第1章 第1部 第31話

 「影印!!」

 鼬鼠は驚く。まさかそんな技を使ってくるとは思わなかったのだ。床の面より少し下に描かれたその印は、発動するまで気がつくことも出来ないし、見る事も出来ない。勿論それは、晃平のノートに記されていた技の一つであり、既に焔との稽古で練習も積んでいる。

 其れが出来ると言うことは、鋭児は地の力も有していることになる。尤も地に対してこれほど激しい炎を活性化させられるのは、高レベルに近い出力を持つ術者だからだ。鋭児の持つ地の技は影印を施すのみの極めて限られたものである。

 鼬鼠は、全ての力を防御に回すが、それでも間に合う様子はなく、次々と地面から打ち出される火炎弾から逃れる事が出来ず、打ちのめされつつある。逃れるために、苦し紛れに上空へと飛び上がった瞬間だった。

 鋭児は、力を振り絞り、血に塗れながら、さらに鼬鼠の上を行く跳躍を見せる。

 「んだと!!」

 まだ、そんな力が残っていたのかと、鋭児の底知れなさに、鼬鼠は驚愕を隠せずにいた。

 鋭児は空中で逆さになりながら、両腕を目一杯広げ、尚且つ両手の指を広げ、身体を回転させ、円を描き、両手で素早くその中に六芒星を描く。その姿は、まるで獲物を狙う鷹のようだった。

 「鳳輪脚ほうりんきゃくだ……不完全だけど……」

 呟いたのは、晃平だった。其れは彼自身が思い描きつつも、自分ではなし得ないと思っていた技である。不完全だった理由は、本来五本の指で同時に五つの円を描き、その中に六芒星を描くのだが、残念ながらその円は三つほどしか描かれてはいない。

 円と六芒星を描ききった鋭児は、その円の中央を蹴り飛ばすと、大きな炎の鳥が鼬鼠を襲い、そのまま闘技場に叩き着けるのだった。

 「ぐは!!」

 鼬鼠の守備力のその上を行く、とてつもない破壊力を持った技である。あまりに美しすぎる鳳凰の舞に、周囲が息を呑んだ。其れは焔も吹雪も例外ではなかった。

 鋭児が着地をすると同時に、全身に襲いかかる痛みで、倒れそうになる。

 「立て!まだ寝るな!!!」

 力の籠もった焔の一言が、鋭児を起ちあがらせる。鼬鼠は完全に気を失っている。

 鼬鼠を見下ろす鋭児は、完全に一つの覚悟を決めている。それは鼬鼠が口にした言葉を、そのまま彼に返すことである。力を振り絞り、鼬鼠の顔面に拳をぶつけようとしたその瞬間だった。

 「はい、おしまい♪」

 と、鋭児の拳を誰がが、振り上げた足の裏で止めてしまう。

 それは、ズボンのポケットに両手を突っ込んだままの風雅だった。

 「風雅…………」

 誰も鼬鼠の絶命など望んではいないのだが、それにしても六皇が下級生の決闘に割り込むとことなどあり得ない。焔ですら、軽薄そうな風雅の意外な行動に驚きの表情を隠せなかった。落ち着けていた腰が少し浮いているし、数人の三年生は、焔のバックアップに回れるように、少し腰を落とし、いつでも動けるようにしている。

 「焔チャンも、鋭児クンが殺されそうなら、こうするだろ?」

 と、サングラスで表情が解りづらい風雅が不敵に笑う。元々文句を言うつもりもないのだが、風雅のその一言で、焔も完全に、口を開くタイミングを逸してしまった。

 そして、そんな風雅の脚は、今の鋭児ではびくとも動かない。灯していた炎の力も消えてしまう。消えてしまったのは、風雅に戦意を感じないからだが、それにしても静かで安定した力だ。荒削りな焔に比べ、完成度の高さが伺える。

 風雅が鼬鼠を庇ったという、それだけのことなので、鋭児はそれ自身には、なんの不満も感じなかった。誰かが誰かのために動くということは、今彼自身が此処に立っている理由と、なんら変わりない。

