第1章 第1部 第30話

 鋭児は起ちあがると同時に、前方へフラリと倒れ込むような姿勢を取る。と、同時に一瞬で鼬鼠の前に詰め寄る。まさか、そんな力が残っていようとは思っていなかった。そう思っていたのは鼬鼠だけではない。

 焦った鼬鼠は、何の策もなく、反射的に鋭児をただ殴り倒す。

 「テメェ!」

 鼬鼠はそれ以上のことが出来ない、何故なら振り回した鋭児の拳から飛び散った血が鼬鼠の目に入ったからだ。鼬鼠は視界を奪われる。一方鋭児は殴られた衝撃で、受け身も取れず無様に転がり、再び仰向けになり、大きく息を荒げている。しかし、倒れている鋭児は指先で、小さいが、素早く六芒星を描き、其れを円で囲むと同時に、火炎弾を作り上げ、力を振り絞って、鼬鼠に投げつける。

 「ぐあ!」

 火炎弾の直撃を受けた鼬鼠の頭が燃えさかる。が、鼬鼠も直ぐにそれを、風の力で、吹き飛ばす。

 鋭児もボロボロだが、鼬鼠の動きも止まった。周囲がそろそろそれに気がつき始めた。殆どの者がスタミナ切れを感じただろうが、それにしても鼬鼠ほどの男が、一年の試合で簡単にスタミナを切らせるとは、考えづらい。

 だが、そうにしか見えない。尤も鋭児ほどボロボロでもなく、体力的に余裕はあるだろう。

 逆に鋭児は、身体がボロボロだというのに、技を使う力がある。あとは動けるか動けないかの問題だ。

 「ぶっ殺してやる!」

 鼬鼠が走り寄ると同時に手刀で鋭児額を貫こうとするが、鋭児はそれをどうにか両手で受け止め、阻止する。

 力を込めている鋭児だったが、切り刻まれた鋭児の筋肉では、長時間それに耐える事も出来ず、加えて多量の出血のため、持続力を失い、力が入りづらくなる。

 鼬鼠が至近距離で技を仕掛ける前に、鋭児は鼬鼠の手首を取り、捻って床に叩き伏せる。要は合気道の要領である。偉く小技の利く男だと誰もが思うが、単なる肉弾戦だけを言うなら、鋭児は喧嘩慣れしている。其れは鋭児が持つ経験というアドバンテージが、生み出した結果なのだ。

 こんな状況でまだ粘れるのかと、周囲は誰もが思った。鋭児はいつ失血で、気を失ってしまってもおかしくはないだろうと、焔も思っている。

 鋭児に投げられた鼬鼠だが、鋭児自身が血で手を滑らせたため、投げられると同時に自由になる。距離を詰めるのがあまり得策でないと思った鼬鼠は、再び空気弾で、鋭児を弾き飛ばす。どうやら、今の彼には其れが精一杯のようだ。

 「ち……」

 鼬鼠は、鋭児に背を向け、焔の方を向く。

 「早くしねーと、コイツマジで死ぬぞ!」

 いい加減キリがない。泥仕合に音を上げ始めたのは鼬鼠の方だった。焔はその一言で、思わず腰を上げたのだ。

 「だから、来るなっていってんだろ!」

 鋭児の声が飛ぶ。

 まだ立つのか。もう全ての空気がその一言で包まれてしまう。

 「この!」

 鼬鼠が再び鋭児を吹き飛ばそうとした瞬間だった。

 「鋭児君!!私の処女でもなんでもあげるから、負けちゃダメ!!」

 思わず、そんな飛んでもない声援を飛ばしたのは吹雪だった。彼女は彼女なりに、彼をこの場に引き連れた責任というものを感じていた。連れてきた以上、彼の勝ちを信じるしかない。しかし、飛んでもないことを大声で口走った吹雪は、別の次元で注目の的になる。

 「え……」

 意識がふらついていた鋭児ですら、思わず吹雪の方を見てしまう。明らかによそ見だ。鼬鼠も半分気を散らしてしまう。まるですっぽ抜けの球を投げるように、蹌踉けてしまうが、其れが鋭児の側頭部に直撃するのだった。


 「あ……」


 と、晃平を含む観客が、思わぬ落ちに、絶句してしまう。

 「て!テメェ吹雪!どっちの見方だこらぁ!」

 「うるっさいわね!悔しかったら、焔もなんか言えばいいじゃない!!」

 「はぁぁ!?お前いまコイツ、完全に直撃だったぞ!」

 焔は、諄いほど鋭児を指さして、それに対する責任を吹雪に求める。

 「吹雪ちゃんのヴァージンだってえぇえ!?」

 それに一番のダメージを受けたのは風雅らしい。完全に場外が乱闘し始めている。

 「うるっっせぇ!」

 二人の声がハモる。鋭児と鼬鼠だ。再度鋭児は起ちあがる。何処まで粘り強いのか?もう、寝ておけばいいのにと思っているのは、もはや焔だけではない。

 「へへへ……包帯……取れた……」

 鋭児が起ちあがりながら、自分の両腕からずり落ちる包帯を、鼬鼠に見せる。

 「取った訳じゃねぇ、取れたんだから、仕方がねぇよな……」

 封術帯が取れる。それは、鋭児が攻撃において、完全なポテンシャルを発揮出来ることを意味する。勿論神村の許可が得られていない不完全な状態であるため、その反動は必ず何らかの形で、彼に返ってくるだろうが、鋭児は自分が悪いのではないと、言い訳したいようだ。

 「何いってんだ。取るつもりだったくせに……」

 と、晃平が呆れた溜息をついた。

 焔は、腰を落ち着けて座った。

 「解ったよ。きっちり勝てよな……」

 「はじめからそう言ってくれればいんだよ」

 焔も鋭児も割り切った表情になる。お互いの心が妙に落ち着いた瞬間でもあった。

 「ふらふらのくせしやがって……」

 イタチは途方もない鋭児のスタミナに、少し気圧されている。

 「はは……言ってろ。あと、アンタの見て、オレもちょっと真似したんだよ。でも、発動には包帯が邪魔だった……」

 鋭児はブツブツといいながら、ゆっくりと地面に手をついた。それから一気に床へと気を送り込む。それは、衝撃波を伴う凄まじい力だ。すると、床には次々とオレンジ色に輝く五芒星が浮かび上がる。

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