰を掛けて、焔と会話をすることにする。

 が、そんな焔は言いたいことだけ言うと、また俯せになってベッドに顔を埋める。

 「拗ねてんの?」

 「ちげーよ。テメェでふっかけて拗ねるとか、バカじゃねぇか」

 言われれば確かにそうで、子供っぽい焔ではあるが、サバサバとしている所が彼女らしい所であり、吹雪に対して嫉妬することは、考え辛い。どちらかというと、吹雪がちょっとした自己主張をする瞬間をおもしろがっているところがある。

 何故、焔が俯せのまま、ベッドの上を占領しているのかが、今一解りかねる鋭児だった。いや、一つだけ解る事があるとすれば、この部屋にはビールが置いてあるからだろうことだ。

 「んで?昨日はどこ出かけてたのさ」

 「何処だって良いだろ?」

 焔は、枕に顔を沈めたまま、くぐもった声でそう言うのだった。

 「ま、焔サンが言いたくねぇんなら、無理には聞かねぇけど……、取りあえず、ベッド半分空けてくんない?学校まで結構時間あるし……」

 「ねみぃんなら、俺の部屋か吹雪の部屋でもいってろよ」

 どうやら、焔はそこから動くつもりは無いらしい。寧ろこちらが其れを言いたいくらいだと鋭児は、溜息を吐く。

 「此処は、俺の部屋だっつーの」

 「っるせぇ。今は俺が占有中だ」

 拗ねているわけでは無い。しかし意地を張っている。其れに、先ほどから全く顔を上げて話をしようとしない。こういうときの焔は、妙に大人しいと吹雪は言っていた。確かに言葉ばかりで、何のアクションも起こそうとしないし、となると鋭児にも何となくその理由が分かる。

 そうなると、そうしている焔が、どうしようも無く愛おしく思えてしまうのだ。

 鋭児は焔の頭を撫でる。

 焔はそれを嫌って、手を追い払いにかかるが、基本俯せのままであるため、鋭児の手を払いきることは出来ない。何度も追い払っては躱され、頭を撫でては……というやり取りが繰り返される。

 「俺、一光さんて人みたいに、死んだりしねぇよ。別に六皇にとかにも執着あるわけじゃねぇし、まぁ焔サンに追いつけ追い越せってのは、確かにちょっと楽しいけどさ」

 「バカ、そういうのじゃねぇんだよ」

 「じゃぁなんだよ」

 「…………」

 焔は口籠もってしまう。其れはどうしても鋭児に言えないらしい。

 「やっぱ。一光さんに、惚れてる?」

 「ちげぇ!そうだけど……ちげぇんだよ……」

 「別に良いじゃん。今の焔サンが、一光さんあっての焔サンなら、それ全部丸ごと焔さんじゃん。俺の好きな焔サンじゃん。ちょっと、癪だけどよ……」

 そう。そうなのだ、今の焔を作ったのは、焔が築き挙げてきた時間の中で生まれた焔なのだ。

 勿論、元来ある焔自身の性格というのもあるのだが、それにより深みを与えてきたのは、間違い無く時間なのだ。鋭児は今の焔が好きだし、これからの焔をもっと好きになるだろう。それを断言できる強気な自分を隠しきれず、なんだか妙にむず痒かった。

 「バカヤロウ……」

 焔は枕にしがみついたまま、微動だにしなくなってしまう。其れに声が滲んでいる。

 「よっと」

 鋭児は、漸く空いているベッドの端に寝そべり、焔の頭を撫でると、焔は漸く顔を見せる。

 みっともないほどはれぼったい瞼をして、今の一言でもう一度泣きでしてしまった、何とも子供みたいにくしゃくしゃな顔をした焔が、肩をしゃくり上げて泣いている。

 「あんだけ一光に惚れてた俺が、あっさり別の男に鞍替えとかよ!俺、どんだけ、ケツがかりぃんだって思ったら情けなくってよぉ。でも惚れたもんはどうしようもねぇじゃねぇか!」

 要するに焔は、鋭児が好きのだと言うことを肯定しつつも、あれほど憧れ惚れていた一光から、その気持ちが離れていくことが、許せなかったのだ。自分の情熱の移り変わりが信じられなかった。

 「焔サン……」

 「んだよチクショウ!」

 「抱いて良い?」

 焔は一瞬だけ停止してから、コクリと頷く。其れはどうしようも無く、正直な気持ちである。

 ギュッと抱きしめられると、其れが何とも心地よい。

 そして鋭児も、腕の中に丁度良く収まる焔の温もりが何とも心地よかった。二人は暫しの間そうして時間を過ごすのだった。

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