第1章 第1部 第37話

 「誰か、俺の相手してくんねー!?二年とかテンで話なんなくてよー!」

 晃平がなにか考えた瞬間に、鋭児はもうそんなことを口走っていた。其れは飛んでもない暴言だ。しかも、今鋭児が相手をしてきたのは、F3クラスの二年で、F1クラスではないのだ。勿論そんな鋭児の戦績など知るよしもないのだが、明らかに三年の、しかも焔を囲んでいる連中の神経を逆撫でする発言である。

 「ああ!?一年が、鼬鼠一回潰したくらいで、調子のんな!」

 「んじゃ、試合宜しく。俺、一年F4、黒野鋭児」

 「鋭児……」

 焔の顔が驚いていた。それは自分を取り囲んでいた連中が、鋭児に敵意を移したからだ。

 「重吾!テメェ、鋭児呼んだのか!」

 「ちげーよ!焔さんとこに、遊びにきたんだよ」

 鋭児は重吾が口を開くよりも先にそう言って、焔を取り巻く彼らを無視するようにして、焔の側にまでやってくる。

 「おもしれぇ。この三年F1鷹野明治が、相手してやるよ。噂じゃ、鼬鼠のヤロウは不調だったらしいからな」

 「宜しく……」

 鋭児が悪役じみた笑みを湛えて、カードを提示すると、鷹野もカードを提示する。

 「吾壁先輩たのんます」

 と、鋭児が試合開始を仕切ると、重吾は、二人の間に振り下ろした手を、すっと挙げる。と同時に、鋭児の顔が豹変し、鷹野の身体がくの時に曲がり、吹っ飛ぶ。

 鋭児の動きが理解出来たのは恐らく焔ぐらいだろう。それは尋常ではない速度だったのだ。

 「がは……い……いき……でき……ね」

 鷹野は、胃の内容物を吐き出すだけではすまず、血の含んだ粘液を垂れ流している。誰もが信じられなかった。F4の鋭児が、一瞬にして三年生を吹き飛ばしたのである。

 「早く!!誰かコイツ保健室に運んでやれ!!」

 と、一番声を張り上げたのはほかでもない焔だった。

 「バカヤロウ!テメ!加減しろ!!」

 焔は思わず、試合の事も忘れて、鋭児の首を釣り上げるのだった。間違い無く取り返しのつかないことをしたと、焔は思ったのだ。

 「晃平!こいつらの顔、全員覚えれそう?」

 鋭児は焔さえ無視して、晃平だけに話しかけた。

 「ま……一応……」

 どれだけの秀才だと、思えるほどだった。晃平はこれだけのメンバーの顔を覚えたというのである。その瞬間、誰もが顔を隠すようにして、そこを立ち去ろとするのだった。

 「鋭児……」

 焔はなんとも苦い顔をする。だが、釣り上げられた鋭児は、顔色一つ変えず、冷徹な目をしていたのだ。

 そして、恐らく元々そこにいたであろう三年の男女を残して、殆どが居なくなってしまうのだった。鋭児の目は、首謀者を捜す。恐らくこの場を避けるために、全員一時去っただけだ。どういう目的かは解らない。恐らく焔を倒すことではなく、時間を掛けて潰すことを目的とした行為だということは、理解出来た。程度の悪いリンチである。しかも、彼らは焔が手加減をすることも、十分に考慮している。

 焔が手加減をしている理由は何となく推察出来た。もし彼女が過去の出来事で、彼らに負い目を感じているのなら、同じ過ちを犯さないために、酷い手傷を負わせることを恐れているはずだからだ。

 「脚……、明日もまたこんなだろ?」

 「鋭児……」

 鋭児は、淡々としているが。殆ど闘わずして、たった一発であれだけの人数を散らせてしまうのは、彼がそれだけの状況を経験しているからだ。自分もそうなりたくないと思った瞬間、覚悟の出来ていない人間は怯むものなのだ。

 焔が鋭児を釣り上げるのを止めると、今度は鋭児が焔を抱きかかえる。

 「バ……カ、テメェ!」

 普段一番大胆だと思われる焔が、鋭児の大胆な行動に対して、思わず拒絶する姿勢を見せる。勿論本心から嫌がっているわけではないのだが、まさかこんな場面で抱きかかえられるなどとは、思ってもいない事だった。女扱いされたことが、妙に照れくさい。

 「ウルセェよ。アンタが耐えて尚且つ炎皇にいなきゃなんねってのは、それだけの想いがあるってことだろ?少なくとも、俺の知ってるアンタなら、こんなヘボイ怪我なんてしねぇよ」

 「ひ……日向焔!私と、勝負しなさい!東城陽子が、勝負を挑むわ!」

 一人の女生徒が鋭児に抱きかかえられている焔に対して、怖じけつつも勝負を挑んでくる。焔は、妙に大人びた溜息をついて、鋭児の肩を叩き自分を降ろすように指示するのだ。彼女にとって膝を痛めたくらいで、挑まれた勝負から逃げることなどあり得ないのだ。

