第1章 第2部 第4話
「婆さんの家を手放すって……この夏までには、売りに出そうと思ってるって」
「お婆さまの家?」
「ああ……」
鋭児は、態と横を向いて、無闇に広い部屋の壁をぼんやりと見つめる。鋭児が両親を早くに亡くし、祖母の家で今まで過ごしてきたことは知っている。その家が無くなるということは、彼にとって帰る場所が無くなるに等しいことだ。
「どうにかならない……の?」
「仕方がねぇよ。学費イラねぇっていっても、オヤジとお袋の保険金それで食いつぶす訳にもいかねぇし、俺も生活費いるし……、かといって、叔父さんに負んぶに抱っこって訳にもいかねぇし……、美箏の学費もあるし」
諦めきった鋭児の妙に大人びた言葉には、聞いている吹雪の方が、胸がいっぱいになってしまう。
「みこと?」
それでも、初めて聞くその名前に、吹雪は気になる様子を見せる。
「ああ、従姉妹。有名な附属高校受かって、物いりなんだよ。俺と違って、デキが違うし」
「それって……」
体の良い財産分与ではないのかと、吹雪は思ってしまうが、鋭児自身はそう感じていないようだ。あまり金銭的な執着を持たなさそうな鋭児だろうから、そう感じていないだろうし、叔父に対する彼の言動に、あまり棘が無いことから、仲は良好と言えそうだ。だから、吹雪は言葉を飲み込んだ。
吹雪が何かを言いかけたためか、鋭児は、携帯電話のメールを吹雪に見せるのだった。
文頭には、「済まない」の一言が載せられており、其処には叔父が乗せた、叔母との話し合いの結果と書かれてある。その文面から、鋭児の叔父が保持に対して、努力を試みたことが理解出来る。
「動けそうだから、外出許可取って、明日にでも帰ってみるよ」
鋭児は起き上がり、ベッドの下に折り畳まれている、衣服に手を伸ばす。吹雪は其れを見て、気を利かせて目を閉じて背中を向けている。といっても、用意されているのは学ラン一式である。私服に関しては、部屋に置かれたままである。
吹雪は、後ろで聞こえる着衣の音で、少し妄想を膨らませている。
「いいよ。ズボン穿いたし……」
鋭児がクスクスと笑いながら、何となくそわそわした吹雪の様子を察するのだった。
「鋭児くんの身体って、豹みたいだね……ウエスト締まってて……猫系っていうか……」
振り向いた吹雪が、包帯でグルグルに巻いている鋭児の背中を見つつ、少々艶めかしい想像をしている。
「体は出来てる方かな。喧嘩で負けられなかったから、トレーニングはしてたし、叔父さんの知り合いの道場も無理矢理行かされてたし。まぁ中二の時に、首になったけど……」
「ふ……ふぅん。つ、次いでだから包帯かえよっか……」
確かに高校一年生の体にしては、随分と引き締まっていると思う。とまぁそれほど男子の生肌を間近で見たことがあるわけではないのだが……。
「ああ…………と、お願いします」
鋭児はベッドに座る。傷といっても、打撲の怪我が殆どで切り傷がないため、包帯は主に折れた肋骨のために巻かれた物だが、焔の懸命な看病のおかげで、それもほぼ完治に近く、寝ていたのは、どちらかというと自らの技でボロボロになった肉体の回復が殆どの理由だった。
吹雪は、両腕の包帯を解き始めてある事に気がつく。鋭児の腕にはいくつもの褐色の痣が浮き出ている。恐らく彼が急激な力を発動したからなのだろうが、最初吹雪には其れがなんなのか全く解らなかったのだ。
「鋭児くんのこれ、属性焼けみたいだけど……」
「ホント……だな……。あの技のせいかな……」
鋭児自身も両腕に出来ている幾つもの痣を見て、自分にもそう言う症状が現れたことを確認する。属性焼けをすると言うことは、ある意味能力者としての素質が開花したとも言える。
