第1章 第2部 最終話

 それから半時ほど時間が進む。

 焔は未だに俯せになって、只漠然と横になっていた。

 そんな彼女の携帯に、電話が入る。

 今は誰の電話も出たくない。自分の空回りした気持ちを、誰にも知られたくないのである。しかし、電話は鳴り続け、留守電になると同時に、すぐに掛け直される。焔は特に、電話番号ごとに、着信メロディを振り分けるほど、マメでは無いため、その着信が誰なのかは、取るまで解らないのだ。

 「んだよ。うるせぇな!」

 しかし、いい加減しつこいので、そう言いつつ、着信を見ると、其れは吹雪である事が解る。

 「んだよ、吹雪。気分じゃねぇんだよ!」

 「それどころじゃ無いのよ!一階闘技場で、鋭児君と重吾君がやりあってるって!」

 「はぁ!?別に珍しくもねぇだろ?」

 「二人とも、殴打の連続で、もう喧嘩!」

 必死な吹雪の声が聞こえる。控えめな重吾が、他人と喧嘩など考えられないのだ。鋭児に対しては、きっと彼の琴線に触れない限り、大丈夫なはずである。

 何より自分達は仲間だし、鋭児も重吾も仲間思いである。

 「んだってんだよ!」

 落ち込んでる場合では無い。焔は、急いでベッドから起き上がり、闘技場へと向かう。闘技場と言うことは、どちらかがどちらかに、正式に試合を申し込んだのだが、其れはかなり重要な局面でないと、使う事は無い。

 非常にギャラリーの増えやすい場所であり、またそのための場所である。

 焔が到着すると、鋭児と重吾が殴り合っているが、傷ついているのは圧倒的に鋭児である。そもそも、試合を挑めるのは、立場上鋭児で、重吾から試合を挑むことは出来ない。

 鋭児が積極的に挑んだか、挑まざるを得ない状況を重吾が作ったかの、どちらかである。

 しかし、焔は重吾がそんなことをするはずがないと思ったのだ。

 「おい!止めろ!重吾!鋭児!」

 今の鋭児は、あまり大きな力を出せない。力を出そうとすると、酷く竜脈が痛むのだ。必然的に、力をセーブせざるを得なくなる。

 重吾は万全であるため、力をフルに使っている。だからダメージはどうしても鋭児の方が多く出る。

 炎と大地の力を使いこなす重吾の守備力は、非常に堅固なもので、鋭児がどれだけ素早く動いて、重吾を殴っても、あまりダメージにはならない。カウンターを喰らっては、何度もよろけている。しかし、鋭児のタフさ加減は、誰もが一目を措くところなのだ。

 「吹雪!テメェもぼうっとしてんなよ!ダチだろう!」

 「でも!」

 そう、この勝負に吹雪が手を出すことは出来ないのだ。二人とも炎の属性者であり、二人とも焔の懇意にしている相手である。吹雪が割って入ることは、どちらかの名誉に傷を付ける事になるし、またどちらかを止めなければならない。当然止めた相手の勝ちとなる。鋭児を止めれば、鋭児の勝ちになり、重吾を止めれば重吾の勝ちになるのだ。守りたい相手が負けることになる。

