第1章 第1部 第28話
鋭児の顔色は完全に血の気が引いて、真っ白になっていた。
「いい鋭児君、血流と龍脈が流れるまで、上手く逃げてね」
龍脈とは、気の流れを表す彼ら専門用語の一つだ。
「解ってるっすよ」
二人はひそひそ話をしながら、観客席の中を通り抜け、焔の側にまでやってくる。吹雪も鋭児も何も言わないが、焔の表情が驚いたまま硬直しているのは、誰が見ても解ることだった。先ほどまで平静を保っていた焔とのギャップがあまりにも激しすぎて、周囲のクラスメイトも、彼女にどう声をかけて良いのか解らないのだった。
「吹雪……テメェ……」
焔は驚きを隠せないまま、声は吹雪の裏切りに震えていた。
「話は後。炎皇と風皇が、席に着いている以上、私も皇位を示さなきゃならないから」
吹雪は鋭児と、観客席の塀を乗り越え、彼をそこに置くと、焔と正反対の席に向かい、氷皇の席へと着く。焔のようにドッシリでもなく、風雅のように怠惰でもなく、静かに慎ましやかに品良くそこに座する吹雪が居た。
「あーいいなぁ。あの一年羨ましいーな、オレがアイツ潰してぇ!あ、でもそれなら、吹雪ちゃんに嫌われちゃうなぁ!」
「ウルセェよ!これからばっちり、オレ様が処刑してやるよ……」
鼬鼠は風雅に背を向けて、ひょいと、一メートルほどの高さにある闘技場へと登るのだった。それに対して鋭児は、身体を重たそうにして漸く闘技場に登る。
「どうやって、目さましやがったんだ……」
焔は心の中でそう呟いた。それは彼女が思っている以上に早い鋭児の目覚めだったのだ。ともあれ、吹雪が何かを知っているようだ。
「鋭児!」
「ウルセェよ!焔さんは、そこでだまって全部見てろ!!!」
「このバカヤロウ!テメェ、テメェ龍脈止まってんだろ!」
「焔の馬鹿!」
吹雪は、なぜ其れをいま言うのかと、焔の失言に対して、密かに怒る。
「全部見てろっていってんだ……バカヤロウ……」
鋭児はふらつきながら、ただじっと鼬鼠を見据えている。
「なんか、ピンと来たぜ。ま、そっちの痴情は知ったこっちゃねぇが、三〇分くれてやる」
鼬鼠も少々苛立ったようだ。一件卑怯な行動を繰り返してきた鼬鼠だが、どう見ても不調を来している一年を潰したところで、喩えそれが、鋭児側から仕掛けてきた決闘だとしても、決して名誉が得られるわけではない。つまらない勝ち星を増やすだけだし、そんな鋭児を倒しても、静音を服従させることなどできない。
「いらねぇ……アンタも待ちくたびれただろうがよ」
鋭児は、自分のカードを出す。
「なるほど……、気持ちだけは一人前ってわけか!!」
鼬鼠もカードを出す。改めて決闘の開始だ。お互いポケットにカードをしまうのだが、鋭児は上着ではなく、ズボンのポケットにそれを収めた。
と同時に、鼬鼠が猛スピードで鋭児に詰め寄るが、これに対して鋭児は、蹌踉けながらも、上手く退きながら見切る。
焔の言った、風と炎の速さの違いがわかる。風は動き出しが理解出来る速さなのだ。その代わり一度動き出すと、永続的に速い。勿論鼬鼠も本気という訳ではなさそうだ。
鋭児は転げ回りながら鼬鼠の手刀から逃れ続ける。そして、転げ回りながらも鋭児は制服のポケットから数枚の札を取り出し、それを眼前に迫った鼬鼠に対してぶつける。
と、其れは爆発を起こし、鼬鼠の視界を眩まし、少々のダメージを与える。ただ鼬鼠も反応が早く、その意外性のある攻撃から、最小限のダメージで逃れる。眼前で爆発した札は、鼬鼠の感覚を妨害するには十分な効果を持っているようだ。動きが鈍り、動きの永続性が断たれる結果となる。
「てんめぇ、呪符なんて小賢しい技使いやがって……」
と、鼬鼠は静音の方を睨む。鋭児のその機転に対して、ガッツポーズをしたのは、晃平だった。炎だからこそ使える起爆符だと言える。
鋭児はその間に、小さく六芒蹴刻刻むが、燻った煙だけが上がった程度で、何も発動させることが出来ない。まだそこまで調子が戻っていないようだ。
「馬鹿鋭児!なんで、ノコノコ出てきやがったんだよ!」
と、悔いているのは焔だった。これでは、ミスミス鋭児を殺すために、自分がお膳立てをしてしまった形になるのだ。
鼬鼠は下方から何度も手を振り上げ、鋭児に対して風の刃を飛ばす。鋭児が其れを見切れるのは、風刃の速さが解っているからではなく、鼬鼠の腕の動きからだった。それに鋭児も距離を詰めていない。その距離は鋭児の間合いではないが、躱すに都合が良い。今はまだ攻撃を受けるほど気が戻っていない。
「どうしたどうした?逃げ回ってるだけか?」
鼬鼠も易々と、鋭児を近づけなかった。単純であるとはいえ起爆符を至近距離で爆発させられると、その間に隙を生むことになる。至近距離では炎使いの方が断然有利になる。それに鋭児の協力者を見ると、ほかに奇策を有していると思わずにはいられない。
「鼬鼠ちゃん偉く警戒してるねぇ」
風雅がチャチャを入れてくる。
「封術帯巻いてるんだぜ。アイツの気が戻ってねぇってのも、ウソクセェ」
「なるほどねぇ、慎重な鼬鼠ちゃんらしいわ」
全ての策が、鋭児が至近距離での一撃を待ってためのものだとしたらと、想定したのだ。
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