第1章 第1部 第29話

 動けば動くほど鋭児は、息をあげることになるが、その分身体に循環し始めた龍脈が、彼をを活性化させる。状況がはっきりした方が鼬鼠には戦いやすいのだ。それにスタミナ配分もあるというものだ。全て彼らの行動が演技だと仮定した場合、最大級の隠し球を持っている可能性がある。脚で描いた不発の蹴刻も、その布石と考えられる。

 「取り越し苦労ってあるもんだと思うよ」

 風雅がぺらぺらと喋る。

 「しゃべんな!助力と見なされて、オレの負けになるだろうが!」

 「はいはいっと……」

 風雅はそれほど鼬鼠の勝ち負けには関心がないような様子に見える。しかし、風雅の言うことも一理ある。何も全力で、鋭児を攻撃する必要はない。

 攻撃に半分の力を使い、残りの半分を守備で維持すればいい。

 鼬鼠は再び一気に間を詰める。起爆符が間に合わない。鋭児は躱すのが精一杯だが、既にトップスピードに乗っている鼬鼠から逃れる事は出来ない。

 まるで追尾ミサイルのように角度を急変させ、鋭児に向かい回し蹴りを仕掛ける。鋭児はすかさず起爆符を一枚放り投げ、鼬鼠の蹴りを受ける直前で其れを阻止する。防御に力を回している鼬鼠には、殆どダメージは見受けられないが、鋭児は爆風で吹き飛ばされる。

 その間に鼬鼠は、両手で眼前の空気を軽くかき回し、そこに印を浮かべる。風の使い手はその単純な動作一つで、六芒星を描く事が出来るのだ、

 鼬鼠はその六芒星に向かい蹴りを放つと、無数の鎌鼬が鋭児に向かい飛んでくる。鋭児は、ポケットの中から掴めるだけの起爆符を掴み、目の前に散らす。

 再び爆風で吹き飛ばされる鋭児だが、切り刻まれるよりはマシなのだ。

 「ハァハァ……」

 ダメージを受けた鋭児の呼吸が乱れる。だが、上がり初めた心拍数が徐々に気の流れを正常化していってくれる。包帯の巻かれている手の中にジンワリと熱が集まり始めている事に気がつく。

 それから、ゆっくりと学ランのボタンを外し始める。鼬鼠から見れば身体が温まったように見えたのだろう、そんな鼬鼠は、腰を落とし、左足を引き、両手の平を鋭児に向け構えを見せる。かかってこいと言わんばかりである。

 鋭児はそのリクエストに応えるかのように、床を一蹴りにして、周囲が考えていた以上の速度で鼬鼠に詰め寄ったのだ。早い拳の攻撃だが、鼬鼠は其れを難なく裁き、少しずつ後ろに下がり、鋭児の動きを見極めようとする。

 そこにはヘラヘラしていたり、風雅に気を散らされているような、苛立った表情はない。鋭児が動き慣れているのはこの時に気がつく。鼬鼠が少しずつ下がったり横に動いたりしているのだが、鋭児は迷うことなく着いてくる。目もよく見えている。しかし、鼬鼠はただ、両手で鋭児の攻撃を受けているだけではない。

 その間に十分な力を得るための気を少しずつ溜め込んでいる。

 不意に鋭児を賺すようにして後ろに大きく下がると同時に、右足で高速の後ろ回し蹴りを鋭児に見舞う。この蹴りに対しては、右腕でガッチリとガードを決める。すると鼬鼠は直ぐに後ろに下がり、今度は自ら一気に間合いを詰めて、鋭児の懐に飛び込み、その両腕をこじ開け、掌に書いた空刻を素早く鋭児に押しつける。

 可成りの震動が鋭児に伝わるが、それでも彼の身が切られる事はなかった。それは辛うじて攻守の切り替えが間に合っていたからだが、一度流れに乗った鼬鼠の動きはそう簡単に止められない、距離が開くと同時に、今度は左足で、宙を蹴り上げ、圧縮された空気弾を鋭児にぶつけてくるのだ。攻守の切り替えとは、気の流れをどちらに重点を置くかということだ。

