第1章 第2部

第1章 第2部 第1話

 鋭児は焔のベッドで目を覚ます。

 土曜日は数分起きては、何時の間にか眠っているという状態だった。一日が流れたと言うことだけが、何となく理解出来る日曜日の朝、そんな鋭児の腕枕の中では、焔が熟睡していた。

 彼女のリラックスした息遣いが、静かな寝息として、静まり返った部屋の中で一定のリズムで聞こえている。

 身体に残った痛みは、焔に折られた肋骨や、破裂しかかった内蔵ではなく、自らの技で酷使したものが殆どだった。それ以外は、随分マシになっている。

 気を用いるということは、何も超人並みの運動能力を引き出すということだけに止まらず、回復力の活性化にも用いられ、気を利用した治療は、通常の回復力を遙かに上回る。

 

 ただ、それでも、酷使しすぎた体までは、すぐに元通りというわけにはいかない。

 これは、鋭児の自業自得だ。

 

 鋭児は、改めて思う。別に上手く話を纏めるつもりもなかった。焔という存在が周囲に正しく認識されさえすれば良かった。焔は果たして鋭児の思うとおりに、分け隔て無く、助けを求めてきた者を助ける存在として認識されただろうか?

 何度も思うが、ただ焔のために何かをしたかった。それだけだったのだ。

 吹雪では出来ない、鋭児にしかできないこと。今この場に寝ている鋭児ではなく、鼬鼠を倒した直後の鋭児にしかできないこと。鋭児自身はそう思っている。

 

 あれだけのことがあったというのに、もう全てが丸く収まったかのように、子共のように無邪気な寝顔をしている焔のヒヨコのようにフワフワとした頭を、何となく撫でてみる。

 

 そんな焔を見るだけで、気持ちは報われる。誰の誤解が解けなかったとしても、自分や吹雪、晃平も静音も重吾も仲間だと、そう信じる事が出来る者が其処にいると焔に思ってもらえるなら、其れは一つ前進なのかもしれない。

 あとは焔が、過去の出来事に後ろめたさを感じずに、堂々と彼女らしく、筧と向かい合った時のような焔でいることが出来るかが問題だ。

 「ん……」

 焔が目を覚ます。それでも鋭児は、焔の頭を撫でるのを止めずにいる。

 「コンニャロウ……先輩の頭を、いつまでも撫でてんじゃねぇよ……」

 と、掠れて眠たげな声で、自分の位置をなじませるようにもぞもぞと動き、鋭児に身体を寄せる。ただし、不機嫌どころか、可成りご機嫌な様子である。二人の体温が隠ったシーツの温度が何とも心地よい。

 「焔サンの頭、気持ちいいんだよ、フワフワしてて……」

 そう言いながら、鋭児は焔の頭をまだ撫でている。

 「ん…………」

 すると焔は、ゆっくりと鋭児の上に跨がり、胸の上に寝そべると、口を突き出してくる。

 「っえ……と……」

 まるでタコのように突き出された焔の唇から、今にもチューチューという音が聞こえてきそうである。巫山戯ているのか本気なのか?鋭児は戸惑いつつも、そんな焔の顔が面白くて、ケタケタと笑い出してしまうのだった。

 「なんすか?その顔。焔サン……ハハハ」

 鋭児も寝起きだったため、笑い声が掠れてハスキーなものになっていた。それが微妙に、苦笑気味に聞こえる。

 「オハヨーのキスだろ?照れんなっての、ほれ」

 と、チューチューと音を立てている。

 サービス精神旺盛な焔だ。よほど機嫌が良いのか?と、鋭児は子供っぽい焔の頬を両手で包み、一度クスリと笑い、それから軽く唇を重ねる。すると、先ほどまでの茶目っ気一杯な焔ではなく、軽いタッチながらも真面目なキスを続けるのだ。焔なりの照れ隠しだったのかもしれない。

 「コホン……」

 鋭児が焔の感情を捉えようとしたその時、少し遠い位置から、明らかに第三者の咳払いが聞こえるのだった。



 

 吹雪である。

 

 「オッホン……」

 明らかに自分の存在をアピールするために、もう一度咳払いをする。

 

 「吹雪じゃねぇか」

 「……じゃないかじゃなくて、朝ご飯!持ってきてあげたんだけど?」

 吹雪は特にヤキモチを妬くでもなく、怒るでもなく、ただ少しだけ赤面した様子で、ぶら下げていた白い紙袋を胸の前で抱えてみせる。そんな吹雪は、白を基調としたロングスカートのワンピース姿という、何とも上品な装いだった。

