第1章 第1部 第33話

 二人が、日がな一日睡眠に費やしていた頃、密かに吹雪のヴァージン争奪戦が行われていたことは、また別の話である。

 

 月曜日の昼休みのことである。

 「ぶはははははは!」

 食堂では焔の大爆笑の声が響いていた。まさに抱腹絶倒という豪快な笑い声で、口の中に食べ物が入っていなくて正解だったと、誰もが思った事だろう。吹雪の視線は、そのまま後ろに倒れてしまえばいいのにと、そんな風に思えた。

 「お前命がけで救った女に振られたのかよ!」

 あまりにも開け広げすぎな焔の言動は、食堂中に筒抜けである。鋭児がなぜ鼬鼠と戦うことになったのか、その経緯を噂として知る者なら、鋭児のそれはあまりに不憫である。

 実は数分前に、静音に笑顔で言われてしまったことだった。

 「もう、鋭児君の弁当は作ってあげられない……」と。

 「焔笑いすぎ!鋭児くんが可哀想!」

 「はぁ!?そもそもお前が、コイツの勝ちにヴァージン掛けたんだろう?大半の責任は、オメェじゃねーか!」

 焔はまだ笑いが収まらないらしく、息苦しそうに鋭児を指さして、涙ぐんでいる。

 その瞬間鋭児に向かって、可成り殺気を帯びた視線が集中したのは言うまでもない事実だ。美しい吹雪の肢体を手中にした破廉恥な想像は、男共の嫉妬心を買うことになる。

 「ちょ!大声で言わないでよ!!」

 と、吹雪は動揺して席を立ちながら、焔の口を塞ぎにかかる。

 「ま、あのまんま。静音さんの好意に甘えるのも気が引けてたから、つか……静音さんに気を遣わせちまったなってよ」

 そんな鋭児の昼ご飯は、カレーパンと、パック入りのコーヒー牛乳だ。しかし確かに心境は複雑で、憮然としながら、其れをボソボソと食べている。そして、そんな鋭児の前髪は実は少し赤みがかり始めていた。恐らく封術帯を外し、無理矢理大技を使った影響が其処に現れたのだろう。

 「んだよ。しけた顔して飯食うなよ。俺の『ハンバーグ定食焔スペシャル』の、ハンバーグを一つ分けてやっっからよ。な?」

 カレーパン一つとは頂けない。そんな寂しい昼食は、焔にとってはあり得ないのだ。

 普通のハンバーグ定食には、一つのハンバーグなのだが、焔のそれには三つ乗っている。いや、無理矢理三つ乗せている。

 箸もないのに、どうやって一つ取れというのか?と、鋭児は白けた視線でチラリと焔を見る。

 鋭児は、カレーパンの残りを大口に放り込んで、ムシャムシャと食べて、コーヒー牛乳片手に二人の席を立つ。

 「おい!ハンバーグ!」

 食いしん坊の焔からしてみれば、貰える物を貰わない鋭児の其れが信じられなかった。腰を上げて鋭児に手を伸ばしてみる。が、追いかけるまでには至らない。

 「もう……焔は、そうやって人をオモチャにしてばかりなんだから!」

 「んだよ。鋭児の奴……、この焔様の恵みを受け取らねぇとは……」

 焔はケチのついたハンバーグを半分に切って、パクリと口に放り込んでしまう。それにしても良く入る大きな口だ。先ほどカレーパンを平らげた鋭児の口と良い勝負だ。ちなみに吹雪のランチは、エビカツサンド定食、コーンスープ付きである。

 食堂を出た鋭児は、胸を押さえて蹲る。

 「っと、大丈夫か?」

 そこへ都合良く現れたのは晃平である。

 「ああ、鼬鼠にやられた傷が、まだチョットな」

 「そっか。でも、そろそろほかのメンバーの顔も見ないと、来週からの順位戦、苦労するぞ?」

 「順位戦?」

 「っちゃー、マジにそろそろ、年間行事表とか見ろよ。お前、この学園でやってくんだろ!?」

 と、晃平はあまりに無関心な鋭児に頭を痛めた様子だった。世話焼きの晃平らしい近い距離での発言だった。確かに晃平の言うとおり、鋭児はこの学園でやっていくしかないのだ。その割にはあまりに安穏としている。というより、無関心すぎる。望まずにこの場所に来たとしても、今生きる道がそこにしかないのなら、そこに尽力すべきだ。言葉にはしなかったが、晃平の目には在り在りと其れが現れている。