 「ち!」

 焔にもその理屈が解らないでもない。確かに吹雪にその選択をさせるわけにはいかない。

 焔は構わず、ステージに上ると、すでに痣だらけになっている鋭児を、一発で殴り倒した。止めたい方を止める。焔は明確だ。しかも、容赦なく顔面を殴ったのだ。

 「重吾なにやってんだ!怪我人相手にらしくねぇ!」

 「コレは、俺と黒野の問題だ!焔さんは、黙っててくれ!」

 「んだと!?鋭児がふっかけたくらいで、真に取るようなお前じゃないだろう!どうしたってんだ!」

 焔の中では、完全にその構図が出来上がっている。確かに喧嘩っ早いのは鋭児の方なのだ。だから、そう思ったまでの話である。

 「俺にゃ、焔さんを任せられないんだとよ」

 鋭児が、口元の血を拭いながら、ゆっくりと立ち上がる。この言葉に、焔の息が詰まる。重吾が鋭児を認めていないと言っているに等しい発言である。

 「な……なんだよそれ。鋭児はまだ一年だぜ。二ヶ月前は、気すら知らなかった奴だぜ。良くやってるじゃねぇか!」

 「力量の問題じゃない!日向を泣かせる奴には、任せられないと言っているんだ!一光さんがいたときみたく、日向には笑っていて欲しいんだ!」

 「ば……バッキャロウ!テメェ、此処でんな話するんじゃねぇよ!」

 焔は本当に恥ずかしそうに頬を真っ赤に染めて、自分が普段人に見せない部分を、赤裸々に語る重吾を止めにかかる。

 「日向は、黒野の素質に惚れただけで、根っから惚れた訳じゃないだろう!」

 「止めろ!」

 焔が、全力で否定しにかかる。

 「関係ねーよ!俺が焔さんを守りてーんだ!焔さんがそう思ってるなら……俺は……それで」

 「鋭児!!」

 焔が思わず、あまりにも軽率な発言の鋭児に平手打ちをしようとしたが、単なる平手打ちだ。鋭児は簡単に其れを止めてしまう。

 「俺は、焔サンと吹雪サンの、両方に惚れてる。それが許せねぇっつんなら、其れは謝るよ」

 今度は鋭児を守るようにして、焔はギュッと彼に抱きつく。

 「何言ってんだよ。俺と吹雪が納得してんだ。良いじゃネェか!な!?」

 「俺は日向の答えをちゃんと聞いてない!」

 重吾は納得をしていない様子で、握り拳を握る。彼も鋭児の性格をよく理解している。納得していないのだから、鋭児は向かうしかないのだ。重吾が殴り飽きるまで、とことんやるだけである。

 「好きなんだよ!どうしようもネェ、コイツの馬鹿なところがよ。目が離せねぇところが、玉に瑕だけどよ!コイツの本気マジで、全部パァになっちまったら、其れは其れで、しゃぁないかって思えるほど好きなんだって!」

 「焔……サン」

 焔がギュッと抱きついたまま、離れないでいる。

 二人が懇意なのは、ある程度周囲も知っていた。鋭児が焔のお気に入りである事も理解はしている。何より二人は師弟関係にある。しかし、状況はそれ以上で、正にあの相合い傘の状況なのである。

 「鋭児クン……」

 すると、いつの間にか吹雪も闘技場の上に顔を出しており、ニコリと微笑んでいる。

 「すんません。心配かけました」

 焔に抱きつかれたままの鋭児は、頭だけを深く下げる。

 吹雪は何時もそうなのだ。こうして自分を見守ってくれている。

 「ゴメンね。止めてあげられなくて……」

 今度は吹雪が泣き出してしまう。其れは彼女の立場上どうしようもないことだった。それは鋭児も理解している。

 「すんません……」

 鋭児は両腕に二人を抱く。

 少しの間、その状態が続いた。それを見た重吾は、何も言わずに、闘技場を下りて行く。

 「重吾君……優しいね」

 吹雪が、ぽつりと呟く。すると、焔はコクリと頷いた。その言葉に、鋭児は振り返るが、去り際の重吾の背中しか見る事が出来なかった。

 「今週は焔の番だから、私は行くね!」

 吹雪は、顔を上げて、二人の背中に周り込み、闘技場の外に下ろしてしまうのだった。

 そして自分は、重吾の方を追いかけるのだった。

 

 

 

 二人は焔の部屋に行くことにする。そして、ベッドの縁に腰を掛けて、少しの間歓談の時間を過ごす。

 「ゴメン……俺、焔サンが、気持ち的にそんな板挟みになってるとか思ってなくて……」

 「ま……まぁな。でも、好きだって公衆の面前で言っちまったら、なんかスッキリした」

 「俺は……その一光さんのこと含めて、焔サンを受け入れてる気になってた……けど、焔サンにとって、一光さんは一光さん、俺は俺……なんだよな……」

 「……俺もよ。一光には報告に行ったんだよ。あれだけ好きだった奴に……お前より好きな奴が出来た……って、正直自分の軽さに……ちょっと嫌気がさしてて、ちょっと泣いた……」

 焔は真っ直ぐな人間だが、素直で無い意地っ張りな一面を持っている。いや、寧ろあまり上手く自分を表現する言葉を持ち合わせていない方だ。だが、この時は饒舌で無いにしろ、様々な状況を含め、自分に対して非常に素直な感情を表にした。

 これ以上、鋭児と重吾を仲違いさせるわけにもいかないと思ったのだ。

 鋭児は焔の頬に手を添える。

 吹雪の頬は、薄らと繊細な肌触りで、肌の質感から来る柔らかさはあるが、本当にホッソリとしている。それと比べて焔は、吹雪と同じく顔は小さいが、頬の手触りは肉質を感じる柔らかさをしている。彼女の頬肉の柔らかは、毎度ご承知であるが、改めて思うと柔らかく手触りが良い。

 鋭児が暫く、彼女の頬を撫でて弄んでいると、焔は心地よさそうに目を閉じてウットリとしている。彼女としては何時身を委ねても良いと思えるほどに無防備で有り、力の抜けた雰囲気だ。

 唇を重ねるまでに、それほど多くの時間を要したわけでは無いが、何故か全ての間がゆったりとして感じられた。


 

 

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