第1章 第1部 第35話
晃平が出て行った後、鋭児は再び新しい包帯で、身体を巻かれることになる。焔はご機嫌に鼻歌を歌いながら、包帯を巻いてくれている。こうしていると、焔も世話焼きな部類である。ただ、吹雪が語っていた高校に入るまでの焔は、今のような人柄ではなかったらしいし、焔自身も自分が自棄になっていたと言っている。
今を見るととてもそうは見えない。一光の影響らしいが、口こそ悪いが、機嫌の良さそうな焔を見ていると、なかなか魅力的である。尤も、もう少し暴力的にも思える大胆さは、どうにかしてくれても良いような気がする。
「ま、何にせよ、早く怪我なおしやがれ」
と、焔は散々思わせぶりな態度を取っておいて、包帯を巻き終わった鋭児からさっと離れるのだった。そして、そのままベッドの上にゴロリと寝転がり始める。
「おい……」
これから午後の開発授業があるというのに、焔はそこで寝る気だ。
「寝る」
「マジかよ……」
鋭児は、そのままその場で体操服に着替え始める。巻かれた包帯は太ももや脹ら脛にも及んでいる。斬られてていない箇所など無いといった状態だ。それから、ジャージを穿く。腕の封術帯以外、殆ど隠れている状態だが、首元からは、包帯が見えている。
「二日もお前にエサやったんだぜ。いくら相性が良くっても、怪我を治すっていうのは、これで可成り労力がいるんだよ。お前が思ってる以上に俺は、疲労困憊なんだ!」
「解ったよ……、俺は、晃平に周りの連中も見た方がいいって言われたばかりだから、今日は見学だろうが何だろうが、参加するよ。神村の所に行くのは週末でもいって言われてるし、どうせここでやってくなら、遣れることやっておきてぇしな」
「お?鋭児らしくねぇ、前向きな発言じゃねーか」
「らしくねぇは、余計だよ。んじゃ、また後でな」
と、鋭児は素っ気ない様子で、焔に手を振って、自分の部屋から出て行く。
「また、後で……かよ、ヘタレのクセしやがって」
焔は、ぶっきらぼうで、先輩に対する口の利き方も満足にしらない、其れで居て、自分との距離を置かない鋭児を何となく心地よく思っていた。
鋭児が寮の廊下を通り、グランドに向かい外に出ると、まだグランドに向かっていない生徒達が鋭児を見て、少し今までと違う視線を向けてくる。クラスメイトではない連中だ。
クラスメイトは晃平を信用しているし、晃平と懇意の自分に対してそんな目は向けない。晃平が信用しているからと言うのが一番大きな理由で、鋭児の人柄のおかげというわけでは全くない。
距離を置いているのは、別のクラスや、上級生といった具合だ。いや、同学年ではない明らかに二年か三年といったところだ。
鼬鼠を倒した事による影響だろうか?と、そんな鋭児に、彼らが近づいてくる。
「おい、お前、黒野だろ?鼬鼠とやった……」
「そっすけど、何か……」
「日向になに唆されてか、しらねぇけどよ。あの女はやばいぜ。死んだ陽向一光にボコボコにされて、丸くなったけどよ。アイツ中学二年の時に、半数以上のクラスメイトを病院送りにしたんだからな。男女構わずだぜ」
どうやら、その言いぐさだと彼らは三年のようだ。その時の事を思い出しているかのように、焔に対する警戒心を剥き出しにしているようだ。
「そっすか……腹に据えときます。忠告有り難うございました」
無感情で無機質な例を言うと、鋭児はそのまま歩き出す。
「忠告はしたからな!」
「んじゃ、吹雪さんもアウトっすか?」
鋭児は振り返りながら、気になることだけを聞く。
「バカヤロウ。雹堂がいたから、あの殺人鬼が止まったんじゃねぇか!いいな!言ったからな!」
「了解!」
鋭児のそれは、全く無関心だった。だからといって今の焔を見ていれば、今の彼女が彼らの想像と全く違うのは理解出来る。それに、鼬鼠との決闘の時、焔の周りにも数人の三年生がいた。彼女を信頼する人たちも居る。だとしたら、問題はないだろう。あるとすれば、焔が過去を清算していないのだろうとことくらいか。いや、焔がそんないい加減な事をするとも思えない。
頭を下げても許されないことなど、いくらでもある。そう、許せないことなど、いくらでもある。謝罪などでは足りない想いもあるということだ。焔はきっとそれだけのことをしてしまったのだろう。
「しっかし、一年のグランドって遠いな、クソ……」
鋭児はぼやきながら、晃平が待っているグランドまで、やってくる。と、晃平は鋭児を見ると、なぜか赤面する。
「言うけど、期待することは何一つおこってねーからな……」
と、鋭児は先に釘を刺す。が、次の瞬間鋭児は先ほどのことを思い出す。
「……なぁ、晃平は焔さんのこと、なんか話しってるか?」
晃平からすれば、そんな鋭児の質問は唐突なものだったに違いない。
鋭児は、怪我のこともあるのだが、少しずつ柔軟体操をする。興味があるわけではないのだが、焔に自分が強くなると言われて、満更でもない気持ちなのだ。
「ん?炎皇で、美人でスタイル良くて、元気者で……。前から俺が聞かされてたイメージとは、だいぶ違うけど、俺、人の評価より、自分で見て確かめる方だからさ。お前もそう思ってるだろ?」
晃平が眼鏡の縁を持ち上げて、自分の洞察眼を誇りにしているようで、胸を張る。
そう言う態度をされると鋭児は、クスリと笑う。だが、そう言うからには、そのイメージというのがあるのだろう。
「ま、俺らの学年は兎も角、二、三年の多くには、いい評判ないみたいだな」
「そっか」
「実際、相当喧嘩っ早かったららしいし」
「クラス半壊……とか?」
「…………噂じゃね。俺らの力じゃさ、ただの喧嘩じゃ済まないってことくらいは、理解しておかないとな」
と、晃平は釘を刺すようにそう言うのだった。鋭児がグランドに辿り着くまでに、何かを知ったのは確かだろうと、晃平は思った。だが、鋭児を見れば、其れで彼が焔に対する価値観を変えている様子などないのは、一目瞭然だった。
「こう言うのは吹雪さんに聞いた方が良いんじゃないか?」
晃平は、当然ながら焔に最も近い人間に事情を聞くことが、一番正確だという、尤も単純で、意外に気を遣いそうな解答をする。
「人間に一度こびり付いたイメージって、んな簡単に取れるものでもねぇし。あの人がそんな弁解で許してもらおうとか思ってねぇだろうし、俺達が信じてやってんなら、其れで俺はいいよ」
「っへぇ~」と、晃平が少し意味深な表情で鋭児を見るのだった。二人の親密度を探る好奇の目でもあった。
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