第1章 第1部 第26話


 翌日鋭児は、授業をサボる。妙にざわついた空気が、クラス中に広がっていると思ったからだ。それ自体がプレッシャーになるわけではなかったが、そもそもそれをお祭りのように思われたり、勝手な推測の元で、軽率な応援や励ましなどが面倒だった。

 尤も、本当に鋭児の勝手な想像に過ぎないが、晃平が話しかけてくると、恐らくそれに便乗した数人が、間違い無く声を掛けてくるだろう。自分がそれに対して、どう対応して良いのか、鋭児には見当がつかなかったこともある。再三にわたって、有り難うと言い続けるのも面倒だ。その遣り取り自体になんの感動も感情も沸かない。

 朝起きて、誰もいなくなった寮の部屋で、ユニットバスの洗面台に行き、鏡で額の傷を見る。

 焔のキスの感触が、今でも何となく残っている。柔らかく暖かい。そしてそれだけではない、引き寄せられ、彼女の首元に抱えられたその時の香りも、鋭児を妙に落ち着かせてくれる。

 「ちょっとビール臭かったな……」

 と、思い出して、其れが何だか、焔らしくて可笑しくなった。

 授業エスケープの件に関しては晃平がフォローを入れてくれている。彼には世話になりっぱなしである。焔風に言えば、晃平は鋭児にとって百二十点と言ったところだろう。出来すぎである。

 焔より先に、昨日の出来事に対して、吹雪にメールを入れると、「♪」のついた、ご機嫌なメールが返ってくる。その優先順位は、なかなか微妙らしい事が解る。

 静音からは、自分からメールを送る前に、既に向こうから送られてきている。当たり前だが、絶対無理をするなという一言だけが書かれている。鋭児は「了解」のたった一言の、裏腹の文字だけを打ち込み、返信するだけである。

 サボるついでに、鋭児は神村の所に行く事にする。午後の授業での調整では、痛みで指先が使えなくなる可能性がある。少しでも神村が感じている、鋭児本来のポテンシャルというものに、近づけておいてもらわなければならない。

 休み時間に重ならないように、鋭児は保健室に行く。

 「悪い人ですね。授業サボっちゃだめでしょ?」

 と、それらしく注意をしてくる神村なのだが、その言葉には戒めの重さが全くない。

 「一応コレでも命かかってるんで、授業どころじゃないッスよ」

 鋭児は神村の言っている言葉に対して、全く反省をする事もなく、空いている椅子に腰をかけ、封術帯を取り始める。

 「宜しい宜しい。君は、変な所に律儀だね。手もキレイだし、属性焼けしてないし…………。知ってました?焔クンの肌が浅い褐色なのは、属性焼けなんですよ。吹雪クンの髪が青みがかった白なのもね。あの二人は、成長が早すぎたんでしょうね。ああいう症状の出ている手合いは、可成りの術者だと思ってください」

 其れは初耳だった。鋭児がなぜ、属性焼けをしていないのかというと、其れは今まで彼が、そう言う力を使ったことがなかったまま成長したからに他ならない。

 「君もいずれ、何処かしら変調しますが、病気ではないので気にしなくていいでしょう。でも、今はちゃんとした器作りに専念しないとですね。鼬鼠君との決闘なんて、半年は早いと思うんですがね。コレばかりは、この学校のルールですし。再三釘は刺されているとは、思いますが……」

 神村は、相変わらず、説明をし出すと、広い保健室の狭い一角で、ウロウロとし始めるのだった。

 「命だけは取られるな……でしょ。昨日散々焔さんに言われましたよ」

 「ですよ。本来これは、静音クンが、振り払わなければならない火の粉……いや、暴風?かな?」

 「んなのどっちでもイイッスから……」

 「じゃぁいつものように、安定点の引き上げをしますかね……」

 と、鋭児は神村に連れられて、水晶のある部屋に移動する。はじめは保健室の真ん中でやっていたのだが、やはり人が出入りする度に、邪魔になるし、最初のように常時神村が目を向けていなくても、鋭児一人で水晶から手を離すタイミングなどを図れるようになったことが、その理由の大半であった。


 その間神村は本来の仕事が出来る。


 二時間ほどそれに費やし、鋭児は身体を休めるために、部屋に戻っていると、焔からのメールが入り、ウォームアップのため、彼女の部屋に召集を掛けられる。

 焔はそのために午後からの授業をエスケープしたらしい。ウォームアップは本当に身体を解すために行われる真面目なもので、彼女の酔狂や思いつきなどではない。彼女自身もTシャツにスパッツと、非常に軽い格好をしている。

 柔軟から準々に身体作りをしていく。普通に地味な作業である。そして、軽く組み手を行い、徐々に速度を釣り上げてゆく、焔は正しく寸止めをしてくれるし、鋭児の攻撃もワザと受けてみて、その手応えを確かめている。

 「可成り、脚も使えるようになってきたし、お前の持ってるポテンシャルから言えば、鼬鼠の攻撃っつーのも、多分ソコソコは防げるとおもう。ただ、瞬時に加速する炎と違って、風は常時速いからな。初速だけは、躊躇せず突っ込め」

 風が速いというのは、彼らは常時安定した速度で動けるが、炎は動と静の繰り返しで、速度を保つ、蹴り脚一つ一つに正しい制御を持って動かないと、効率的に動けない。其れは守備にも言えることで、風は常時その配分が可能だが、炎は動と静なのである。ただし、風使いも力の配分比率を攻撃においていると、防御は脆い。

 その切り替えに関しては、炎の方が圧倒的に速いと言うことだ。ただ持続されると、風には勝てない。

 加えて言えば、持続すると言うことは、それだけのエネルギーが必要であると言うことも、当然の理屈として、存在している訳で、延々と守備だけに回ることも不可能である。

 切り替えという意味では、炎の方が効率的にエネルギーを制御出来るといえる。問題は鋭児が、そのメリットを上手く使えるのかどうかなのである。その当たりで、キャリアの差というものが、明暗を分けるのだ。

 焔は口うるさく、其れを説明してくるのだ、尤も身体で感じた方が早いことなのだが、身についていない感覚というものは忘れがちになり、疎かになる。そうなると余計なダメージを貰う事になる。

 そのうち、焔が強い当たりをしだす。ウォームアップにしては、少々激しいようだ。その分鋭児も気合いが入るのだが、焔の表情が少し硬い。鋭児がそう思った瞬間だった、焔は鋭児のガードを強引にこじ開け、心臓当たりに拳をねじ込むのだった。

 「がは!!」

 「アメェっつってんだろ……鋭児」

 「なんで……」

 鋭児は薄れ行く意識の中、不安定な視界で、焔を見上げるのだった。

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