 「ああ……そうだな」

 晃平に気圧された感のある鋭児だった。

 「ちょっと、君、一年の黒野君よね?」

 と、そこに現れたのは碧色の制服を着た、百六十センチ程度の女子だ。普通の黒髪で何処にでも居そうな女子だが、ツインテールの髪型だけが、漸く特徴的なところか。

 ただ、なんだかお気に召さなそうな様子なのは、間違い無い様子だ。それに妙に偉そうな態度である。制服のバッジがⅢとなっているので、三年生なのだろう。制服の色合いからして、地属性のクラスらしい。

 「あの噂の鼬鼠君を倒したのは、大したモノだけど、彼なんだか調子が悪そうだったし、君の勝ちもなんだか気に入らないのよねぇ」

 と、鋭児の周りをウロウロとし出す。そろそろこういう輩が出始めても不思議ではない。それだけ鼬鼠に勝ったと言うことは、周囲にとって、ビッグニュースなのだ。鼬鼠は自称次期六皇だが、それでも二年W1筆頭ということは、その辺にいる三年生よりはよほど強い事を意味する。その鼬鼠を倒したという鋭児が、学園に入って間もない生徒だというのだから、話が出来すぎていると思われているのだ。

 尤も晃平の術式がなければ鼬鼠に勝てていなかったことは事実だ。

 「ああ、今コイツ、ドクターストップかかってるんで、ダメなんですよ。センパイ」

 晃平は、まるでお気に入りのインテリアを、匿うように、その三年生から、鋭児を遠ざけた。やっかいな問題に引っかかりたくないと言いたげに苦笑いをする。

 「私は、古宮千都菜!三年生。どうやったら、F4如きが、W1に勝てるのか知りたいもんだわ!」

 可成り高飛車な言動だが、そもそも上位クラスの連中にはこの手が多いのも事実だ。プライドと言えばそうなるが、下克上を許さない気質とでも言おうか、運命絶対主義とでもいうのだろうか?思い上がってしまいがちなのだろう。ただ、この言い分が晃平のスイッチを入れてしまったらしい。

 「じゃ、前哨戦で俺とどうです?コレでも、コイツの決め技俺の考案なんですよ?だよな?」

 まるで自分にやらせろと言いたそうな晃平だった。

 「あ、うん」

 それ自体には間違いはない。鋭児は気後れしながら頷く。

 実は彼女のような否定派も居れば、下克上じみたあの戦いを見て、心を熱くさせた連中も多いのだ。実は晃平もその一人だ。改めて、あの大技を見て、心がムズムズとして仕方がないのだ。勿論あの技は、一度に放出するエネルギーが尋常でないため、晃平には無理な技なのだ。出来るとすれば廉価版といったところだ。しかし、其れでは動きが派手なだけで意味がない。

 「へぇ。じゃぁ私から、黒野君には挑戦出来ないから、君との決闘の勝敗条件で、黒野君が私を指名する!いいわね?」

 「解りましたよ。センパイ」

 と、晃平は可成りの軽口を叩く。それに挑発気味だ。なぜ晃平がこんなに容易く決闘を受けたのかが不思議でならない。が、屋上に移動してから、十分ほど経過した時点で、コンクリートの床に倒れ込んでいたのは、古宮千都菜の方であった。

 「そ……そんな!F4の一年生に、決闘で負けた!?私G2よ!?」

 「ま、こんなもんですよ、センパイ」

 余裕ぶっているが、少し息が上がっている晃平である。しかし勝ち方そのものは危なげなかった。後ろでは密かに、拍手を送っている静音がいた。

 「晃平君の実力は、F2の上位かF1の下位ってところね。実際は……」

 静音が晃平を分析して、彼の評価を自分なりにつけてみるのだった。

 「黙っててくれないと、喋れなくしますよ」

 と、晃平が古宮を脅しにかかる。爽やかな勝利の笑顔を作りながら吐き出す台詞では無かった。静音の言葉が本音ならば、なぜ晃平が最下位クラスに在籍しているのかが疑問だ。

 晃平のことなのだから、何か考えることがあってのことなのだろうが、この学園でやっていくというのなら、自分の地位を高めることも一つの方法論だし、今の晃平では、尽力していることにはならないような気がする鋭児だった。

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