 鋭児が空気弾を受けている間に、鼬鼠は両手で宙に円を描き、その中に六芒星を描く。

 「くそったれ!」

 鋭児は、制服の上着を脱ぎ、前方に投げる。

 鼬鼠の結んだ印が光ると同時に、鋭児の投げた制服が、爆発を起こす。破裂した瞬間に巻き起こった煙が鋭児側に流れていることから、その威力の対比は、間違い無く鼬鼠の放った法術の方が上だと解る。

 しかし、爆風と煙で一瞬視界が遮られたと同時に、鋭児は既に鼬鼠の左側に現れていた。これは炎の使い手ならではの、瞬発力である。

 予想以上のスピードに対して鼬鼠の表情も強ばる。避けることが出来ないと思った瞬間には、既に顎を殴られている。辛うじて身体を傾け、ダメージを半減させたが、平衡感覚が狂った様子で、膝を崩しかける。しかし直ぐに床に手をつくと同時に、風の力で風圧の壁を作り、鋭児の拳を阻む。今の鼬鼠は全ての力を防御に費やした状態である。

 流石にそうなると、今の鋭児では、直接その壁を打ち破るすべはない。だが、鉄壁の防御が鼬鼠にとって、絶対に有利とも言えないのだ、鉄壁の防御であるが故に、動的でなくなり身動きが取れない。

 鋭児は少し距離を置き、炎の力でゆっくりと丁寧に爪先で円を二つほど重ねて描く。それから六芒星を描くのだ。鼬鼠は鋭児の組成をまだ知らない。炎だけの刻印ならそれほどゆっくりと丁寧に印を描き止めることは難しい。

 炎をそこに止めておけるということは、風の力で炎を焚きつけていることを意味する。

 「ち!クソガキが!!」

 鼬鼠は直ぐに防御を解いて、鋭児に向かい猛進してくる、凄まじいスピードだ。鋭児は作業を完結させるために、素早く、二重の円の内側に三点を結ぶと同時に爪先で蹴り上げ、浮かび上がった炎の龍を、右手に掴み、突進してきた鼬鼠にぶつける。鼬鼠もまた同じように、右手に力を蓄えた状態で、鋭児とぶつかり合うのだった。

 丁寧に描く事は、技を発動させることの基本である。正確であればあるほど、その力はより具現化させやすいし、力強いものになるのだ。

 力としては、鼬鼠の方が上なのだろうが、十分に蓄えた鋭児の力は、急速に練り上げた鼬鼠の力とほぼ互角のものとなる。

 ぶつかり合って、鋭児が持ちこたえているのは、技以上に肉体的なポテンシャルの違いであり、元々炎使いは、大地使いの次に、強靱な肉体を持っている。

 しかし、右手一本に集中している鋭児と違い、鼬鼠は左手にも力を分散させ、起用に使い分けてくる。鋭い爪で、鋭児の顔を抉りにかかるのだった。

 辛うじて、鼬鼠から離れ、其れを躱すことが出来るのだが、鋭児の右頬には、可成り鋭い切り傷ができ、そこから血が滲み出て、頬を伝う。

 「なんか、鼬鼠ちゃん手こずってる?技にキレが無いんじゃない?」

 「うるっせぇよ!今殺してやるからよ!」

 一々チャチャを入れてくる風雅に対して、鼬鼠は背中を向けたまま、天井を指さした。鼬鼠が何を指さしているのかは解らなかったが、誰もが天井を眺める。そこには無数の印が浮いているのだった。浮いている印そのものは、三点空刻の単純な印だが、数が尋常ではない。