次に吹雪は、お楽しみである身体の包帯は解き始める。その時、背中にも何かが焼き付いていることに気がつく。
「まって……鋭児くんこれ……、この痣……」
吹雪は解いていくうちに、表情が驚きに硬直し始めるのだった。それから、腕に出来た痣を確認する。
「これ……羽根だわ」
鋭児の腕に出来ているいくつもの痣を確認してそう言う。
「羽根?そう言われれば……」
そして、吹雪は自分の携帯電話で、鋭児の背中を撮影し、それを鋭児に見せる。
「火の鳥……鋭児くんの属性焼け、翼を広げた鳳凰なんだわ。そして腕に散らばっているのは、その羽根なんだわ。羽ばたきの勢いで抜け落ちた、炎の羽根……」
吹雪は、あまりにその美しい鳳凰の出来映えに、すっかり見とれていた。火の属性をもつ鋭児がそれに見合う象徴を背負う。運命を感じずにはいられない。
「これって、凄いんんすか?」
「解らない……けど、模様を描く属性焼けっていうのは、やっぱり天性の能力者であることが多いし……」
そういって吹雪は自分のブラウスを少し下げて、鋭児にそのキレイな胸元を見せるのだ。何をするのかと思い、少し視線をそらした鋭児だが、吹雪の胸の谷間には、雪の結晶のように、人一倍白く刻まれた雪印の印が浮き出ている。
「雪の結晶……ですか……」
気を取られて胸の谷間を覗き込む鋭児に、吹雪は嬉し恥ずかしそうにして、鋭児の視線に心地よさを感じている。吹雪の中では少し趣旨がズレ始めている。
「へぇ……」
と鋭児は、すっかり正確に描かれた雪の結晶の印に見とれている。線の細い吹雪だが、着やせするのだろうか、そのふくよかさはなかなかのものである。彼女のきめ細やかな白い肌が、より一層それをデリケートに柔らかく感じさせる。
「あ……すんません……」
此処で自分がなにをしているのか再び思い出し、視線を逸らすのだった。
「そ、そういや焔さんには無かったなぁ」
鋭児は半ば誤魔化しながら、あれほど凄い焔にはそう言う印がないことに気がつく。
「焔は内股にあるのよ?」
「え、ウソだって。内股にそんな痣なんか……なんか……無かった……気がする……ぜ」
何度焔の際どいアングルを見たことだろうか。稽古を付けて貰っているときにも、彼女の太ももを拝見させてもらったが、それでもやはりそんな記憶がない。ブツブツと言いながら、回想する鋭児だった。
「ウソ♪」
「…………」
何だか吹雪に馬鹿にされた気分の鋭児だったが、そのからかいも、彼女のキレイな笑顔に、何も言えなくなってしまうのだった。
「焔はね。影印になってて、本気になると右足の足首から大腿部に掛けて、天を目指す二匹の龍が浮き出るのよ」
「……え」
だが、自分との試合の時には、其れは見られなかった。膝を痛めていたために、十分な実力を発揮出来なかったのだろうか、或いは、本気を出すと言いつつまだ本気ではなかったのだろうか?情の深い焔なだけに、十分考えられる。
其れと同時に、何故焔の右足があれほど執拗に狙われたかという意味も理解する。彼女の右足はまさに必殺の一撃を生み出す足なのである。
「ふぅん……鳳凰かぁ」
吹雪は再び四つん這いになりながら、鋭児の背中へと回り込み、彼の背中を熱い視線で見つめる。そんな吹雪の動きは何処か動物的にも感じられ、まるで獲物になったような気分だ。差し詰め吹雪のイメージは、銀狼か銀狐かといった所だ。技のイメージや、その強さからして、銀狼の方がより正しいのかもしれないが、妙な茶目っ気で憎めない部分としては、遊び上手な狐と言えないでもない。
「もう包帯の必要はなさそうだね」
鋭児の背中を散々観察した吹雪は、気分を切り替えたように、ひょいとベッドから飛び降り動く準備をし始める。
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