 普通にスタンスを取って、戦闘姿勢に入る焔の状態は、それほど痛みを感じるようには見えないが、膝の外側が腫れている。

 焔がカードを提示する。お互い三年F1という所だ。先攻を仕掛けたのは、勝負を挑んできた彼女だが、勝負の間合いに入った瞬間、焔がその顔面に拳を当てる。上手いタイミングだ。動かずともカウンターをきっちりと当てることが出来る。だがしかし、其れは寸止めなのだ。当たる瞬間、東城が怯えた表情を見せたのだ。なるほど、焔の鋭敏すぎる反応が、こんな欠点を生んでしまうのだ。

 焔が拳を当てることが出来ないと知った瞬間潜り込み、焔の右足を取りにかかる。それが焔が膝を痛めた結果だ。しかも、焔が膝を痛めているのを知っていての行動である。

 だが、膝を取られた瞬間、焔は東城の頭を押さえて、そのまま地面に叩き着けるのだ。

 「ま、参った!」

 そして、アッサリと負けを認めてしまうのである。しかしその間に、きっちりと焔の膝だけは、狙っている。

 「っつう。テメェもかよ。どうやら、あんときのクラスメートは、全員敵だって思った方が良さそうだな」

 「当たり前でしょう!アンタの友達は、殆どF3以下なんですから!!」

 東城は、地面に這いつくばりながら、不敵な笑みを浮かべながら、焔を見上げるのだった。それに対して焔は、歯ぎしりをする。それ自体には、反論の余地もないようだ。

 そんな様子を見て、鋭児は胸ポケットからカードを取り出そうとするが、焔が其れを止める。

 「重吾、サンキューな。テメェはテメェの仕事きっちり決めてくれ。鋭児テメェも、順位戦、どうなった?」

 「さっきのやつで、二十戦二十勝……、ほぼ同級生からだけど……」

 鋭児はなんの自慢にもならないと、焔に其れを報告するのだ。

 「へへ、なんだよもう最低ラインクリアかよ。しかしさっきの、あの技はスゲェな」

 「アレは企業秘密だよ。焔さんに覚えられたら、勝ち目ねぇし」

 「バーカ。今でも勝ち目なんてねぇよ。ヒヨッコ鋭児」

 といいながらも、焔は足を引きずりながら、鋭児の首に抱きついてくる。要するに抱っこの催促である。自分から強請る分には、何でもオーケーのようだ。そこは焔らしいが、少し重吾が赤面している。その、距離感のなさは、いったい何なのだろうと、彼も想像を膨らませている。

 「じゃ、じゃぁ日向ひむかい……いや、焔さん。俺も今の順位維持しないとだから……」

 そう言いつつ、なぜか晃平も連れて行かれてしまうのだった。重吾は可成り気を遣っているようで、人の良さが伺える。そう言う人が焔の側にいるというのは、安心できる材料でもある。

 「おうよ」

 焔のその返事に、重吾は少し気を遣った様子で、小走りにその場所を去ってゆく。

 「三年は大変なんだぜ。特に第五位の重吾ともなれば、下から勝負は挑まれるし、各属性の各上位に勝負を挑まなきゃならねぇ。F1筆頭且つ炎皇たる俺は、挑まれた勝負は、断れネェし、同じ相手に連敗すると、筆頭の座もなくすし、学期末の炎皇戦もやらなきゃならねぇし、一つずつシード権を無くしたり、予選から全部相手にしなきゃならねぇし。兎に角負けられねぇ」

 焔は、鋭児に抱きかかえられながらも。

 「同じ人間と連戦あんの?」

 「まぁ同じクラスとかだとよ。取り返すために負けた奴に勝負を挑む事になる。弱い奴が、勝負を挑むっつーのが、この学校の基本姿勢だな」

 「悪かったな」

 「何がだよ」

 「大変なのに、鼬鼠との特訓とか、その後の治療とかよ。俺にはまだ、そういうスキルってねぇから。アイシングとテーピングしか出来ねぇけどよ……」

 「バッカヤロウ。んなの朝飯前だっての。鋭児のくせに気ぃ使うんじゃねって。それにこの時期っつーのは、人の怪我なんて面倒見てる余裕、みんなねぇんだよ。基本はドングリの背比べの中で、抜きつ抜かれつなんだからよ」

 そう言いながら、焔は鋭児の抱っこにご満悦のようで、首に確りと抱きつき、ニコニコとしている。

 鼬鼠戦で、鋭児は可成りの有名人となった訳だが、こうして焔を抱えている姿を、臆せず周囲に見せつけていると、さらにその注目度が上がってしまうのだ。しかも焔は機嫌がいい。

 焔を疎ましく思っている人間が多い中、活発で大胆な焔に対して、憧れている者も少なくはないのだ。ただ、そういう人間は、事件と遠い位置にある人間だった。

 鋭児は、まだ多く実感したわけではないが、この学園にいればいるほど、力の強さが、尊厳のように思っている者達が多くなるようだった。所詮狭い学生の箱庭なのだろう。彼らはまだ、自分の価値観をひっくり返されたことがないのだ。その価値観に従って、こうして順位を競っている。

 鋭児にとって、この日は、そんな価値観のぶつかり合いに出くわした一日だったのかもしれない。

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