第1章 第1部 第25話

 鋭児には理解出来ていなかったが二年W1筆頭ということは、三年生の大半よりは強いという事を意味していた。それだけ1クラスを名乗る連中は、一年であれ二年であれ、実力者揃いということなのである。後は経験の差と言うべきだろう。

 「それ……何年かかることっすか?」

 「そりゃ、オメェ次第だよ。一ヶ月先か三年先か……」

 「俺次第……か。明日っつー可能性もあるわけか」

 「…………否定はしねぇ」

 それもまた焔の正直な気持ちだったのだろう。彼女は決して鋭児の負け前提で話をしていたのではなく、その確率の方が高いだろうという、想定の下で話していたのだ。

 「星見るのも飽きてきた……」

 焔がぼそりと呟く。星など全く見ていなかっただろうにと、鋭児は思ったが口にはしなかった。ただ、焔が足を止めると彼の足も自然に止まるのだ。不思議なものだった。鋭児を捕まえる焔の腕は、何時の間にか力を緩めていたというのに……。

 「んじゃ、帰ろうぜ。話も終わったみてぇだし」

 鋭児もあえてその腕を振りほどかなかった。其れは焔の気持ちも無駄にしないという、彼の気持ちの表れだった。

 二人は鋭児の部屋にまで戻る。

 「あ……」

 「お?」

 鋭児と焔は部屋の玄関を開け、コンパクトなキッチンを通り抜け、殺風景な鋭児の部屋に入ると、そこには吹雪がベッドの上で正座をしていた。ツンとしたままの横顔で、目を閉じており、なんだか不機嫌そうである。

 「んだよ。帰宅の遅い飲んだくれ亭主にさんざ待たされた新妻みたいな顔してよ」

 明らかに何かを言いたい吹雪の横顔を、そんな風に比喩する焔だった。

 「なんすか、その長い喩え……」

 鋭児はツッコミを入れたものの、確かに部屋で待ち構えていた吹雪には、そんな表現がぴったりだった。

 「ふん……だ。私の寮は、とっっっても遠いんですからね!」

 どうやら、散歩に置いてきぼりになった事に対して、ヤキモチを妬いているようだ。恐らく彼女も似たようなことを考えて居たに違いない。同じ事を考えて居たのに、条件的に不利な部分がハンディキャップに感じたのだろう。焔にアドバンテージがありすぎると言いたいのだ。

 「電話しろっての」

 「焔も鋭児君も出ないし……」

 と、吹雪はベッドの上に置き去りにされていた鋭児の携帯電話を、二人に見せつける。

 「いっけねぇ……オレも携帯部屋だわ」

 と、焔も鋭児と同じように携帯電話を部屋に忘れていたようだ。それでは吹雪が連絡を取れるわけがない。

 「すんません。なんか、吹雪さんにまで、心配かけちまってるみたいで……」

 鋭児はそんな言葉遣いだったが、吹雪に対して素直に頭を下げるのだった。自分の時は反抗的だったと認識した焔は、少々むっとした表情をする。

 「んじゃ、新妻がヤキモチやいてっから、オレは部屋戻るわー」

 「ヤキモチじゃないもん!」

 さばさばした焔に対して、吹雪がムキになり起ちあがる。

 果たして吹雪はこんな性格だっただろうか?と、鋭児は思う。どちらかというと、お姉さん気質の女性だと思っていたが、怒ったところはある意味焔より子供っぽい。

 「ちょっと、オレのことで喧嘩なんか止めてくださいよ!」

 「自惚れんな!」「自惚れないで!」

 と、二人から同時に喝を食らう鋭児だった。流石にこれに対しては、首を竦めてしまう鋭児だった。しかし怒られても仕方がないし、確かに自意識過剰な発言だと言われてしまえば、どうしようも無い。この二人にはどうも頭が上がらない。

 「帰る。鋭児君元気そうだし、緊張してなさそうだし、部屋も遠いし」

 吹雪が、少し拗ねた様子で、ツンツンとしながら鋭児の部屋の窓から出て行く。そこはすっかり彼女の出入り口のようだ。

 「んだよ。素直じゃねーな」

 と、焔は吹雪の態度がわかりかねた様子で、こちらも少々ブツブツと言いつつ、軽くご機嫌斜め気味である。

 「呑みますか?」

 いつもの鋭児なら、恐らくそうは言わなかっただろうが、二人とも自分を心配しているのは、間違いのない事実だし、そのために喧嘩をしてしまったのならば、やはり何らかの形で、謝辞を示したかった。