 風雅は、鋭児の戦意が逸れると、鋭児を押さえていた脚で、鼬鼠の制服を蹴り破くのだった。見えていたのは、ほんの一部なのだが、そんな鼬鼠の腹部には、黒い六芒星がくっきりと刻まれている。

 「ま、鼬鼠ちゃん本調子じゃなかったみたいだし、許してやってよ」

 風雅はヘラヘラとしているが、その奥には途轍もない言霊を感じた。返事の方向性はどう考えても一つしか思い浮かばない。それほどの相手なのだと、鋭児は直感する。

 そして鋭児は絶句する。これほど命辛々だったというのに、鼬鼠は本調子ではなかったというのだ。だが、すぐにその刻印の出所が解る。それは晃平が仕掛けた一撃の結果だ。晃平がなぜあの時、負けたというのに、したり顔をしたのか、漸くその意味が理解出来た。このチャンスは間違い無く、晃平が作ったのだ。鋭児は実力で鼬鼠に勝ったわけではない。もとより序盤の呪符は、静音に教わり、この数日で仕込んだものなのだ。何から何まで周囲のおかげである。思い上がることも、勝利の余韻に浸ることも出来ず、まるで実感のわかないことだった。

 だとしたら、鼬鼠はなぜ、其れが癒えるまで待たなかったのか?また、癒えないものなのか?時間を掛けることは出来たはずだ。なにも今日でなくとも良かったはずなのだ。

 だが、あまり思考に時間を費やしている訳にもいかないようだ、緊張が取れると膝が崩れ、体中の力が入らなくなってくる。倒れて意識が失われる前に、鋭児は決着をつけておかなければならない。

 「オレの勝ちでいいだろ?」

 鋭児は、気を失ってしまう前に、その一言をはき出す。

 「ああ、良いよ。オレが鼬鼠ちゃん助けちゃったからね。鋭児クンの勝ち♪」

 風雅は、鼬鼠の制服の左胸ポケットから、空色の青いカードを取り出し、鋭児に向けるが、鋭児は手が震えて、ズボンのポケットに手を入れることすらままならない。

 「右のポケットにカードが入ってるのか?」

 と、いつの間にか鋭児の後ろにいた晃平が、血でベッタリと濡れた鋭児のズボンの右ポケットに、ゆっくりと手を入れて、カードを取り出す。

 「オレが代役でも構いませんよね?」

 晃平は風雅という存在を目の前にして、ニコニコと作った笑みを浮かべながら、全く動じる様子もない。焔と吹雪との出会いの時に比べて、晃平の様子が全く様子が違う気がする鋭児だった。

 「んじゃ、代役同士で♪」

 軽いノリで、風雅が晃平とカードを向け合う。特に何か反応が起こるわけではないが、晃平は血糊がベッタリとついたカードを鋭児の額に当てる。

 「お前の記念すべき一勝だな」

 さも誇らしげな晃平は鋭児に向かってそう言うのだった。彼の言動は、自身のことのように実感をさせるほど、重くて其れでいて清々しかった。それが晃平という奴なのだろう。なるほど、クラスメイトが晃平の一言で、静まりかえるのも納得が行く。恐らくそうやって晃平に助けられたクラスメイトは一人や二人ではないのだろう。

 「よっと……」

 風雅は、気を失ったままの自分より身長の高い鼬鼠を軽く肩に担いで、意味有気だが、あまり悪意なく二カッと笑って、背中を向け闘技場を降りる。

 「コレでも、オレの跡継ぎなんだ。これからもよろしくな!」

 手を振りながら、コンクリート製のフェンスをひょいと跳び越えて、観客席の通路を歩いて行くのだった。

 その頃になって漸く、吹雪と静音が闘技場にやってくる。

 「鋭児クン!ひどい……早く神村先生の所に……」

 吹雪は真っ白な制服が鋭児の血で汚れることを気にするする事もなく、彼に肩を貸そうとする。勿論それには晃平も加わる。

 だが、そんな中、焔だけが背中を向けて、王座から去ってゆくのだった。

 「焔…………さん」

 鋭児は、その瞬間意識をブラックアウトさせる。酷い失血のため、気を失ってしまったのだ。

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