 鼬鼠は鋭児とのやりとりをしている間に、其れを着々と進めていたのだ。そして、すっと鋭児に向かい指を上空から撫で下ろすと、それらは無数の刃となり、全て鋭児に襲いかかるのだった。

 鋭児は必死で、両腕を頭の上で交差させ、降り注ぐ風の刃から自分の身を守るが、何せ数量が尋常でなく、しかもほぼ一瞬の事だった。着衣はあっという間にボロボロになり、体中が切り傷だらけになり、じわりと白いカッターシャツが、血で染まり始める。赤いズボンがより赤黒く染まり始め、血の滴が床に落ち始める。

 「鋭児!!」

 もうだめだと、焔が堪えきれずに起ち上がろうとする。

 「来るな!!」

 鋭児は立っている。今にも膝を崩してしまいそうなほど、膝が震えているのは、誰の目に見ても明らかだった。それでも王座から腰を浮かし、前に飛び出しそうになった焔を静止する。

 それから、ゆっくりと膝をつく。

 「良く輪切りにならなかったな」

 鼬鼠は意外にも驚いている。勿論言葉通りの意味なのだが、今の一撃で、完全に鋭児の息の根を止めたと思っていたのだ。

 「女一人のために、鼬鼠ちゃんそこまでする?」

 後ろで、抱腹絶倒なのは、風雅だった。しかし、鼬鼠はそんな風雅に構う様子はなかった。

 「もういい!お前の負けだ!認めろ!」

 焔は前に出かかっているが、必死で其れを堪えている。鋭児の意識がある限り、自分が水を差すという選択肢を選びたくなかったからだ。

 「認めねぇ!」

 「認めろ馬鹿!」

 「黙って見てろ!」

 焔の静止を全く聞かない。こうなると後悔をしそうなのは吹雪だった。なぜ焔が鋭児を止めたがっていたのかを、思い知らされる事になる。

 「これじゃぁ彼の二の舞だわ……」

 「一光さんのことですか?」

 と、吹雪と同じ水使いの男子生徒が吹雪にその確認をすると、彼女はコクリと頷く。

 「焔には鋭児君と一光さんがダブって見えてるのよ。尤も鼬鼠君なんか、全然比にならない相手だけど……」

 吹雪にはその懸念はあった。ただ、其れが焔一人の思いだけで空回りしているように思えたのだ。だから鋭児を補助したのだが、今鋭児は頑として、降参を拒否している。

 鋭児は、吹雪の僅かな期待に応えるようにして、ゆっくりと起ちあがる。

 だが、鼬鼠は其れを待っているほど甘い男ではない。距離を開けたまま、右手に風圧を溜め、鋭児に空気弾をぶつける。

 鋭児は、何の策を練る事も出来ずに、簡単に弾き飛ばされ、仰向けに倒れる。

 思いの外呆気なかった。ほぼ周囲がそんな空気に包まれた時だった。

 だがそれでも鋭児はゆっくりと、上半身を起こし、起き上がろうとする。しかしその動作はあまりに緩慢だ。それに、頭の先から爪先まで、滴る血に塗れている。この決闘に止めるべき公的な審判はいない。止めるためには誰かが鋭児の覚悟を汚さなくはならないのだ。

 「鋭児君、もう立たなくていいから!!」

 静音が大声で叫ぶ。

 静音の声を受けるように、我慢仕切れず、再び焔が腰を浮かせる。

 「ゼッテェ動くなよ!!」

 鋭児は再度そんな焔に釘を刺し、ヨロヨロと起ちあがり始める。

 「おいおいおいおい……テメェはゾンビか。大人しく止め刺されるのを待てよ」

 この粘り強さは、鼬鼠にとって嫌な予感しかしなかった。小技を仕掛けてる場合ではないような気がしたのだ。それに、先ほどのように上空に技を仕掛ける時間もないし、何よりある理由で今の鼬鼠にはそこまでの余裕はないのだ。彼は彼なりに用意周到に物事を進めていたのである。

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