 冷蔵庫から出されたビールに対して、焔は閉口するが、明らかに横目で其れを拒否できずに、チラチラと見つめていた。

 鋭児はプルタブを引いて、焔に渡す。

 「軽くだぞ、かるーくだ!オレだって、バトる時は、ノマねーんだからな!」

 といってはいるが、誘惑には勝てない様子である。鋭児に渡されたビールに口をつけて、軽く喉を潤し、満足げな表情をする。

 「解ってるっすよ。焔さん、ここ数日酒なんて呑んでねーし」

 鋭児がベッドに腰を掛けると、焔も腰を落ち着ける。そして、暫く無言のまま、少しずつビールを味わう二人がいた。今日はこの一本だけだと思うからこそ、その一口ずつをゆっくりと味わいたかった。

 「鋭児、額かせよ」

 と焔が言うと、鋭児は目をぱちくりとさせる。額を貸せというのだから、だいたい自分の傷のことなのだろうと、鋭児は思うのだ。吹雪が不意に触れようとしたときに、鋭児が敏感に拒否したことを受けてのことだろう。

 鋭児は特になにも返事をしなかったが、焔の手に引き寄せられ、彼女の顔に自分の額を近づけると、焔は両足の間にビールを挟み、左手で鋭児の髪をかき上げ、彼の額の傷にキスをする。近づいてきたときの、ふっくらとした、焔の唇は何とも魅力的だった。

 「ヒデェ傷だ」

 その傷について焔は何も知らないはずなのに、其処に付いた傷跡の全てを汲み取るように、優しいキスをする

 「まぁ……ね」

 「この傷以上に、お前が傷ついたら、オレが全部受け止めてやるからよ。だから命だけは落とすな。いいな」

 焔はそう言って鋭児の額にもう一度キスをする。

 焔は酷くその事に拘る。彼女にとって自分が命を賭けると言うことは、それほどの問題なのだろうかと、鋭児は思った。勿論、後味のいいものとは言えないだろうが、我を通す自分を馬鹿だと言えばいいだけの事だと思った。焔がバトルが好きなのだというのなら、譲りたくない一線に対して、黙って見送るくらいは、してくれても良さそうなものだ。それとも静音のことをよほど心配しているのだろうか?それとも吹雪のことを気に掛けているのだろうか?それとももっと別の意味が込められているのだろうか。

 それに焔の行為には、慈愛的なものを感じる。彼女の持つ情がそれだけ深いものだと言えるのかもしれない。それにしても深すぎる。鋭児はそれに気を取られてしまいそうだ。焔の唇がずっと傷の上に乗っており、ほんのりと、柔らかくて暖かい。どうやら、鋭児が自分の納得の行く返事をするまで、そうして攻めるつもりらしい。

 「ちけぇよ……」

 抵抗することは出来なかったが、鋭児は焔に向かってそう呟いた。確かに飼い猫のごとく大人しくなってしまう自分がいる事に気がつく。この次に連想されるストーリーを考えると、可成り心拍数が上がってくることも確かだ。

 「バカヤロウ……、テメェみたいなのが、一番赤点くせーんだよ」

 焔は変な所で点数評価したがる。

 「解ったよ。後で赤点なんて、連発されたら、たまんねーよ」

 結局そういう解答しか出来ない鋭児だった。だが腹積もりと言動は裏腹だ。心の中では焔の愛情に裏切る可能性に、謝っている。

 「よし、じゃぁ今日は解散だな……」

 焔は両足の間に挟んでいたビールをグイッと飲み干し、立ち上がり、近くにあるゴミ箱にスナップだけで、投げ捨てた。

 「ああ、お休み」

 鋭児はあえて焔を送らなかった。ただ、焔が出て行き、部屋の扉が閉まる音を聞くと、自分のビールも飲み干し、ぎゅっと力を込めて缶を握りつぶし、焔と同じゴミ箱に、空き缶を捨てる。二つの缶がぶつかり、軽く乾いた鈍い金属音がするのだった。

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