 焔は吹雪が、朝ご飯を強調すると、枕元の目覚まし時計を確認し、それが普段よりも少し遅い起床になっていたことに気がつく。尤もゴールデンウィーク二日目のこの日、授業に遅れると言うこともない。

 「朝飯……か」

 と、鋭児の顔を見る焔だった。

 「大丈夫。食えるよ」

 焔に思い切り腹を殴られているが、それも一晩で随分ましになった。鋭児が食事を出来る状態であると返事を聞いた焔は、ほっとした表情をする。そんな瞬間に、彼女が思いの外、責任を感じていることが理解出来る。

 「鋭児くん。無理しなくて良いからね?」

 と、吹雪が心配そうな表情を鋭児に向けると、焔は少しブツブツと文句を言いたそうな表情を作るのだった。態々念を押す必要もないだろうと思ったのだ。

 「無理はしてねぇ。正直いって少し腹へってるし……」

 この二人の暖かさは、自然と鋭児の表情を綻ばせるのだった。ニコリと微笑んだ鋭児の表情は、心配気だった吹雪の症を和らげた。

 「っし、ちょっと、シャワー浴びてくるわ」

 一つ空気が纏まったところで、焔は身体を起こし、生まれたままの姿を平然と鋭児に見せる。いくら一日中体温を分かち合った仲であっても、はっきりと其処まで見せつけられてしまうと、鋭児は目のやり場に困ってしまう。淡い褐色の艶やかで張りのある焔の肌は、健康美そのものだった。

 そう言う鋭児自身も実は、包帯以外何も身につけていない。つまり鋭児の包帯を除けば、二人は全裸なのである。

 鋭児に跨がったまま、上半身を起こしている焔と、リードされているような鋭児の生々しい体勢に、吹雪の方が顔をそらしてしまう。何も今その関係を見せつけなくてもいいだろうと、ブツブツと口元で呟く。

 尤も当の本人は、全くそういうシチュエーションを狙って演出したわけではなく、漸く腰元に掛かっているシーツから抜け出すと、そのまま素っ裸のままブラブラと浴室の方まで歩いて行ってしまう。

 焔がシャワールームに向かった後、腰骨付近に漸くシーツが掛かっている鋭児のその姿に、吹雪がチラチラと視線を向ける。

 「鋭児くん……ほら……その、あれ……うん」

 吹雪は言葉を選びたいが、中々適切な表現が思い浮かばず、キョロキョロとしつつ、何度か視線を送りながら、懸命にそれを訴えている。

 「あ、ああ……」

 言葉はぶっきらぼうだが、行動は少し慌て気味で、問題のない位置にまでシーツを引き上げる鋭児だった。少し落ち着くと、吹雪はベッドの端に腰を掛け、鋭児の額にゆっくりと手を伸ばす。

 鋭児は少しだけ緊張しつつも、吹雪のその手を受け入れる。

 「焔はここだけは狙わなかったね」

 鋭児のことについては、あえて聞かない吹雪だった。ただ相変わらず凹凸を感じる鋭児の額を暫く撫でる。

 「焔さんは別に俺を潰すつもりじゃなかったし……」

 勿論吹雪にも、焔が鋭児を潰すつもりなど全く無いことくらいは理解している。しかし、感極まることもある。通じない思いを力で伝えすぎようとしすぎる時が、一番怖い。

 「じゃぁ、私は、紅茶入れてくるね。コーヒーがいい?サンドイッチ沢山買ってきたの」

 吹雪は、一度置いた先ほどの手荷物を持ち上げて、鋭児に其れをアピールする。どうやら、吹雪はサンドイッチが好きらしい。しかもその袋の中いっぱいとなると、少々状況が末恐ろしい。

 「じゃ、コーヒーで。砂糖は一杯……ミルクは……いらないかな」

 「解った」

 吹雪は広い焔の部屋を出て行き、リビングを通りキッチンへと向かう。だが、サンドイッチの入った袋はそこに置きっぱなしである。

 どうやら、焔の部屋で朝食が開始されるらしい。

 暫くすると、ティーセットを準備してトレイに乗せた吹雪と、バスローブ姿の焔が、バスタオルで頭を拭きながらやってくる。当然バスローブ以外は何も着けていないだろうと、安易に予想される。

 鋭児は、ベッドから動けないので、食卓はベッドの上となる。置かれたトレーが少々不安定に思えたが、ベッドの上に焔と吹雪が腰を掛けたところで、先ほどの袋から大量のサンドイッチがベッドの上にばらまかれる。どれも此もパックされたもので、色々な種類がある。

 焔は、一生懸命自分の分を食べているが、包帯だらけで、まだ細かなものを掴むことが出来ない鋭児は、吹雪に食べさせて貰う事になる。

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